湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

7/7 サポチガ「岩手報告会」に出席し

2011-07-12 05:46:58 | 引きこもり
2011/07/07 記
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被災地の夏場の悩みにハエ対策がある。腐敗臭に加えて不快害虫の大量発生が問題になっている。ペットボトルを使ってトラップを作る方法が拡がっている。この件は、災害ボランティアが知っておくと使える情報と思い、プリント化した。これから手渡そうとする方の分を残して、残部を持って、サポチガ主催の岩手ボランティア報告会に参加した。

母との昼食が引っかかって、会には時間ぎりぎりに飛び込んだ。茅ケ崎では、南三陸町、石巻、山田町に出かけるボランティア活動が中心になる。山田町かなと思っていたら、大槌町に6月末にボランティアバスに乗って行って来たという。15時から16時の一時間きりの報告会、忙しいのかなと思いつつ、話を聞いてきた。私は岩手県の話と聞いて、従来のメンバーではなく、面識の無い新しい方が活動報告してくれたら、私が陸前高田と大船渡に出かけるので、互いに岩手県どおしの交流が作れるかもしれないと淡い期待を持っていた。ところが、会を開けてみると、従来のメンバーが出かけたときの報告だった。岩手県大槌町に行っていたのは初耳だった。私がサポセンに立ち寄ることが少なかったからだろうと思っていたが、情報落差に虚しさが頭をもたげていた。

案の定、現地に行って、団体交流とがれき撤去・ヘドロ掘りを手伝ってきた話だった。被災状況確認体験と労力補助の話。

会の終わりに、発言があって、被災者の活動は命がけだが、ボランティアはそれだけの覚悟があるのかという質問が飛んだ。報告会出席者間の討論が始まり、現地で行われている活動の連携の質のことにふれつつ、その差異が決意の違いであるという話に及んで、割り込みたくなった。

災害ボランティアには長い連携の歴史がある。画像で紹介された団体の代表者たちも、雲仙のとき、神戸のとき、有珠山のとき、三宅島のとき等と、実は長年の御馴染みさんである。この人たちが参加することによって、災害ボランティアの経験とスタイルが伝えられ、動きが洗練されてきたという活動の蓄積がある。単純に決意の差に質の判断を還元できないといおうとして、私の発言のたびに、発言がかぶされて結局発言できず、たちまち時間切れになってしまった。

ハエ取り器を拡げる夏場という時期的な大切さや、私が18~22日、陸前高田と大船渡に出かける話を語ろうとしていたが、次の会合があったということで、蜘蛛の子を散らすように散会。何人かに手渡したプリントも、相手に意味が伝わらずに、コメントも出来ず。報告会は終了してしまった。

虚しさを感じつつも、現地に行って何かを取り決めてきても、湘南には受け皿はできないと思ったほうがいいと、腹をくくった。被災地では百名を越える自殺者がでている。生計支援は難しくとも、被災者の孤立の魔を遠ざけ、被災者の訴えに友として耳を傾けることは出来る。焼け石に水のような支援でも、見捨てないというポジションに立つことはできる。そういう直接の民間交流が、緊急避難期を過ぎた今、それゆえに、改めて自分の未来の絶望と向かい合う時期に入っているがゆえに望まれている。長期戦への切換期の支援を、「奇特な者の善行」に支援活動が封じられる前に、支援者の周辺にもリアリティが保てる活動が必要なのだ。この時期認識の無い活動を論じても、被災地外の人々の関心は一気に冷えていくだろう。逆に原発がその関心を維持している皮肉な側面すらある。

TVニュースで、海水浴が報道されていた。波打ち際にうつ伏せになって、気持ちよさそうに波を受けている男性の映像だった。

津波発生直後に、この映像を流せただろうか。溺死者を連想させることへの配慮とは無縁に、災害のかけらも脳裏におかず、波打ち際に横たえることが出来るその感性こそが、被災地外の実態なのだと思う。

日本はひとつという無責任なCMに全く運命共同体でもない者が湧き、さっさと冷えていく。「東北は大変だ」という相手を彼岸に押しやる切断が進行する時期に、なすべき活動の質を問うべきと考える。その上でのことだが、私は生身の命が露呈した坩堝(るつぼ)のような被災の現実から離れようとは思わない。それだけのことだ。

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前回直接渡せなかった獣医さんとペットショップに講演会チラシを配った。鉄砲道沿いを終えて、特に白浜町界隈をまわった。前回と比べて、「ご苦労様」の声を聞いたのは初耳だった。茅ケ崎保健所の地域災害対策本部**さんにチラシを渡したとき、「もし湘南に災害が起こった時の対策」にまで、考えていけるような活動を作る時期ですねとアドバイスをいただいてきた。今回の講演会が成り立つように、巡回を強めている。

「まずは人が第一、獣はそのあと」という発想が一般的だ。その発想のおかしさは、遺留品回収ボランティアたちの家族写真やアルバムなどの回収活動と比較して見るとわかる。他人にはゴミにしか思えないが、被災者が生きてきた証しである。大事な「もの(慰留品)」回収に、「人が先」と、この活動を否定するだろうか。私はすべての支援活動をペットレスキュー活動に絞ることを主張しているのではない。ひとを癒し、ひとをつなぐ架け橋となる大切な活動、今の時期だからこそ必要になる活動だと思う。民間交流の手がかりを孕んだ活動だ。他の領域の活動も立ち上げの手がかりを探しに岩手に行く。同時に現地の方が立ちあげたペットレスキュー団体と接触してくる。

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事情があって、橋本で会う方に海老名まで足を運んでもらった。南橋本君の訪問だった。面談を済ませた。すとんと眠くなり、相模線はいつの間にか茅ケ崎に着いていた。焼き鳥塩、ひとり3本ずつ買って帰ることに。ダイエットというつもりではない。

夜間傾聴:なし


(校正3回目済み)



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7/6 ペットレスキュー活動紹介講演会(7/17)チラシ完成、配布開始!

