ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

稲美町探訪(72):コーヒーブレイク・いなみちょう

2009-12-29 10:12:35 | 稲美町

    都市に囲まれた地域・稲美町

Photo_2 昭和30331日、旧天満村・加古村・母里村が合併し稲美町が誕生した。

それぞれの村会で合併を満場一致で決めた。

合併を急いだ三村の理由は何だったのだろうか。

稲美町は、明石市・神戸市・三木市そして加古川市に囲まれている。

「このままでは、(経済的に)取り残される」という不安感であったらしい。

合併の条件に「近い将来、近隣の都市との合併が条件にあった」ことを思えばうなずける。

   三村は、水で対立

三村は、歴史的にそれぞれ個性的な性格を持っている。

三村は、必ずしもお互いに協力的関係にある村ではなかった。

水を奪い合いながら、反発しあった長い歴史を持つ。

一方、壮絶な地租・疎水建設費用の問題等で地域が団結する大切さも学んだ。

しかし、不幸にも疎水完成後、人々は地主と小作に分裂し、今度は村内での対立の歴史がはじまった。

が、第二次世界大戦の敗戦により小作農は自作農になり、一挙に地域が平均化した。

かつての、わだかまりも消えた。

・・・・

気がついてみると、稲美地域は大都市に囲まれていた。

経済的に埋没しそうであった。

そのために「大都市との合併」を急いだといえよう。

   小は顔の見える空間

事態は簡単に進まなかった。神戸市の合併はならなかった。

早急な合併は外部からの反対ばかりではなかったのではないだろうか。

心の底に姫路藩、さらに古く加古郡からの意識がしみついていたのではないか。

「神戸市稲美町」では「なんとなく、しっくりこない気持ちが案外大きな理由ではなかったのではなかろうか」と想像する。

稲美町は、しばらくは大きな状況の変化がない限り独自の道を歩むだろう。

これからは、細やかな、やさしい、行き届いた政治が求められる時代である。

これらは小さいからこそできる課題でもある。

合併に関しては、小はいつでも大につくことはできる。大は小にもどれない。

小さいことは、お互いの顔を知ることができる空間である。

稲美町は、お互いの顔の見える小さな貴重な空間であるのかもしれない。

*今年も後3日になりました。ブログをお読みくださいましてありがとうございました。

明日から来年の6日(水)までブログを休刊とします。

平成22年が、皆様にとって良い年でありますようにお祈りいたします。

来年もよろしくお願いいたします。

*写真:稲美町の町花「コスモス」

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 稲美町探訪(71):神戸市... | トップ | 稲美町探訪(73):池と天... »

コメントを投稿