ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

新野辺を歩く(52):加古川市との合併③・土山駅前問題

2012-08-23 11:17:37 |  ・加古川市別府町新野辺

 土山駅前問題

324cb1b 「世論調査の投票」(拘束力を持たない)の結果は、別府町と加古川町の合併は反対となりました。

 結果、今度は阿閇村(現:播磨町)との合併の協議にはいりました。

 事態は、加古川市制実施予定の61日に向けてますますの緊迫してきました。

 町長・町議会とも最終的な態度を決めなければならなくなりました。

 そのため、今度は拘束力のある「決戦投票」の結果にゆだねることを決めたのです。

 投票は、昭和2556日に実施され、結果は次のようでした。

    加古川町との合併賛成     1250 票

      〃     合併反対     1164 票 

 *この投票には、「外国人(在日朝鮮人を指す)は投票せしめない」との注意書きがありました。

 結果は、加古川町との合併賛成が反対を上回ったのですが、その差はわずかに86票でした。

 一部の議員からは「町長リコール」・「分村してでも・・・」という言葉まで飛び出しました。

  土山駅前問題

 このようなもたつきの中、二見町は明石市との合併を決めてしまいました。

 そして、阿閇村(現:播磨町)では「土山駅前問題」が発生しました。

 土山駅前は加古川町・阿閇村・魚住村・二見村が入り組んでいます。

 その内、阿閇村に属している土山駅前商店街が、加古川町への合併を強力に推し進めようとしたのです。

 阿閇村はさまざまな思惑と利害が対立し、村内がまとまらなくなってしまいました。

 そのため、合併の是非を問う住民投票を実施しました。

 その結果は次のようで、はっきりと加古川町との合併を拒否しました。

      現状維持  2548 票

     合併賛成  1502 票

 二見村は明石市と合併し、阿閇村は明確に合併を拒否したのです。

 別府村は、投票の結果、加古川町との合併を決めたのですが、なにせ小差でした。

新たな情勢で別府町は、最終判断を迫られました。

*『加古川市史(第三巻)』参照、写真は土山駅前

 今「新野辺を歩く」で「新野辺の歴史」をまとめています。そのため以前書いた文章も再度取り上げますがご了承ください。

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