湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/17 災害ミニカフェ/被災単身高齢者の覚悟に寄り添うこと

2017-10-18 05:52:21 | 地震津波災害ボランティア
2017/10/17 記
--------------
「火曜災害ミニカフェ」を再開した。今回は、熊本地震で我が家を全壊したが助かり、避難所生活に耐えられずに、テント生活していたが
決意し、夫が残した土地に家を新築し、資産使い果たし独居生活を始めた佐々木さんの心の遍歴を紹介した番組「FNSドキュメント大賞候補・私は私を全うする~佐々木ばあちゃんの熊本地震」(55分)を取り上げた。

親族のいない70代後半の話だが、見る人によっては、資産のある人の話だと話題を遮断するひともいるに違いない。身を支えきれなくなっても土地家屋を売却して入所施設で余生を暮らせると、新築をスタンドプレーであるという方もいるだろう。

私は「災害は被災者を人生に対峙させる」と考える。この番組の佐々木さんの異様なほどの笑みと明るさは、残された命を全うする使命を己に科したカモフラージュに見える。ひとは「人並みの安穏」を求めて「はぐれず」ついていくを良しとする。ところが災害をくぐり、各自固有の事情に気づき、家族を根拠に選択する。私が着目するのは、「被災単身者」の孤独のことだ。足跡を波に消され、高齢者の場合、再出発は困難なものになる。ましてや家族を失った者の再出発は、生き残った「科」を全うするという苦渋に満ちたものになる。これは貧富の差異を超えている。

被災者は自分の生活再建で手一杯というだろう。だが私は被災地には、複数のカフェが必要だと思う。少なくとも、吹き曝しにいるよりは、「背」を寄せ合っていた方が暖かい。何かの生の意味合いが生まれるかもしれない。災害ボランティアの寄り添い活動は、場を維持して時を味わう。佐々木さんの頻繁な笑い声も、自己確認を潜ませた饒舌な語りかけも、荷を下ろせる場になるかもしれない。

災害復興住宅や、残った方が住む仮設住宅でも自覚的なボランティアでない限り、活動が支えきれない。どうすれば、支えていけるか知恵が欲しい。今出ている案は「家賃無料で学生が住み込むカフェ」という案だ。

-------------

リハの団体は健康食品の販売を始めている。母に昼食を出して、私はサポセンで「災害ミニカフェ」に出向こうとしたとき、「にんじんジュース」を届けにきた。母の顔見知りなので茶の間にあげて話になってしまった。路線バスに乗り遅れ、タクシーとなった。

母は気が晴れたらしく、めまいも癒えたようで、対話の力を改めて感じている。壁の向こう、母の寝室、今夜は静かだ。

夜間傾聴:ひとり
     横市大の**君


(校正1回目済み)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 10/16 長期間の緊張と、ねば... | トップ | 10/18 私事ですが… »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

地震津波災害ボランティア」カテゴリの最新記事