昭和46年当時の新野辺住吉神社
現代では、新野辺の住吉神社は、新野辺以外の人にはあまり知られていないようです。
新野辺の住吉神社は、適切な表現ではないのですが、現在、昆虫が羽と脚をとられているようさえ見えるのです。
かつて境内には松が生い茂っていたという記録(社寺明細帳・天明二年)があります。
今は、広い境内の一角にちょこんと本殿があるだけです。
『加古川市誌(第二巻)』(665p)にある住吉神社(写真上)では、大きな拝殿があります。
『加古川市誌(第二巻)』が発行されたのが昭和46年ですから、その当時でも昔の風景が若干残っていたようです。
綿屋源四郎
社殿(本殿)の前に一対の常夜灯と宝暦十二年(1762)寄進の狛犬があります。
そして、本殿を囲む玉垣の前に一対の灯籠があります。
向かって左の灯籠の文字は、はっきり読むことはできませんでしたが、右の灯籠(写真下)は、延享二年(1745)正月 綿屋源四郎寄進の銘をはっきりと読むことができます。
江戸時代後期~明治時代の初めの頃、加古川地方、特に浜手は木綿の生産が盛んでした。
燈籠にある綿屋源四郎は、どんな人か確かめることはできませんが、綿を商う商人で、商売に成功し、そのお礼の印に灯籠を奉納したのであろうと考えられます。
写真上:昭和46年当時の新野辺住吉神社(『加古川市誌・第二巻』)より
写真下:「綿屋源四郎寄進」の銘のある燈籠