ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

稲美町探訪(15):加古新村の誕生①

2009-11-11 10:48:06 |  ・稲美町加古

加古新村の誕生①

73084eaa 江戸時代のはじめの頃まで、印南野台地には、広大な原野が未開発のまま残っていました。

とにかく水がなかったのです。

江戸時代も、元禄の頃までは、「日本の大開拓時代」といわれますが、その理由を大石慎三郎氏は、次のように説明されています。

「・・・天下分け目言われた関ヶ原野戦いを中心として、その前後約6070年ほどのあいだ、つまり戦国初頭から四代綱吉の治世半ばごろまでは、わが国の全歴史を通してみても、他の時代に類例がないほど土木技術が大きく発達し、それが日本の社会を変えた時代である。・・・

戦国争乱を生きぬいて大をなした人は、優れた武人であると同時に、また優れた治水土木家でもあった。・・・」(『江戸時代』中公新書)

つまり、戦国時代の(軍事)技術が農業に転用されたというのです。

江戸時代、現代の稲美町域では、幸竹新村・中一色新村・和田新村・野際新村・国岡新村・出新村・蛸草新村・印南新村・野谷新村・加古新村など、多くの新村()が開かれました。

最初に、加古新村(現:稲美町加古)の開拓のようすをみていきましょう。

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