ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

加古川町旧鳩里村探検(12) 稲屋・友沢(1) 鹿子水門(かこのみなと)

2021-09-05 07:49:30 | 加古川町(旧鳩里村)探検

     鹿子水門(かこのみなと)



 『日本書紀』応神天皇13年の条に、次のような話があります。

 ・・・天皇が淡路島に狩に出かけた時に、多くの鹿が「鹿子水門(かこのみなと)」に入るのを見たので、調べてみると、日向(宮崎)の豪族の娘(髪長媛-かみながひめ)が都に仕えるために東上するための一行だった。

 彼らが鹿皮の衣を着ていたので、鹿と見あやまったのだった・・・

 

 これは、地名説話ですが、九州と畿内を結ぶ瀬戸内海の泊()のひとつに、「鹿子水門」があったことを物語っています。

 古代には河口が港として利用される場合が多かったのですが、航海に必要な水や食料も得やすかったのでしょう。

 それに、加古川の河口は内陸部と結ぶ重要な拠点でした。

 「鹿子水門」がどこにあったか、明らかではありません。

 でも、加古川東岸は西岸と比べ若干土地が高く、加古川の流れは西岸より安定していました。

 古い古墳も東岸に集中しています。そんなことを総合して、現在の稲屋(加古川市加古川町)辺りが、「鹿子水門」であろうと考えられています。

 現在の稲屋は、やや内陸部になっていますが、当時はこの辺りまで海が迫っていたと思われます。(no5623

*『加古の流れ(市史余話)』『加古川市史(一巻)」参照

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