鶴林寺(1)
鶴林寺について書くのを若干ためらっています。
鶴林寺や檀家の方、そして加古川市観光協会等から、お叱りが聞こえてきそうです。
私の加古川市史の一番よりどころは、『加古川市史』です。その記述をお借りします。
『加古川市史』で鶴林寺について執筆されているのは神戸大学で長く教鞭をとられた(故)石田善人先生です。
鶴林寺について石田先生や歴史学会の説を若干紹介し、後日別に鶴林寺と鶴林寺が加古川地域にはたした、役割を取り上げたいと考えてみます。
ここでは「鶴林寺は聖徳太子の創建ではない」と始めますが、鎌倉時代以来、鶴林寺のはたした役割は、あまりにも大きかったことを最初に断っておかねばなりません。
鶴林寺は聖徳太子の創建か?
鶴林寺は、その縁起によれば用明天皇二年(587)聖徳太子が秦河勝に命じて、ここに三間の精舎を建立し、高麗の僧恵便(えべん)を住持せしめ、百済の日羅(にちら)も当寺に住んだと伝えています(鶴林寺縁起)。
*用明天皇:聖徳太子の父
「刀田山」という珍しい当寺の山号は、百済に帰国しょうとする日羅を聖徳太子が神通力で田に刀を林立させて防ぎ、怖れをなした日羅に帰国を断念させたことによるといいます。
用明天皇二年といえば聖徳太子は15歳ばかりのころです。
幼児から聡明をもって聞こえた太子にしても、大和から遠いこの地(加古川)に伽藍を建立させたとは思えません。
・・・中略・・・
現在の鶴林寺の寺域からは、飛鳥時代はおろか奈良時代にまで遡りえる古瓦は全く発見されていません。
このことは現在の寺域には奈良時代には寺院が存在しなかったことと考えられるのです。(『加古川市史・第一巻』より)
後で説明になりますが、鶴林寺は平安時代の創建と思われます。(no4801)
*写真:鶴林寺本堂