2011-07-10 16:41:48 | 引きこもり
2011/07/06 記
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JR相模原の会議に出た後、橋本3君の親御さんと会う。ゴルフ場の夜間の仕事を紹介されたがどうだろうかというものだった。高卒認定試験が近い。アルバイトをすることは、彼の進路変更につながるが、その辺をどう考えるかを話してきた。親御さんの思いは複雑だ。彼の進路をどう考えるか迷っていた。私にも明快な判断を下せるものではないから、額を寄せ合ってその資料を覘いていた。

相模線北茅ケ崎で降りて、島忠で接着剤と梱包材を探す。高い。諦めて中央公園を通って茅ケ崎サポセンへ。

チラシとポスターを印刷する。環境を考えてコピー用紙も再生紙を使っているので、ポスターの色が映えない。時と場合だなと思う。印刷もA3で2枚分印刷し半裁する。考えてみれば、この印刷機を使った印刷は久しぶりだなと思う。

環境保護畑の**さんと出会う。太陽光発電パネルのメインテナンスの話と遮光ゴーヤカーテンの話。ゴーヤは水を切らしてはならない。育てないかと誘われたがお断りした。気分を害されたようで、困ったなと思っていると、頭に浮かんだのが浜見平の親子だった。ベランダが殺風景だからと鉢植えを育てていたからだ。早速電話すると団地だからカーテンというわけにはいかないが数株ならとことなので、話を決めた。

サポセンに置く分の手続きを終えて、急ぎ市役所へ。市民自治推進課・防災対策課・環境保全課をまわる。防災対策課・環境保全課ではポスターも受け取ってくれた。市教委生涯教育課を通じ公民館・図書館掲示出来た。全市議会議員に配布し、秘書課によって、少々説明。読んでくださいに留めたが、次の茅ケ崎保健所の茅ケ崎・寒川防災本部に飛び込んだ。ペットレスキューについては、協力は明言されないが、茅ケ崎の対策を立てている時期でもあって、タイムリーだということや、団体判断をさせてもらうという話もあった。前回団体の信用調査を受けていたので、今回はスムーズに了解をいただいた。週明けになってしまうが、県獣医師会の対策本部の方にも、チラシを持っていく。今回県へは協力依頼というより、情報提供である。

バスで中海岸の山口動物病院の院長さんから訪問開始。鉄砲道沿いを平和町まで歩いて配布。前回と受け取りが全く違う。進んでチラシの掲示をしてくれた。

富士スーパーで買い物。家に小走りで戻ると、母が膨れっ面をしている。19時半近くになっていた。作り置きの野菜を炒めてざっと仕上げるが、食べたくないという抵抗にあう。犬は手間掛かるから嫌だからねと念を押される。犬ではなく我が家は猫ですよといいそうになってやめた。障子だらけの古い家である。幽霊屋敷化するからいかんと言い出すに決まっているからだ。機嫌のいいときは、大人しい種類の猫ならと言っていたが、今は話すタイミングではなかった。通い猫故・キナコのなれなれしい態度で免疫が出来ていたことが大きい。

ともあれスタートである。これから市内巡回が始まる。



夜間傾聴:橋本3君(仮名・親御さんより)
     南大沢君(仮名)


(校正1回目済み)

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7/5 慈恵医大病院眼科へ/知人のつてを探りつつ巡回準備メールを

2011-07-10 15:01:45 | 引きこもり
2011/07/05 記
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眼のかすみがひどいので慈恵医大眼科に行く。予約ではないので、担当医ではなく、応急処置しかしてくれない。結局、アレルギーを疑ったのか、市販のアレルギー治療点眼薬と同じ処方の薬と人工涙液が処方されただけ。人工涙液は家に残りがあるからと嘘を言って断った。生理食塩水を作ったほうがまし。

様子見、眼の酷使を控える等、常套句を聞いただけだが、カルテに経過が書き加えられたこと程度の意味しかない。ドライアイ状態ではないという情報は得たが、突発的に眼がかすむこの事態は足枷だ。

違う質の診療を受けるには、京大にいかないとという話や、眼圧を下げる手術を受けてもその効果がどうなのか調べたが、患者の選択材料に足るものではない。繰り返し、眼がかすむたびに医師にかかるが、ようするに原因が網膜色素変性症由来の症状なのか、別の原因によるものなのかを識別できないから、様子見として、症状悪化防止の無難な対策でたらい回しするのだと感じる。私としては、急な悪化を疑う必要がないのかなと疑問符付きの小さな安心を得るだけだ。しかし、かし、かすみはかすみ。どうしようもない。

神保町に出て、教科書不足分を発送してもらう支払いを済ませ、相模大野校に報告を入れる。領収書をもってこいという紋きり型に腹をたてつつ帰りに寄ると返事をした。いつもこの事務員と衝突する。マクドナルドのおねえさんは、微笑んでくれるが、常に片手間風応対する事務員はいただけない。

刺激物がどうの、糖尿病のカロリーがどうのといわれそうだが、行きつけのカレーを食べて、四ツ谷に立ち寄った。眼鏡屋の本店に寄って、近距離専用の眼鏡を作る場合の遮光の補助がどうなるかを聞いた。やはり眼科医の診断書が必要で、近距離のみの場合、遮光の補助はふたつめであることもあってだめかもと聞く。眼鏡を調べたらレンズの取り付けが少し緩んでいた。汗のせいだ。しめなおしをしてもらい、無駄足にはならなかった。新宿経由で小田急線で相模大野に着く。領収書を出すが事務員は銀行にでかけていて、不完全燃焼気味の澱を飲み込んで帰宅。

