きょうの「長楽寺」は、植原繁市の紹介です。
繁市は、志方町が生んだ詩人です。彼の代表作「寂しさ」の歌碑(写真)が境内の片隅にありましたが、9月4日の土砂崩れで流され、まだ見つかっていません。
以前、繁市の歌碑を紹介しました。今はその時の風景はなくなりましたが、再度その時の文章を紹介します。(文体は変えています)
花と流星の詩人・植原繁市
風も、木々のざわめきもありません。
長楽寺の境内は、時間が止まっているようでした。
植原繁市には、こんな風景が似合うのかもしれません。
境内の隅に繁市の歌碑があります。(注:現在土砂崩れのため、歌碑は流され、見つかっていません)
人に告ぐべき
寂しさにはあらぬ
ゆふぐれをひとり杜にきて
しみじみと樹をゆする
泣けばとて、かえるものかよ
告げばとて、癒ゆるものかよ
しみじみと樹をゆする
繁市の唯一の詩集『花と流星』にある詩「寂しさ」です。
繁市は、明治41年、志方町横大路で生まれました。小学校でも病気がちで、姫路商業高校に入学しますが、胃腸疾患のため二年で退学します。
そうした病弱が彼の繊細さを育てたのかもしれません。
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繁市に関して紙面の関係で多くを紹介できませんが、『鹿児(第80号)』(加古川史学会機関誌)で、高橋夏樹氏が論文「花と流星の詩人・植原繁市」を書いておられます。
繁市は、西条八十主宰の『愛踊』に多くの作品を発表しました。
繁市の作詞による加古川音頭は、今も歌い継がれています。
実生活としては、生涯志方町の職員として働き、収入役の重責もまっとうしました。
昭和46年3月20日死去。63才。
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