ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

お爺さんが語る郷土の歴史(70) 奈良時代(1)・条里制(1)

2018-01-22 08:29:12 | お爺さんが語る郷土の歴史

 西条廃寺中西廃寺を紹介しました。この他にも同時代(白鳳時代)の野口廃寺(加古川市尾上町)・石守廃寺(加古川市神の町)を訪ねたいのですが、先を急ぎ奈良時代の歴史探索に出かけましょう。

    条 里 制(じょうりせい)

 奈良時代、中央・地方の政治の仕組みも整ってきまし。

 地方には国司・里長等の地方官が置かれ、これら地方官の仕事は治安、そしてなによりも農民から確実に税を納めさせることにありました。

 政府は、税を確実にするために、まず土地制度を整えました。

これが条里制です。

 条里制は、七世紀の末には始まっていただろうと思われます。 

 その仕組みは、六町四方(43.2ヘクタール)の大区画を縦横六等分、つまり36の小区画に分けました。

 そして、その一つをさらに36等分し、その一つひとつに一の坪・二の坪・三の坪・・・のような番号をつけました。

 条里制の遺構(図)をご覧ください。

 加古川市域では五の坪(加古川町西河原)、九の坪(加古川町溝ノ口)、一の坪(尾上町長田)、十二の坪(尾上町口里)、三の坪(尾上町今福)等がその例です。

 この他にも多くの坪名と思われる小字がたくさん残っています。

    池がない

 条里制の土地があったことは確かめられました。

 が、土地だけでは田畑になりません。水がなくては田畑になりません。

 どのようにして水を得たのでしょう。

 池から得たとも考えられますが、池の遺構がないのです。

 埋もれてしまったとも考えられますが、これだけ発達した条里制です。

どこかで池の遺構が見つかってもよさそうなものです。(no3850)

 *図:条里制遺構(番号は、字名に残る坪番号)

 ◇きのう(1/21)の散歩(15.527歩)

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