眼科の処方、この処方なら地元眼科医でもいいのだが、網膜色素変性症を嫌がる医師もいる。大学病院の紹介状をと言い出すのだ。専門病院と地元医との分業のような発想はまずない。あいまいに自分の範囲の治療を黙って続けるか、検査機器を理由に大学病院に行けというだけなので、自分の出身大系の病院なり、病院勤務していたところの紹介ということなのだろう。気分転換のシャワーを浴びた。

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片目をつむっていたほうが楽なので、夕飯の支度を先に済ませて、PCメールに集中することに。そこに母がFAXが入っていたと持ち込んできたのは、JTBに頼んでおいた陸前高田・大船渡の市内路線バスの運行状況資料だった。私がある会合で神戸に行ったとき、宿泊トラブルの責任を果たしてくれた方で、それ以来何回か厄介なお願いをしてきた。感謝のFAXを返したが、路線が復興しているかどうかよりも、もともと本数が少ないのだとわかった。私の動きたい地点を結ぶ路線は復活していたが、現地移動は厳しいものがあることを改めて知った。

今回は、ある私学の小学校の教頭先生にメールを出した。事務局にお願いした手紙は、小学校ではなく幼稚園に届けられていた。チラシを早急に仕上げ、一度それを持ってお邪魔することに。

もうひとつは、私がフリースクールっぽい塾を開いていたころ、下記合宿は阿武隈洞、入水洞という観光洞の近くにキャンプした。自然観察会にいわき市の地学教員グループの応援を受けていた関係で、岩泉町の関係者や岩手県の生物・地学関係者と知り合いが拡がった。塾生有志を岩泉町周辺に足を伸ばさせていた。当時の先生達は既に定年退職され、世代交代していたが、彼らOBの紹介を受けて、宮古市在住の方と遠野で出会えないか打診していた。今回の震災のとき県内教員の有志のボランティアを立ち上げていたから、そこから大船渡、陸前高田へと紹介を拡げて欲しかったからだ。先生のお宅は内陸部で津波被害は受けなかったが、自身の被害を受けてお宅は半壊した。無理なお願いとわかっていたが、応答は無理。ただ八月中に東京にお出かけになるので、そのときに東京で会いましょうという話になった。うーん、うまく行かないなと思いつつ。

民宿泊が決まったので、そこのご主人に地元小学校を教えてもらうことに。

ジグソーパズルのようだ。チラシを早く印刷しなければと思う。5日、サポセンで印刷することに。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・親御さんと)
 

p.s.「災害ユートピア」
夜間定時間読書開始、電話の前で。


(校正1回目済み)
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7/4 眼の調子悪化/ペットレスキュー活動の紹介を小学校教員の皆さんにも

2011-07-09 10:41:24 | 引きこもり
2011/07/04 記
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伏兵が潜んでいた。また眼の調子が悪い。レスキュラ点眼薬(眼圧降下剤)は一日2回の処方だが、1回多くしてしのいでいる。眼が日によって急にかすむ。眼精疲労治療用目薬は、その場でしか効かない。涙腺が炎症気味になる特徴があるので、そのことを医師に言うが、聞き流されてしまう。結局相模線や小田急線は眼を閉じて仮眠の時間となってしまう。

17日の講演会を小学校教員の方々にも紹介することにした。授業の中で災害とは何かということを伝えるべきだが、どう伝えるかということを考えている方を知った。北海道の先生だが、東日本大震災のことを語ろうとするが、異常に刺激の強い画像を出すか結果の風景を出すかと悩んでいらした。それは語るべき核心ではないのではないかと私が以前指摘していた。この議論は奈良**大のMLでも話題が続いているが、私は「ひとの生活と被災」から語るべきだと言っている。方法論レベルの問題になるが、被災者のプライバシーがあるので、顔の写っている画像は使えないと扱いの難しさを語る方が多い。

私が被災犬猫の保護の話をしていることを取り上げて、犬猫ならねと語る方がいるのだが、これも変だ。子どもが自分のことと関連付けて考える入口は何だろう。自然現象の大きさへの畏怖だろうか、被災という事態がどういう事態なのかを被災者の状況から感じ取ることなのだろうか。私は学習の本源にある再構成の営みが躍動するのは後者なのだと思う。ペットという友達の眼を借りて、被災を考える。災害をではなく、被災をである。その幹が育てば、様々な情報が意味を語り始める。価値ありと思い、まずは近隣地域私学から、談判を始めた。今回の笹部さんの語りから、きっとヒントが広がるはずだ。陸前高田や大船渡に行ったとき、小学校を訪ねようと思う。教員は被災とその後の生活が一番鳥瞰できている方かもしれないからだ。

3日は相模大野校のほうの授業だったが、帰りに藤沢のパトロールの日だが、この線をもう少し企画化するために、参加をしなかった。相模大野には網膜色素変性症の専門医のクリニックがある。最悪のときは飛び込もうと思ったが、幸いレスキュラが効いた。明日、慈恵医大眼科にたちよるつもりだ。

「コミュニティ・スタディーズ」の中身は、ちょっと私の関心とずれていた。力作なのだが街づくりの観点が多く、生身のひとが消えてしまう。しかしお勧めなのには変わりがない。

夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)

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7/3 東北巡回前の授業コマ数稼ぎを/「コミュニティ・スタディーズ」入手

2011-07-09 09:49:44 | 引きこもり
2011/07/03 記
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東北行の準備のために、授業予定を大幅に入れ替えた。目的を上司に告げてあるが、相模大野校の方は引きこもり以外の社会活動に理解があるわけではないので、飛田の病気が始まったとばかり呆れている。怒りにならないのは、爺ぃだからで祟りがありそうだからだ。係わるなというのが校是のようだ。(飛田天神の祠があるわけではないが、感謝。)

