式内社(しきないしゃ)
日岡神社(写真)の話です。
日岡神社は、式内社です。
「式内社(しきないしゃ)」は、聞きなれない言葉です。
これは10世紀のはじめ、醍醐(だいご)天皇の時代に作られた規則である延喜式(えんぎしき)に、その名が見られる神社のです。
古代人にとって、森や山は神々の宿る場所であり、ある時は、そこに集まり神々に感謝し、あるときは政(まつりごと)を神々と共に行った場所でした。
時はたち、寺院の影響があり、やがて社殿が造られるようになり、7世紀の後半には全国的に神社の形が完成したようです。
中央政府は、地方の豪族と結びつきを強め、勢力をさらに強めるため、全国の有力な神社をその統制下におき、「式内社」として権威づけたのでしょう。
加古川市付近(加古川市・高砂市・播磨町・稲美町)で「式内社」は日岡神社だけです。
多くの神社がそうであるように、日岡神社が式内社に選ばれた理由は分かりません。
きっと、日岡神社は、当時このあたりで大きな勢力をもっていたため式内社に選ばれたのかもしれません。(no4814)
*写真:現在の日岡神社(外拝殿)