北風家
『菜の花の沖(二)』(文芸春秋文庫)は、次のように書きだす。
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「兵庫の津には、北風という不思議な豪家がある」
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兵庫を興したのは、北風はんや。
と土地では言う。
諸国の廻船は普通大坂の河口港に入る。それらの内幾分かでも兵庫の湊に入らせるべく北風家が大いにもてなした。
一面、船宿を兼ねている。
「兵庫の北風家に入りさえすれば、寝起きから飲み食いまですべて無料(ただ)じゃ」と、諸国の港で言われていたが、まったくそのとおりであった。
北風家は兵庫における他の廻船問屋にもそれをすすめ、この湊の入船をふやした。
入船が多ければ、その港が富むことはいうまでもない。
直乗(じきのり・・持船)の荷主や船頭が、自分の荷の何割かを兵庫で下ろしてしまうからである。
兵庫の北風か、北風の兵庫か
「兵庫の北風か、北風の兵庫か」といわれるほどであるだけに、遠国(おんごく)からの入船のほとんどは北風家に荷を売った。北風家は直ちに店の前で市を立てるのである
「北風の市」
というのは、入船のたびに遠近(おちこち)から集まってくる仲買人でにぎわった。
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めし等はいつ行っても、無量(ただ)であった。入船の船乗りだけでなく、家に戻っている船乗りでも、「どりゃ、これから北風に振舞(ふれま)われてこようかい・・・」と七宮(しちみや)という宮の前の北風屋敷に出かけて行く。
勝手口から入ると、富家の娘のようにいい着物を着た女中たちが、名前も聞かずに給仕をしてくれるのである。・・・(以上『菜の花の沖』より)
司馬氏は、北風家を子のように紹介している。北風家の賑わいの風景が目に浮かぶようである。
松右衛門も北風家の影響をいっぱい吸いこんで仕事を始めた。
*写真:小説『風果てぬ(須田京介著)』(神戸新聞総合出版センター)
(北風家に関して、詳しく説明している)