それはそうとして、問題は巡回しているJR相模原の塾の若者たちのことだ。教室の授業と違って、やたらと代行をたてられる状態のものではない。通学が難しいから巡回しているので、トラブルが起きたときは、直属の上司か塾長がフォローに入ってくれるが、逆に言うと普段、塾長・上司が都合の悪いときの代行をやらねばならず、夏期講習体制が挟まってくる時期、出勤がじわり、教材事務関連が爆発的に増えている。ブログの遅れはそんな事態の結果で申し訳ないが、確実に書き込んでいくので、お許し願いたい。

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友人から2日(土)の文教大湘南CのNHKチャリティコンサートのことで、誘いがあった。脱原発など生ぬるい、反原発だと目立ち始めた白髪を振り回す化石人間のひとりだが、東北行準備で無茶苦茶なのでと断った。とあるオンライン新聞の記者経験のある研究者だ。

ともあれ橋本3君の暑苦しい面談と、淵野辺君(仮名)の手料理談義が混ざった面談を済ませ、JR相模原の久々の社会人混成クラスの授業を「片付けた」。母の地元内科医通院が午前中にあったが、調子はいいようなので、調子が悪ければ携帯呼び出しをかけるようにと念を押して、プライドに傷ついたか渋々うなづいていたが、ともあれ通院は任せて出てきた。

途中、移動時間を使って、マスクや軍手や携帯充電器を買った。得体の知れないメーカーの充電器しかないのが不満だが、消費延長の小型充電(補電)アダプタよりは用途がある。ただコネクタコードがケースに作りつけであることや、蓋がすぐに開いてしまうところが安物の証拠、ここから壊れる。信頼度の低いものしか得られないのは不満だが、今回の宿泊が変更が入らなければ民宿なので、これでやり過ごすことが出来るだろう。

土日がはさまると、被災地を少し離れると行政は休みだ。地元のペットレスキューの関係者にメールのコンタクトをとることを始めているが、思うように話がかみあわない。あとは地元企業さんへの連絡だが、下手をすると大船渡から盛岡往復をしなければならなくなるかもしれない。本部が岩手大学の構内だからだ。時間と交通費で食いつぶされないように、提案の吟味をしている。大船渡<>盛岡片道2千7百円。遠い。小回りの利く車が欲しい、贅沢ではあるが。しかし手持ちカード(湘南で何をなしうるか)無しなので、シュミレーションをしていても冷や汗をかきどおしだ。たるんだ腹では影腹も効かない。ノックしなければ、事が始まらないという信念または妄想だけだ。双方納得できる企画にしたい。そう思うのだ。

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キャベツ半分、白だし醤油(天翔)と鶏ササミとわけぎを買って帰る。母の警戒感強まる。

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「コミュニティ・スタディーズ」入手。

「共同体の救済と病理」の追加注文。長崎浩さん、お懐かしや…。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     大森君(仮名・傾聴にあらず)


(校正1回目済み)

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7/2 ペットレスキューの紹介講演会の講師了解を得て/巡回相談の後始末を

2011-07-08 08:21:48 | 引きこもり
2011/07/02 記
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17日のペットレスキューの活動紹介講演OKの、了解をいただいた。チラシやポスターを至急作らねばならなかったが、会場費の「減免」が引っかかっていた。

私の狙うもう一つの意味は被災者家族との直接民間交流にあった。ところがいくらペットの一時預りを媒介にしたとしても、私たちの活動を引きこもり青年の社会復帰活動としての通信発行活動と銘打って、障害福祉課や教委の支援を受けるのは無理な話だった。

またペットレスキュー活動は、平常時は、飼育放棄されたペットの殺処分を回避保護する活動がある。特に災害時、放浪動物の保護や、被災地でのペットの一時預かりなど非常に活発になる。前者なら環境保全課が、後者なら防災対策課がということになるが、これらの課には、震災発生以降、初めて対話を始めたセクターだったので、「減免」には、私たちの活動の経歴説明や、なぜ他課ではないのかを説明する必要があった。

時間不足だった。実際上、会場費は大きな金額ではないので「減免なし」ということで支払いを済ませた。市の後援などは無理な話だったので、後の仕事はチラシとポスターを作り配布しなくてはならなかった。

ところが私は、今回被災猫を数匹引き受けるつもりだが、現時点で自由に撮影可能なペットがいなかった。今回の引き受けは、動物アレルギーのある父が老健入所し、受け取りの条件ができたからだった。

チラシ作りの画像は、だからフリー画像を使う以外、手っ取り早い方法がなかった。しかし講師笹部さんの保護している犬猫は、北浦さんのドッグランの大型犬と同様に、被災のトラウマを残しており、フリー画像の愛くるしい様相とは違っていた。そんなに時間を潰すのは愚かしいのだが、イラストと文の断片を貯めて、間際の日にまでその続きを保留していた。

また講師の持ち込み画像を投影するために、パソコンを用意しなくてはならなかった。私の持ち運び用のPCはLINUX専用機になっており、自宅外のインターネットアクセスや投影テストが必要だった。市民活動サポートセンターのラップトップPCは、館外貸出できるものがあったか確認が必要だった。

今日の段階でチラシの原案は完成。あとはサポセンで印刷する出かけるタイミングを作るのみになった。


また東北巡回の方も18日からの陸前高田・大船渡行は宿泊先が決まっていなかった。現地ボランティアとともに、遠野や住田町本部に合流して宿泊申請すれば、全国のボランティアさんに出会うことができる。しかし、今回の私の巡回は、地元企業の**さんや、行政の方、現地のペットレスキュー団体関係者の方などと面会し、サービス受注型支援、民間交流支援の芽を生み出してこなくてはならなかった。また、障がい者諸施設・高齢者諸施設・HL関連団体とも接触したかった。

