そろそろシギ・チドリ類が渡って来る時期なので、先日近くの干拓地を回ってきました。
水を張った休耕田の畔に、アオアシシギが2羽いました。撮影を始めると1羽が鳴き始めたので、声を収録するべく長回ししました。
繁殖地ではよく鳴くのでしょうが、この時期にシギやチドリはあまり鳴きません。ただ、このアオアシシギだけは時々「キョーキョーキョー」と哀愁を帯びた声で鳴くことがあります。
この声を聞くと思い出す和歌があります。それは西行法師の以下の歌。
心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ
意味は「出家して俗世間の感情は捨てたけれど、秋の夕暮れにシギが飛び立つ沢にいると感傷的になる」。西行がアオアシシギを見たのかどうか不明ですが、上述のように渡りの季節(秋)に日本に立ち寄って鳴くのはアオアシシギの可能性が高いです。
また、聞く人を感傷的にさせる哀しげな声なので、私は西行が見聞した鴫はアオアシシギだと確信しています。こういう推測もバードウォッチングの楽しみの一つでしょう。
その後、広い干拓地をグルグル回りましたが、クサシギとコチドリに遭遇したくらいで、期待した鳥は不在でした。来週に再度訪問するつもりです。
水を張った休耕田の畔に、アオアシシギが2羽いました。撮影を始めると1羽が鳴き始めたので、声を収録するべく長回ししました。
繁殖地ではよく鳴くのでしょうが、この時期にシギやチドリはあまり鳴きません。ただ、このアオアシシギだけは時々「キョーキョーキョー」と哀愁を帯びた声で鳴くことがあります。
この声を聞くと思い出す和歌があります。それは西行法師の以下の歌。
心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ
意味は「出家して俗世間の感情は捨てたけれど、秋の夕暮れにシギが飛び立つ沢にいると感傷的になる」。西行がアオアシシギを見たのかどうか不明ですが、上述のように渡りの季節(秋)に日本に立ち寄って鳴くのはアオアシシギの可能性が高いです。
また、聞く人を感傷的にさせる哀しげな声なので、私は西行が見聞した鴫はアオアシシギだと確信しています。こういう推測もバードウォッチングの楽しみの一つでしょう。
その後、広い干拓地をグルグル回りましたが、クサシギとコチドリに遭遇したくらいで、期待した鳥は不在でした。来週に再度訪問するつもりです。
今年の暑さは異常ですからね。熱中症対策を厳重にして行ってきます。
まだ、暑いでしょう。どうぞ、お気を付けてお出かけください。