ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

文観(27) 伊派石工集団

2020-09-21 09:02:06 | 文観(もんかん)

 文観を追いかけていますが、西大寺の石工技術集団について付け加えておきましょう。

       伊派石工集団

 常楽寺の墓地に立派な宝塔があります。

 この近辺は石の産地であり、石造物はそれらの石を材料とするのが普通です。

 近辺で産出する石は、凝灰岩で、やわらかく細工がしやすく、従って、安く作ることができます。

 常楽寺の宝塔は、凝灰岩ではありません。硬い細工の難しい花崗岩を材料とした宝塔です。

 報恩寺(平荘町山角)の四基の五輪塔も花崗岩です。

 そして、報恩寺には見事な花崗岩の十三重の層塔があります。

 常楽寺の宝塔や報恩寺の層塔・五輪塔は、他所で完成させ、ここ に運ばれたものと思われる。

 これらの宝塔・十三重の層塔・五輪塔は、ともに西大寺の石工集団伊派の製作による石造物といわれています。

 当時、硬い花崗岩に見事な細工を加工する技術を持った石工集団は、西大寺の石工集団より見つけることはできません。

 報恩寺の五輪塔について、『加古川市史(第一巻)』を読んでみます。

 ・・・・五輪塔の作者は大和伊派(いは)の名工、伊行恒(いのゆきつね)であるという、・・・・伊行恒は、大和を根拠地にしながら、摂津の御影を中心にその活躍が知られている。

 その伊派の石工たちたちが深く関係したのが、大和の西大寺の叡尊(えいぞん)・忍性であって、叡尊・忍性が「殺生禁断」の記念碑として各地に建立した十三重の塔は、すべて伊派の石工たちが刻んだものであったとこともよく知られている。・・・・(『加古川市史・第一巻』より)

 以上は、報恩寺の花崗岩でつくられた報恩時の石造物の説明ですが、研究者によれば常楽寺(加古川町大野)の宝塔も、形式などからも伊派の石工による作品として間違いがないと指摘されています。(no5094

 *写真:報恩寺(加古川市平荘町山角)の十三重の層塔

 

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