全国の現地ボランティアさんと交流する際、先方の分野がこれらの分野に接している可能性は低く、私が求める「被災者の方の活動」と効率よく会えるとは思えなかった。その意味で、動きやすい自前の宿泊所を確保するつもりでいた。もちろん、こうした地元施設めぐりなどに便がよいなら、宿泊所に迷惑をかけてしまうが、無理にでも宿泊所泊を頼むつもりでいた。

高台の民宿等の営業継続中の宿を探した。陸前高田市観光協会は、被災後HPの更新を中止していた。じゃらんなどの観光斡旋業者は、陸前高田から、はるか離れた市外の宿しかなく、自前で民宿を見つけて交渉する以外なかった。しかし、7/19&20の部屋の空きはまったく無い状態だった。大船渡市に中心を移して、やっと民宿が見つかったが空室は全滅だった。これではアポ取りに話を進められなかった。

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橋本3君の親御さんと会った。万引きと誤解される例は今回が初めてでは無かった。その都度、経営者さんに発達障がいの特徴を説明する役割だった。しかし、話を理解してくださる方よりも、「むずかしいことはわからないけれど、常識を持っていないのは親のしつけができていないのだし、障がい者なら、迷惑かけないように親が見張ればいい」と言い出すのが常だった。「むずかしいことはわからないけれど」と先方が言い出さないように、先手を打って話をつないでいかなくてはならなかった。

橋本3君の親御さんに、今回の件について、とりあえず正社員の店員さんに話をしてきたことを告げ、実は橋本の駅で彼と会うとき、時間調整時、彼が猛スピードで雑踏の中を走るため、通行人にぶつかり、そのトラブルを仲裁したことも何回かあったと話した。SSTを受けたほうがいいと勧めたが、相模大野の神奈川エースに行ってみないかと誘うが、よい返事はもらえなかった。私がすこしずつSSTもどきをやっていかなくてはならないのだろう。

18日から22日まで夏休みをいただき、旅行すると親御さんに伝えたが心配が広がるばかりだった。

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今日は母と粕漬けの魚で遅い夕食。食事後、睡魔に襲われ、2時間睡眠をとった。


夜間傾聴:南大沢君(仮名)

(校正1回目済み)


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7/1 父の入所先の老健で七夕の打ち合わせを/湘南子どもネットワークの講演会に参加し

2011-07-07 13:06:07 | 引きこもり
2011/07/01 記
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昼過ぎ、橋本からの帰りに、平塚の父の入所している老健に立ち寄る。8日の七夕見物の打ち合わせと、父の生活上の諸費の支払いを兼ねていた。訪問時には寿司のような生ものや塩辛く柔らか目の煎餅などを持っていく。給食では出てこない、味の濃い食品が好まれるからだ。

しかし寿司と言っても、実際は数個。となるとなかなか上等のものはなかなか持っていけない。肝心の店が回転寿司を除くと見当たらない。加えてこれらの寿司屋は持ち帰りを嫌がる。鮮度と握り具合が厄介で、型崩れしてしまうからだ。おのずと回転寿司や食品売り場のパックの寿司になってしまう。この寿司は鮮度保持剤などで、しゃりの粘性を高めて型崩れしないようにしている。醤油もたまりなど使っていない。しかし少量パックがあるので、つい、このパックを買って、老健に出向くことが多くなる。

老健に着いた時、母から電話が入ってきた。8日、母のペインクリニックの治療が決まったから、午前中用件を入れないで欲しいと念を押すものだった。母に午後からの父の七夕見学の段取りを確認に老健に来ているのだと話すと、母の言葉が止まった。案の定、父のことを忘れていたのだ。この年齢独特のドライさというか、若い頃の父の高圧的な性格から見きりをつけているような女性のしたたかさを感じて、こちらも応答に困ってしまう。両親の顔ではなく、連れ合いの女性の顔が覘くからだ。連れ合いを失った者としては、突然の奇妙な孤独感を感じてしまう瞬間だが、ひとは他者と重なる意識のなかを生きていることを感じさせられる。父の姿は近未来の私の姿かもしれないという意識の仕方のことだ。

母の受診先は藤沢市内なので、午前中母に連れ添い、辻堂か茅ケ崎の駅前で母を路線バスに乗せれば、その足で平塚に向かうことが出来るので、時間的にもなんとか出来る。母に了解した旨の応答をし、今夜は南部浩一郎氏の講演会を聞きに出るので、軽く食事をしておくようにと、やんわりと母の「孤食」批判を先手を打ってかわしたつもりでいた。遅い時間はダンピングのもとなので、食事はしないと語気の強まった応答が返ってきて電話が切れた。曾祖母のころからの介護である。父は5人目、母はとどめの6人目である。終わりきるための介護と考えると、生に連れそうことへの私のこだわり、他者への命の希求のようなものが見えてくる。全うする、閉じるためではなく、生きることへの関係の中に私はありたいという願望のようなものだ。唾液を飲みこんで、無理矢理拳を開いて老健の事務室に飛び込んだ。全くゆとりのないしょうもない話である。

結局、打ち合わせは大きな進展は無かった。平日なので男の参加は少ない。ただ老健集合ではなく、平塚の市民センターで車椅子のままの父が乗せられたマイクロバスを待ち受けて、合流することになる。男手の必要も、どうやらボランティアさんの確保が出来たので必要ないとのこと。列を作って見学する形にして自由行動の時間を取らないことで、人員不足を解消すると話を聞いていたが、今回は少し状態が緩和されるような話となった。

