安楽寺 *東志方細工所
細工所の安楽寺について、『わがまち加古川60選挙』にある寺伝を読んでみたい。
「811(弘仁2) 年、弘法大師の弟子、真紹上人が志方の中道子山頂に無量寿院を建てたのが始まりとされている。
長い間、山頂にあったが、1380(康暦2)年、赤松氏が城を築く際、山麓に移された。
赤松氏没落後、1559(永禄2)志方城主、櫛橋氏によって再建され、真言宗あらため浄土宗の寺になった。・・・」
(注:志方城は、現在志方町の観音寺にあった城で、中道子山城ではない)
以上は、寺伝であるが、ずいぶん古い歴史を持つ寺のようである。
「かこがわ100選」では、安楽寺の地獄絵を紹介しておきたい。
以前見た時の印象が強烈に残っている。
地獄絵と十王像
この十王堂に、十七世紀後半の作と伝えられている「地獄極楽絵」と「十王像」が安置されている。
地獄絵図の右から地獄で苦しめられている人々、中ほどに救いの手を差しのべている地蔵菩薩、そして帳簿を見ながら判決を言い渡している「閻魔(えんま)」。その左に極楽の絵と続く。
十王信仰について
十王とは、罪を裁くために姿を変えている仏たちである。
仏教では死者の生前の行いを裁く仏は「閻魔」だけではない。
死者の前に十人の仏様が現れて、各仏の前で審判を受けるのである。
その裁判の日は、初七日にはじまって、二十七日、三十七日、四十七日、五十七日、六十七日、七十七日、百ヵ日、一周年、三周年の十回という。
そのうち、五十七日目の裁判官が「閻魔」である。
この十王の審判により「地獄行き」とか「天国行き」が決められという。
この十王の考え方は中国で生まれ、我が国においても平安時代から次第にその信仰が盛んになり、鎌倉時代に完成したといわれている。
安楽寺の「地獄絵」「十王像」は、寺の言い伝えによると万治三年(1660)とあり、傷みが激しく、平成四年に地獄絵・十王は修理された。
近世の仏教観を知ることのできる貴重な仏たちと絵画であり、お参りの時は十王堂へも、ぜひお寄りいただきたい。
*写真:十王堂内の地獄絵の一部
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます