樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

芭蕉の野鳥観

2021年07月22日 | 野鳥
松尾芭蕉が門弟への手紙の中で、鳥について次のように書いています。
ガンやクイナの声を俳句に詠む人が鳥モチや網で鳥を捕獲するのは、口と心が相反していて「うそつき」と言うべきで、本当の風流人から見ると哀れである。殺さないにしても、空を飛び、地を走る鳥を小さな籠に入れて楽しみにするのは牢獄の番人と同じ。籠を並べて「これは2両のコマドリ」「これは5両のコウライウグイス」と言いながら、すり餌を与えている人を見るとあさましく思う。


「奥の細道行脚之図」芭蕉と弟子の曾良(Public Domain)

日本野鳥の会を創設した中西悟堂は「野の鳥は野に」という理念を掲げたわけですが、それと全く同じ考え方です。
以前、当ブログで吉田兼好の『徒然草』の記述を引用して中西悟堂との共通点を指摘しましたが、「俳聖」と呼ばれる芭蕉もその思想の系譜に位置するわけです。兼好と悟堂は殺生を戒める仏門に属したという共通点がありますが、武家の家系で僧籍にあったわけでもない松尾芭蕉がこうした野鳥観、さらにいえば自然観を持つに至ったのは、俳句を究める中で人為的なものを排し、あるがままの自然を尊ぶことの大切さを知ったからでしょう。
初期の日本鳥類学会の重鎮であり文学や美術にも造詣が深い内田清之助は、「鳥の文学」という随筆の中で『徒然草』の一文を引用した後、「俳聖芭蕉もまた飼い鳥嫌いの大将であった。(中略)芭蕉が鳥や獣の声を聴いて喜んだのは俳人だから不思議はないが、彼の対象は常に野の鳥、山の獣に向けられていた。籠の鳥は彼を悲しい感傷に誘うのだった」と続けています。
「野の鳥は野に」という理念は、自然のままを重んじる兼好~芭蕉~悟堂という思想家たちによって、長い日本の歴史の中で脈々と受け継がれてきたわけです。
コメント (2)
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