諸費の支払いを済ませて、父のいる認知症フロアに向かう。老健はただの仲介となる他社サービスの支払いは自動引き落としというわけにはいかない。老健の立替え分を支払うことになるからだ。領収書をポケットにねじ込んで父に会う。ポケットに隠した菓子を出せと、父と同じテーブルを囲んでいる、私にとっては兄程度の年齢の方に、突然菓子を要求された。私を職員と間違えていた。ベッドの方においてあるよ、もう夕食だから、後で食べようねと嘘をつく。職員がいたら怒られてしまいそうな嘘である。ここも「夕食が近いから」>「後でベッドで」という順を崩しては通じない。理由を先に持ってくると意識が追ってこれないのだ。悲しいが流儀というか経験の世界なのだ。しかし配置が変わり、隣のテーブルにいらした方が父の隣に引越してきたのだった。

父は中空を眺めていた。日本画のようなつかみ返された空間、様式を手がかりに大きく再構成された抱え込まれた自然空間のような濃密な空間ではなく、父のいる空間は寝入りばなに体験するような、私(し)が溶け出したようなまどろみの空間の中に父はいた。眠いのではなく、疲れに引き込まれている風に見えた。

声をかけると、突然視線を私に向けて「下に行くのか」と父は私に応答した。どんでん返しの舞台のように、父は突然意識の世界に帰って来た。この問いかけは、父が私をわかっていることを示していた。しかしいつもの父とは違い、酔ったもののように、身体が意識とは別に弛緩し溶けだしていた。様子がおかしいので、フロアのセンターに立ち寄って話を聞いた。父は持病の便秘で今朝苦しんで排泄を済ませて疲れているとのことだった。我が家の2階すべてを使った父の部屋は1年経った今も扉を閉ざしたままだ。窓を開けて空気を入れ替えているが、父との激戦の後は今も階段を吹き降ろしてくる風が匂う。清拭などでは落ちない排泄物の匂いを連想していた。そのころと比べると、父の体から動き(活力)が消えうせた。

理由がわかったが、3~4人ずつ車椅子のままテーブルを囲むようにグループ管理が行われているが、以前父の隣にいた方の認知症が進み、日によって昏睡状態になってきたので、センターに一番近いテーブルのグループに代わったのだと言う。ただ父にとっては片言でも話をすることの出来る、職員以外の方だったので、父の話し相手は職員だけになってしまったという。これはこわいことだ。しかし父に会いに毎日通うことは出来ない。看護師さんに、声かけを頼んで車椅子をエントランスホールに下ろした。

父の入れ歯はもとに戻っていたが、寿司に手をつけなかった。悪かったと謝る父は認知症の状態の改善が読み取れた。配慮は高級な精神の活動だ。七夕の話をするがどうも乗らない。父は耳が一層遠くなったが、話が伝わっていないというわけではない。何か気になることを抱えている風だった。便通だろうと予測して話しかける。当たりだった。父は社会性からおむつの排便を嫌がっているというより習慣的な不快感が以前から強かった。紙おむつを持っていくからと言ってもそれは受け入れないのだ。外に行くという緊張の中の不安が父にはあった。

結局父をもとのテーブルまで戻して帰って来たのだが、8日の七夕企画の退色は留めおくことが出来ず。憂鬱を抱えて平塚に戻った。

認知症に困ったのは曾祖母と父だけだった。しかし眼差しという意志が時々現れる父はきっと軽症というのだろう。母に夜食の弁当を買い込んで、私の食事を急ぎ、飯を掻き込んで、茅ケ崎市役所分庁舎5Fの講演会会場に10分ほど遅刻して飛び込んだ。

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南部浩一郎氏の講演は「支援が必要な子どもへのかかわり術」という療育の基本認識の講演だった。10年ほど前と異なるのは、自閉症スペクトラムの発想の受け入れ、療育対象に高機能の方が位置づけられたことだ。私が係わってきた子たちとは年齢層が違うが、不登校・引きこもりの子(?)たちの背景に重なることの多かった軽度発達障がいを伴う子たちとの接点が浮かんできた。観客の多数を占める保母さんや幼稚園や小学校の先生の発達に係わる視座と親御さんの養育の視座との境界に私は位置している。しかし、訪問の激減から学齢期の方の個別の接点は失われて3ヶ月を経ている。自分もまた彼らとの会話に癒されていたことを感じている。

南部氏の講演は教員研修のような印象を受けていた。むしろQ&Aの方が面白いと思っていたのだが、質問は出なかった。火付け役のつもりで、絞り込まれていない質問をした。「(教育という場にあって、)家庭生活の日々の変化をどう取り込んで対応しているか、その経験的なかかわり事例があれば話して欲しい」と頼んだ。授業集団のなかの個々の子をどう受け止めていくかという話なのだが、南部氏は自分の療育の場を想像されたようで、話がかみ合わなかった。火付け役としても失敗してしまった。いつも観客からの質問は低調。遠慮気味なのだが、滑ったなとの反省。

この会場には、なかなか会うことの出来なかった何人かの方と会うことが出来た。災害ボランティアとの関連は明らかにずれている。陸前高田行を7/18~22としたことを伝えることが出来た。ただペットレスキューの支援活動も、サービス発注型支援を組み立てることも、予想外の困難がある活動であり、その辺の認識と見通しのことについて話したい方も同席されていた。しかし基本は協力は求めても足手まといにはならないという基本姿勢を貫くためにも、私は地元のみやげを持たずに陸前高田・大船渡に行くことに決めた。それでそのまま帰宅したのだが、民間交流(対話)を生み育てるという観点を私は鍵と思っているので、その橋渡しとなる性格を持った企画を探り出してくる。

