三好達治という詩人は鳥をモチーフにした作品をたくさん遺しています。その一つ「燕」では、電線に止まっているツバメの家族を五線譜の音符に例えて、「あそこの電線にあれ燕がドレミハソラシドよ」と表現しています。
こういう着想は三好達治だけではないようで、ブラジルのあるミュージシャンが、電線に止まっている鳥の写真を新聞で見て、そのまま楽譜にすることを思いつきました。それを編曲して演奏した音楽がYouTubeで公開されているので、お聴きください。
電線の写真はPhoto Shopなどでの加工は一切していないそうです。
たまたま電線が5本あったこと、そこに音符になるように鳥が止まったこと、それを誰かが撮影して新聞に掲載したこと、それを見て「音楽になる」とひらめいたこと…、いくつかの偶然が重なってこんな面白い音楽が生まれたわけです。
以前、当ブログで、坂本龍一が樹木の生体電位を音楽にした話をご紹介しましたが、それに似ています。
こういう着想は三好達治だけではないようで、ブラジルのあるミュージシャンが、電線に止まっている鳥の写真を新聞で見て、そのまま楽譜にすることを思いつきました。それを編曲して演奏した音楽がYouTubeで公開されているので、お聴きください。
電線の写真はPhoto Shopなどでの加工は一切していないそうです。
たまたま電線が5本あったこと、そこに音符になるように鳥が止まったこと、それを誰かが撮影して新聞に掲載したこと、それを見て「音楽になる」とひらめいたこと…、いくつかの偶然が重なってこんな面白い音楽が生まれたわけです。
以前、当ブログで、坂本龍一が樹木の生体電位を音楽にした話をご紹介しましたが、それに似ています。
私は別に小説家になろうと思ったわけではないのですが、電線にとまるカラスを見てそれを楽譜に見立てて作曲したところ大ヒットして金持ちになった男が、周りにちやほやされるようになったけどやっぱり自力で作曲したのではないので落ちぶれてゆく、という話を考えたことがあります。
ただこれ、ひとつだけ問題があって、電線の上にとまった鳥を音符に見立てる場合、線の上の音はないことになりますよね。
実際にこの絵の(最初の静止状態の)楽譜も線の上の音符がないですし。
ちなみにBird On Wireというレナード・コーエンの曲がありますね。
ネヴィル・ブラザースがカヴァーしてメル・ギブソンの同名映画のテーマ曲に使われていましたが、大好きな曲です。
その小説、おもしろそうですね。映画にもできそうですね。
私もこの動画のタイトルを見て、そんな名前の映画があったな~と思い出しました。
テーマ曲にもなっていたんですね。
bulbulさんは一時的にでものめり込めたんですね。柔軟性が高いですね。
結局面白くないというのは、やっぱり感性で聴くよりも観念で聴く音楽だからでしょうか。
この鳥の音楽はそれなりに音楽になっていますよね。