ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

神野町探訪:福沢の庚申信仰

2007-10-06 10:45:43 |  ・加古川市神野町

103   県道八幡・別府線の福沢の交差点の北東隅に、写真のようなユーモラスの三猿が「青面金剛」の前にある。

  これは、旧福沢新村(現:神野町石守)で、庚申信仰がおこなわれていたことを物語っている。

  江戸時代、ずいぶん盛んであった庚申信仰も現在ではすっかり姿を消した。

  庚申信仰は、平安時代に中国から日本に伝わり、一般民衆の信仰になったのは、室町時代のことである。

  コウシンさんは、庚申の夜、(60日に一回)、人体に住むというサンシチユウと言う虫が、人の寝ている間に天に昇り、天上の神にその人の罪を告げに行くという。

  そのため、庚申の夜は寝ずに、当番の家に集まり、庚申像をおがんだり、村の庚申さんにお参りに行くという行事である。

  そのとき、多くの場合「青面金剛像」を拝んだが、新しくは三猿も拝んだ。

  いつしか、この行事は人々が集まって、酒を酌み交わすというレクレーションも兼ねた行事に代わっていった。

  庚申の日に夫婦が交わって子どもができると、その子は盗賊になるともいい、石川五右衛門はその例であるともいわれた。

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