ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(255):長楽寺(21)・植原繁市

2012-03-21 08:26:24 |  ・加古川市西志方

 

  きょうの「長楽寺」は、植原繁市の紹介です。

 繁市は、志方町が生んだ詩人です。彼の代表作「寂しさ」の歌碑(写真)が境内の片隅にありましたが、94日の土砂崩れで流され、まだ見つかっていません。

 以前、繁市の歌碑を紹介しました。今はその時の風景はなくなりましたが、再度その時の文章を紹介します。(文体は変えています)

花と流星の詩人・植原繁市

Photo今にも泣き出しそうな空でした。

 風も、木々のざわめきもありません。

 長楽寺の境内は、時間が止まっているようでした。

 植原繁市には、こんな風景が似合うのかもしれません。

 境内の隅に繁市の歌碑があります。(注:現在土砂崩れのため、歌碑は流され、見つかっていません)

     人に告ぐべき

     寂しさにはあらぬ

     ゆふぐれをひとり杜にきて

     しみじみと樹をゆする

        泣けばとて、かえるものかよ

        告げばとて、癒ゆるものかよ

        しみじみと樹をゆする

 繁市の唯一の詩集『花と流星』にある詩「寂しさ」です。

 繁市は、明治41年、志方町横大路で生まれました。小学校でも病気がちで、姫路商業高校に入学しますが、胃腸疾患のため二年で退学します。

 そうした病弱が彼の繊細さを育てたのかもしれません。

・・・・・

 繁市に関して紙面の関係で多くを紹介できませんが、『鹿児(第80号)』(加古川史学会機関誌)で、高橋夏樹氏が論文「花と流星の詩人・植原繁市」を書いておられます。

 繁市は、西条八十主宰の『愛踊』に多くの作品を発表しました。

 繁市の作詞による加古川音頭は、今も歌い継がれています。

 実生活としては、生涯志方町の職員として働き、収入役の重責もまっとうしました。

 昭和46320日死去。63才。

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