「石の宝殿」は何?
先に紹介したように、『播磨風土記』には「・・・作り石あり、形屋のごとし、長さ二丈、広さ一丈五尺、たかさもかくのごとし、名を大石と言う。 伝えていえらく、聖徳の王の御世、弓削(ゆげ)の大連(おおむらじ)の造れる岩なり・・・」としています。
『風土記』のつくられた8世紀には、すでにこの大石は、造られていたものの、その時点ですでにこれは何のために造られたのか分からなくなっています。
江戸時代は、今とは違いこの大石は、よほど人びとの興味をひいたらしく、広重は浮世絵に、シーボルトは銅版画に、司馬江漢はスケッチにこの大石が描かれています。
しかし、「この大石は何か」について決定的な答はありません。
いま、石の宝殿の探索のために『石の宝殿‐古代史の謎を解く‐(真壁忠彦・真壁葭子著)』を読んでいます。
神殿説・古墳説・石棺説などさまざまです。
石の宝殿は、ゾロアスター教の拝火壇か?
このブログで石の宝殿を調べてみたくなったのは、松本清張氏の小説『火の路』を読んだからです。
松本氏は『火の路』で、「石の宝殿」は、ゾロアスター教の拝火壇であるとの説を主張しておられます。
次号では、少し雰囲気を変えて、「石の宝殿・ソロアスター教拝火壇説」を取り上げます。(no3385)
*写真:ゾロアスター教の拝火壇と松本清張氏(『ペルセポリスから飛鳥へ』日本放送協会)
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