2017/10/28 記
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鶴嶺高ボラ塾は、高1の子たちの特別授業として、防災・平和をテーマに年1回行われている。昨年私は、鶴嶺高のマンネリ化を感じて参加しなかったが、地域に「関係職の大人とつなぐ地元ティーンズ防災教室」を実現するために、「災害時、要援護者」支援活動への接点を打診する目的で、再チャレンジに踏み切った。
「災害時、要援護者」支援活動は大人さえも敬遠される分野なので、高校生なりたての子に、話が通じるか、正直言って期待していなかった。ところが予想人数を超え、25名の参加を得たために、逆にそれが教員の統制配置の力を感じて、彼らに響く接点を沈黙のうちに避けられてしまうことしまうことを恐れた。規律、礼、お願いしますという対応は、実は背筋が寒くなっていた。や・は・り…である。
前回も書いたが、大規模被災下、彼らが大人の手伝い以外に、独自の領域でお願いしたいことは、
1)避難生活時、大人に自由時間を与えること
2)御用聞き支援
という2つの柱があることであると伝えたかった。
特に1)は説教じみて聞こえ、反発を招くので、できる限り避難状況をリアルに語ることに徹した。
*家族・知人・家屋の喪失と、臨死体験
*長期間公益のために自我を抑圧し続ける緊張
こういうストレスフルな環境の中で、なおかつ萎縮せずにボランティアに身を置くのはなぜか。またその綱渡り的な行動に活路があるというのはどういうことか。そのバランスのこと。ひとは自分のこ無とより他者に対し夢中になれる社会的生き物である自覚。その活動に身を置くという場こそ自分が見える鏡の立ち位置になっているという事例。
家族の失踪と探索・家族の疲労衰弱と傷病罹患対応と臨死・家計破綻回避対策・育児補償・疎開による家族分断というような家族関係の激変が起こることに対する周辺支援活動の意味。
中学時代の近隣友人とつるめ。高校では離れすぎている。
同様の支援活動する友人と、困惑を分かち合い、協力の形を互いに探れ。このとき、どの大人とどうつながるかを知っておくことが肝心なのだ。日常の生活のケアの知識の大切さ。家族の命を支えるという凡庸な非凡活動の価値。平穏の影の維持の戦いの自覚。
2)についても語った。それは次回。
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母の発熱が収まらない。私は37度台に下がった。台風22号が近づいている。生協まで補充の買い物。
しかしひどいものだ、サポセンから口コミ情報が一切入らなくなった。昨日も子ども関連職の交流会があったという話が、終わってから話をつかんだ。今は災害対策ボランティアに身を置いているが、本来の話は、生きにくさを抱えた若い子たちへの支援だ。
来月18日の教会系の方か、思春期セミナーを行うので、申し込んだ。排除かな…。
医療的ケアの必要な障碍児者をテーマにした次回の懇話会の準備。参加してくれそうな関係者への打診を始めている。
ロキソニンを飲む。まもなく就寝。枕元はモジュラージャックを抜く。母の枕元に水を置く。やわらか食、平常食の3分の2、食べたのを確認。生姜を入れた鱈の白醤油煮。すりリンゴ+レモン。バター風味の炒り卵。
私はレトルトカレーとトースト。温野菜サラダ。
夜間傾聴:早期終業
(校正1回目済み)
p.s. すみません、書き上げた後「投稿する」ボタンを押さずに眠ってしまいました。
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鶴嶺高ボラ塾は、高1の子たちの特別授業として、防災・平和をテーマに年1回行われている。昨年私は、鶴嶺高のマンネリ化を感じて参加しなかったが、地域に「関係職の大人とつなぐ地元ティーンズ防災教室」を実現するために、「災害時、要援護者」支援活動への接点を打診する目的で、再チャレンジに踏み切った。
「災害時、要援護者」支援活動は大人さえも敬遠される分野なので、高校生なりたての子に、話が通じるか、正直言って期待していなかった。ところが予想人数を超え、25名の参加を得たために、逆にそれが教員の統制配置の力を感じて、彼らに響く接点を沈黙のうちに避けられてしまうことしまうことを恐れた。規律、礼、お願いしますという対応は、実は背筋が寒くなっていた。や・は・り…である。
前回も書いたが、大規模被災下、彼らが大人の手伝い以外に、独自の領域でお願いしたいことは、
1)避難生活時、大人に自由時間を与えること
2)御用聞き支援
という2つの柱があることであると伝えたかった。
特に1)は説教じみて聞こえ、反発を招くので、できる限り避難状況をリアルに語ることに徹した。
*家族・知人・家屋の喪失と、臨死体験
*長期間公益のために自我を抑圧し続ける緊張
こういうストレスフルな環境の中で、なおかつ萎縮せずにボランティアに身を置くのはなぜか。またその綱渡り的な行動に活路があるというのはどういうことか。そのバランスのこと。ひとは自分のこ無とより他者に対し夢中になれる社会的生き物である自覚。その活動に身を置くという場こそ自分が見える鏡の立ち位置になっているという事例。
家族の失踪と探索・家族の疲労衰弱と傷病罹患対応と臨死・家計破綻回避対策・育児補償・疎開による家族分断というような家族関係の激変が起こることに対する周辺支援活動の意味。
中学時代の近隣友人とつるめ。高校では離れすぎている。
同様の支援活動する友人と、困惑を分かち合い、協力の形を互いに探れ。このとき、どの大人とどうつながるかを知っておくことが肝心なのだ。日常の生活のケアの知識の大切さ。家族の命を支えるという凡庸な非凡活動の価値。平穏の影の維持の戦いの自覚。
2)についても語った。それは次回。
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母の発熱が収まらない。私は37度台に下がった。台風22号が近づいている。生協まで補充の買い物。
しかしひどいものだ、サポセンから口コミ情報が一切入らなくなった。昨日も子ども関連職の交流会があったという話が、終わってから話をつかんだ。今は災害対策ボランティアに身を置いているが、本来の話は、生きにくさを抱えた若い子たちへの支援だ。
来月18日の教会系の方か、思春期セミナーを行うので、申し込んだ。排除かな…。
医療的ケアの必要な障碍児者をテーマにした次回の懇話会の準備。参加してくれそうな関係者への打診を始めている。
ロキソニンを飲む。まもなく就寝。枕元はモジュラージャックを抜く。母の枕元に水を置く。やわらか食、平常食の3分の2、食べたのを確認。生姜を入れた鱈の白醤油煮。すりリンゴ+レモン。バター風味の炒り卵。
私はレトルトカレーとトースト。温野菜サラダ。
夜間傾聴:早期終業
(校正1回目済み)
p.s. すみません、書き上げた後「投稿する」ボタンを押さずに眠ってしまいました。