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家に戻ると橋本3君の件で、相模原の塾から何回となく電話が入っていたという。母は塾も市民活動もへったくれも、息子の家事労働の手抜きの黒幕と思っている。庭の芝の乾燥枯れの始末で業者を入れたが、そのおかげで外出できなかったと文句を言っていたが、私には昼に会ってきた橋本3君のことが気になっていた。塾へと連絡を取ると、塾長は帰ってしまったが、橋本3君の親御さんと何か怒鳴りあっていたという。余計不安になって、予備情報なしで橋本3君の御宅に電話。また彼が窃盗と間違われた件で、飛田がすぐに対応しなかったという怒りだった。私が父の老健にいた時間だった。母が情報を止めていたのだった。

スーパーの棚の商品タグが落ちていたので直したというのが彼の言い分。それを見咎めた店員に手を上げてしまった。もう何度も同じことを繰り返していることなのだが、親御さんは働いているため、貰い下げに出向けなかった。そのとき私が間に入ることが多かったのだが、今回は応答がないと、塾長に文句を言いにきたらしい。経過を説明し謝罪。親御さんも追い詰められているからだ。塾長が仲裁に入ったので、警察沙汰にならずに済んだが、後で塾長から電話があり、タグを取り付けるのに商品棚おろしをやってくださったという。いつもの「きちんと直した」なのである。ここ数日、彼の指導を続けなければならなくなった。

母は自分が悪者にされていると思ったのか、買ってきた弁当に手をつけずに寝室にこもってしまった。家族はふたりになると依存性が高まる。それが子どものような行動につながってくるのだが、18日からの東北巡回が心配になってきた。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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7月17日のペットレスキュー紹介講演会のチラシが出来ました

2011-07-06 06:16:03 | 引きこもり
以下がチラシの文面です。

---- ここから -----

2011/07/05
被災地の犬猫の飼い主さんを
支援する湘南の会準備会
「わーく」編集部(SFC)

東日本大震災から4ヶ月を経ようとしています。被災地の様子も緊急避難の様子から復活のための長期避難へと様変わりしています。福島では原発避難があり、岩手や宮城は、家族が仕事を失って、先々の不安が被災者家族に忍び寄っています。

仮設住宅に移り仕事を再開し始めた方と、以前避難所生活から出られない方との生活の違いが分かれ始めていると聞きます。なかなか見通しのつかない方は、当分8万人弱(縁故避難を含む)の状態が続きます。私たちは、生活面のなんらかのお手伝いができないかなと考えました。

こういう重苦しい時期に、人の心を癒してくれるペットたちが、避難所では迷惑な動物にされていたり手放すことを余儀なくされていたりしており、一方、ペット自身も飼い主をなくしたり、災害の恐怖から人間不信と神経症が拡がる異常な状態になっています。

単身者、とくに高齢者の飼い主さんには、犬猫は、かけがいのない家族となっていたにもかかわらず、避難生活には重荷になっている場合も出ています。
こうした現状に対し、ペットの一時預かりをしたり、散歩の代行をしたり、福島では放浪動物の保護をするなど、現地で頑張っている「ペットレスキュー」の皆さんの活躍があります。神奈川でも、被災者のペットの一時預かりや、新しい飼い主さんへの譲渡・アフタケアをしています。

今回、その現地の活動の様子を紹介する会を持ちます。ペットレスキューの活動紹介の講演会にいらしてください。無料です。流出アルバム・写真などをがれきの中から回収するボランティアと同じく、他者にとっては無価値に思えても、当事者にはかけがえの無いものであることを忘れずに、この被災者のペットの飼い主さんとペットを支援したいと考えています。


テーマ:「東日本大震災 被災者と犬猫たちの避難生活」
講師:笹部 圭以 氏(動物福祉推進協会CPAC・横浜市動物適正飼育推進員)
日時:2011年7月17日(日) a.m.10:00~12:00
場所:茅ケ崎市役所分庁舎コミュニティホール5階A会議室
問い合せ先:本ブログ・コメントへ 飛田

---- ここまで -----
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6/30 17日のペットレスキュー紹介講演会と、サービス受注型支援を作る陸前高田行

2011-07-05 03:15:58 | 引きこもり
2011/06/30 記
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市民自治推進課に団体登録の更新手続に行く。しかしそのことよりも、私には茅ヶ崎が取り組んでいる石巻・南三陸町とは地域の違う、岩手の災害ボランティアに取り組んでいる団体の活動の情報が入っていないか情報収集することの方が実は気になっていた。

奇妙なものだ。市民活動サポートセンターに出入りしながら、行政にまで情報網をかぶせるほどに、災害ボランティアは、その中心の流れから外れると情報がぷっつり途絶えてしまう。18日までには防災対策課や実行委などの関係者まわりを済ませるが、私の作りたい支援におそらくは、歯車がかみ合うものはないだろう。激励に沈黙し、支援に耐えている、公的にも民間からも欲しい支援が得られないそう感じている被災者、外からは見えない被災者を追うことになるからだ。地元に有志を見つけなければ、余計なお世話と、遮断の向こうの手探りに終わることになる。

生活再建と子育て・就労と生計について、民間がなしうることはないのだろうか。独居の単身者・傷病罹患者・独居高齢者・障がい者・母子家庭・被災して家族を失い単身者となった方・両親を失った子ども等の福祉の領域などに民間支援の手立ては届かないのだろうか。

私は6月12日付の毎日新聞のアンケートの読み解きをしている。「東日本大震災:休業・失業…避難所は47% 毎日新聞調査」である。半月も前のアンケートなので、状況は変化している。しかし、無作為抽出した過去のアンケート回答者の中から、86人が3ヶ月目の現状を踏まえて応答したものをまとめたものだ。

