ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

野口を歩く(52):小作争議

2012-11-20 07:40:02 |  ・加古川市野口町

野口の小作争議

Photo1924年(大正13)の調査があります。加古郡の小作率は64.5%で、印南郡のそれは63.9%でした。

ものすごい小作率です。

大正1342日、加古川公会堂(現:加古川小学校近くの市立図書館)で日本農民組合東播連合会の創立大会が行われました。

「・・・生存の権利を持って対抗し、団結と組織をもって土地と自由を得るまで努力する・・・」とたからかに宣言しました。

団結した農民のエネルギーは、地主に小作料の減免を要求しました。

大正13年、野口の鵤(加古川市野口町長砂)では、大規模な小作争議が展開されました。

小作料の引き下げを求めました。これに対して地主は、成育中の稲を差し押さえ、小作人に、稲を刈り取らせないように対抗しました。

小作人は、「稲の刈り取りと運搬をさせて欲しい」と要求したのですが断られました。

ある朝、地主側が雇った人夫が稲の刈り取りをしているのを見つけ、こぜりあいとなり、突然、多数の警官があらわれ、多くの逮捕者を出しました。

逮捕された人々は、裁判にかけられました。

村人の要求は、ほとんど聞き入れられませんでした。

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