*磯野道子さんのご研究『志方郷・43号』の一部を書きなおしたものです。
シオカキ井戸
家が数十軒ありますが、西山の集落の方へ行くと、西の端に大きな家が二軒あります。
どちらもFの表札のモダンな家です。
その山側の家のそばの農道ぞいに「シオカキ井戸」(写真)はありあます。
普通の形の井戸です。
この井戸水がよく出ている時は釣瓶(つるべ)があって竹の竿がついていたそうです。
上から50センチ位もあったから杓で汲むことができたといいます。
この井戸は、どんな旱天が続いても枯れたことはなく、濁ることもありませんでした。
昔から霊泉と伝えられ、「シオカキ」とは「清める・潔斎」するという意味です。
江戸時代までは、字を知らない人が多かったので、赤チャンが生まれたら横大路の学者・大内氏に名前を付けてもらっていましたが、この井戸で潔斎して命名したといいます。
また、峠には豆腐屋さんが一軒ありました。
この水でつくっていたからとても美味しかったそうです。
また、この水は赤ちゃんの産湯(うぶゆ)や神仏に供える水として村中の人が守ってきました。
その大切な水がある日、突然出なくなりました。
戦後の南海地震であろうと思うが、地震の翌日から出なくなりました。
水脈がかわったのでしょう。
ここまでは、磯野さんの研究の焼き直しです。
南海地震
南海地震について、少し付け加えておきます。
突然の地震は、昭和21年12月21日の早朝に発生しました。
潮岬の沖合を震源とするマグニチュード8.2の巨大地震・南海地震です。
この時期、日本は敗戦のため占領されており、マスコミの自由な報道は禁止されていました。
そのためか、加古川地方での地震の被害・規模は詳しくは分かりません。
専門家の意見では、この時の南海地震のエネルギィーは、すべて放出されていないとのことです。
最近、「さらに大きな次の南海地震が近い」と予想されています。
「想定外」であってほしくない。