樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

野鳥撮影事始め(日本編)

2021年07月15日 | 野鳥
前回の世界編に続いて日本編です。日本における野鳥撮影の草分けは、元皇族の鳥類学者・山階芳麿(1900-1989)。その回想によると、欧米の野鳥雑誌に掲載されている写真に刺激を受けて、大正10(1921)年頃に鳥の撮影を始めたそうです。
グラフレックス(アメリカのカメラメーカー)の最新鋭機とダロン(英国のレンズメーカー)の17インチ(約430mm)の望遠レンズを購入して撮影したものの、現像すると鳥の姿は虫眼鏡で探すほど小さい。結局、「日本の鳥は外国の鳥よりも臆病で写真に撮り難いという結論に達してしまい、テレホト(望遠レンズ)は箱に入れて戸棚の内に納めてしまった」とのこと。以後は、長いレリーズで鳥から離れるか、ブラインドに隠れて撮影することになったようです。


当時のグラフレックス・カメラの広告

同じ頃、九州で野鳥撮影を始めた男がいました。幼い頃から鳥が好きで、たまたま父親から「写真家にでもなれば」とカメラを買い与えられます。そのカメラのシャッターレバーに穴があることを発見し、ひもを通せば遠くからシャッターを切れることを思いつきます(つまり、レリーズ撮影)。家には広い庭があり、池にはよくカワセミが飛来し、止まる場所も決まっていました。
1922年1月、父親の看病の退屈しのぎに、カワセミの定位置の横にカメラを置き、長いひもを父親の枕元まで引いて撮影しました。後の2018年と2020年に「100年前にカワセミを撮った男」という写真展が開催され、案内チラシにその時のカワセミの写真が掲載されました(下)。撮影したのは下村兼二(1903-1967)。



その下村も山階博士と同様、海外の写真に触発されたようです。コダック社が発行する雑誌に毎月のように鳥や動物の写真が掲載されており、「生態写真や観察記は全く私の憧憬の的であった」と回想しています。その中には、前回ご紹介したカートン兄弟の作品もありました。
やがて下村は野鳥写真家として鳥類学者に知れ渡り、鳥類学の重鎮の助力を得て日本全国へ撮影に出向きます。北はカムチャッカ半島から樺太、択捉島、南は小笠原諸島や奄美大島にまで及びました。重い機材を担いでの撮影行は難儀をきわめたようです。
下村は野鳥撮影について、「写真術はほんの一部分の技術であると言えよう。むしろ写真技術よりも写真を撮るに至るまでの知識ないし技術が必要とされるのである」と書いています。
早くから野鳥を撮影していた日本野鳥の会の創設者・中西悟堂も、「野禽撮影の基礎条件は、鳥の習性に対する知識」と書いています。
デジタルカメラになって誰でも簡単に鳥の写真が撮れるようになりましたが、自戒を含めて、鳥のことをもっと勉強しないといい写真や動画は撮れないということですね。
コメント (2)
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