ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

上荘町・平荘町探訪:里村の騒擾

2009-05-24 17:25:00 |  ・加古川市上荘・平荘町

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里村の騒擾 (2006年8・16日のブログより)

96b7ca2d 江戸時代も後半になると、多くの村々がそうであったように、里村でも農民と庄屋の対立がおきた。そのようすをみたい。

宝暦10年(1760)、明和5年(1768)に里村の庄屋・彦九郎に対し10か条の訴えが藩に出された。二件ともほとんど同じ内容である。

 紙面の都合で一つだけ紹介したい。

 (農民)・・・「村方諸入用はなるだけ簡略にしてもらいたい」と庄屋に願ったが、全く聞いてくれない。

(庄屋)・・・村方の諸入用については年々増額しているが、随分倹約している。村では、7・8人が徒党を組んで、「庄屋が使い込んでいる、生活の困窮しているものに返せ」と偽りを触れ、村方をそそのかしている。

 この騒擾の詳細については「加古川市史(二巻)」p442~9を参照されたい。

 享和元年(1801)にも庄屋は農民から追求を受けている。

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 里村では、庄屋と農民の騒動が40年も続いた。

 この騒擾から、庄屋の仕事内容、村政と農民の生活、そして農民の関心ごとなどを知ることができて興味深い。

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 里村は、天文元年(1532)の「報恩寺文書」に「里村」の名前がある。それより以前にできた古い村である。

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