蛸草は天満神社の氏子
その最後に、「寺社明細帳・宝暦10年(1760)」の氏子の記載があります。
それによると、天満神社の氏子は、国安村・六分一村・森安村・中村・北山村・岡村・岡一色村・幸竹新村・国岡新村・蛸草新村とあります。
国岡新村と蛸草新村を除けば旧蛸草荘の地域に属していた村々です。
蛸草荘(郷)の村々は、もともと天満神社が氏神でした。
国岡新村は、寛文2年(1662)、国安村の庄屋・彦太夫と岡村の庄屋・安右衛門が中心となり開発した新田村です。
これまた、当然のごとく天満神社を氏神としました。
蛸草新村は、中村の小山五郎右衛門が中心となり、また蛸草郷から多く百姓が蛸草新田の開拓に当たり移住しています。
そのため、蛸草新村もまた天満神社を氏神としました。
現在も蛸草の氏神は天満神社です。
なお、現在の蛸草の旧家の多くが中村の円光寺や北山の常泉寺の檀家であるのも、祖先の出身地によるものです。
蛸草は現在、稲美町天満にあらず
とすると少しおかしなことに気付きます。
蛸草荘(郷)の村々は、蛸草を除き現在稲美町天満に属しています。
現在の蛸草の祖先の多くが、そのルーツを蛸草荘(郷)に持ちながら、現在稲美町天満ではなく、稲美町母里(もり)に属しています。
なぜ?・・・
*写真・天満神社
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