きのう(10日)、「鬼追い式」を見学するために、野寺の高薗寺へ出かけましたので、その話題をはさんでおきます。
全くの妄想で、地元の方からお叱りを受けそうです。
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高薗寺の「鬼追い式」は、毎年2月9日と10日に行われる行事です。
五穀豊穣と天下泰平を祈願する「鬼追い式」だといいます。
きのうは、儀式の後、餅まきが行われました。
小学生は、さすがに動きが速い。
何かいい事がおこりそう
私は、目の前にポトリと飛んできた餅をひろいました。
そして、後ろを振り向いた瞬間にもう一個の餅が首に当たって背中に入ってきました。
不思議なこともあるものです。おかげで、赤い餅と白い餅が揃いました。
夜、砂糖醤油で食べました。
今年は、よい事があるかもしれません。
餅まきの後が「鬼追い」でした。
「鬼」に託した農民の願いとは?
鬼は、勇壮に本堂を練り歩いた。
約260年前から続くとされる行事です。
今年は、2010年ですから、260年前というと、1750年ということになります。
「あれ!」と思う。
年表を見ていただきたい。
1749年、野谷村の伊左衛門が高薗寺の本堂に、一揆の張り紙を貼り、上西条の大庄屋宅を打ち壊しました。
そして、この一揆は播磨全般一揆へと広がっていきました。
結果的に、ここ高薗寺はまさに一揆発祥の地となりました。
当時、この地は騒然とした雰囲気の中にあったはずです。
一揆の後にはお決まりの厳しい処分がありました。
一揆の内容・経過については「稲美町探訪(23)~(27)」をご覧ください。
そのような雰囲気の時代の中で、単に天下泰平・五穀繁栄のための「鬼追い式」がはじまったとは思えないのです。
赤鬼は毘沙門天の化身で青鬼は不動明王の化身であるといいます。
二匹の鬼に切なる百姓の願いを託したように思えてなりません。
想像は、全く見当はずれかもしれません。調べてみたい。
鬼追い式を見ながら、そんなことを考えていました。
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