文書「手形之事」から③
写真右の文書(もんじょ)「手形之事」の赤線の部分をもう一度読んでみます。
「・・・四月より七月之内用水之時は下江流申様ニ御願申候、四月より七月迄之内たり共水沢山の時は少シも構無御座候・・・」です。
(四月より七月の内用水の時は、下へ流し申すようにお願申しそうろう。四月より七月までの内たりとも水沢山の時は、少しも構ご座なく候)
意味は、次のようです。
(意味)
(草谷川の水を大溝用水に取り入れる件ですが、春・冬は、結構です)四月から七月の前は、下(草谷川郷)へ流してください。(四月・七月は旧暦)
ただし、四月から七月の内でも水が十分にある時は、大溝用水へ水を取り入れてもかまいません・・・
寛延八年(1680)申六月
以上が「手形之事」における契約です。太字の文言に注目してください。
あいまいな表記
「水が沢山の時」とはどんな時でしょうか。非常にあいまいな表現です。
当然、加古新村、国岡新村と草谷郷の村々では解釈が、しばしば異なりました。
加古新村が草谷川に水が沢山あると思っていても、草谷郷の村々は「いや、沢山でない」と主張し、水争いがしばしば起きています。
明和元年(1764)六月九日のことでした。
まとまった雨があり、草谷川には雨が勢いよく流れました。
そのため、加古新村と国岡新村は、水が沢山あると判断して、大溝用水から取水しようと人足を出したのです。
草谷郷の8ヵ村は、そうはさせまいと、これまた人足を出し大騒動になりました。
草谷村の者が暴行を受けたという8ヵ村側からの届けと、加古新村の者が怪我をしたという2ヵ村側からの届けが、大庄屋を経て代官所に提出されました。