「当座の生活資金は十分にありますか」という問いに避難所生活者の「52%」が、ある程度や十分にあると回答している。避難所以外ではその数が「67%」に及ぶ。「あまりない/全く無い」と回答した人は、避難所で36%、避難所以外では29%となり、「今後の生計のめどは立っていますか」との問いには、避難所で「45%」が、避難所以外では「19%」の方が「全くめどが立っていない」と答えている。

この調査は被害の深刻な地域と、比較的高台在住者の比率が高い地域の差異を無視して行われており、調査方法が聞き取り調査か質問紙配布形式か明記されていない。質問紙配布形式の場合、回答者に世代のバイアスがかかって来る。そうしたものを差し引いて、今の生活は貯蓄を食いつぶしている生活であり、半壊の我が家に介護のために残り、老々介護の果てに餓死した老夫婦のような極端な例には陥っていない。土俵際のジリ貧生活にあることが想像される。支援者の激励に感謝する公の顔の裏側で、はた迷惑になるまいと神経を尖らせて、家族の生計ということを「私的なこと」と思い込み沈黙する人々、精一杯の忍耐が長期戦に晒されあぶりだされていく、そんな危ない時期に突入していることを感じる。仮設住宅に入れば公的援助は打ち切りとする自治体もあって、家族分散・解体の憂き目にますます踏み込みつつあるように思える。

就労先や、医療の問題がのしかかっている。民間支援の手立てでは、この部分にどのような係わりを持ったらいいのだろう。私はその空白をつなぐ実践を模索している。公的支援が本来入らねば、なかなか解決がつかず、実際、支援にも高額の資金も必要となるが重要な福祉の眼である。

百歩下がってみた。いくつか見えることがあった。そのことを市民自治推進課と市社協で話していたが、きょとんとされることとなったが、近所のしがらみでは明かすことの出来ない家族の生計の悩みを、ともに悩んでくれる直接利害の無い、信頼できる遠方の友人ができることが意味があるのではないかと思った。ネットワーカーたちが普段、交流の経験の中で味わった遠方の親しい友人の存在である。これを媒介する実践を考えるのだ。しがらみのなかに孤立してしまうことを避けることは可能だ。

同時に行政などによる亀のように遅い公的支援の隙間を埋めていく民間交流をどう進めていくかだ。今までの例によれば、具体的な必要の裏づけのない文通式の支援は続かない。本来書字文化がないところに労力をかけて続けるには、一見なんでもない日常生活を相対化できる精神の訓練がいる。関係が見えなくては書けない。そのことも踏まえるならば、お互いの日常生活を情報で支えあうような、一見関係ない実践がある。

例えば大船渡に美容師さんたちが絆という団体を作って、避難所の美容整髪を行っている。全国の美容師さんの同業者組合が応援している。現地に出向いている足湯サービスがある。これを運営の要領のわかっている高齢者介護関連の介護サービス業者や生協を世代を拡げた要にして、日常生活のサービス配達の自助活動を地元でたちあげてもらい、これの要請にしたがってサービスを届ける資金を、湘南からもそのサービスをギフトする活動を作る。見返りが無いのが味気なければ、地域通貨Cリングのような支援者側の地域のおまけを支援者に返す。

企画の裏は、湘南を資金元と束ねて、距離を押しやる発想を脱却して、生産者のわかる野菜ではないがメッセージ付き支援、おしゃべり割り込み付き支援をどう育てていくかなのである。

私の被災地行はドンキホーテに終わる可能性が高いが、その割り込み対話の膨らみやすいペットレスキューから話を立ち上げていこうと思っている。特に単身者・独居高齢者などには大きな意味を持つ活動だ。一時預かり、新しい飼い主というところから出発するが、単身者の飼育する犬の散歩を含む現地のケアネットを通して、単身者の孤立を防いでいく。地元ネットワークからの脱落を防いでいく。そういう地元活動を遠方から育成支援していくのだ。動物愛護は大前提、しかし動物の救護から、パートナーとして視点を変えてペットを地域ケアしていく現地活動支援活動のやり方もひと思案する。「佐藤さんところのポチ、鈴木さんところのミケ、飛田さんところのキナコ」のバックアップオーナーになるという具合に、地元ペットの団体に資金援助しつつ、その範囲の方とのグループ交流を行っていくのだ。「ポチ・ミケ・キナコ」が話題を仲介してくれる。散歩の資金・お風呂と美容の資金・医療の資金(これは共済方式がいい)の一部援助・子どもが生まれれば湘南でも受け取る方向で話し合う等、これらの活動を通じて、副次的には社会的孤立防止ということもあるが、被災者との日常会話生成の民間交流の橋渡しをかけるのだ。はみ出したペットを引き受けるだけの活動ではない。名前付き、口出し付き援助を作っていくのだ。

ペットレスキュー(ペット飼育ケアというべきか)だけがこの構造の支援ではないが、長期化する日常避難生活の様々な支援の課題も、浮き上がってくるはずだ。地元介護サービスとの連携、地元ペットケアの活動との連携というふたつの案が、私の脳裏を走り回っている。地元活動育成支援・民間交流推進が鍵になるとおもうのだ。

私は陸前高田と大船渡の熱心な中小企業主さんの対話の接点を得た。細々とした支援だが、7/18~22の現地訪問から手をつなぐべき活動を探しに行く。同時にこちらの、粗っぽいが構想の実現可能性を見てくる。空振りに終わる可能性の方が大きい。しかし、先方が望む、どのようなことが出来るのかという問いに応じられる湘南の結束はない。それを待っていたら、百年待っても活動は生まれない。そういう狭間にあるからこそ、手がかりを求め、本当に支援の必要な方たちに会いにいく。足が無いゆえの巡回の制約が大きいが、ポイントを回ってくる。虚しさは承知している。

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17日のペットレスキュー活動紹介講演会のチラシを作っている。ただ講師とのまだ最終確認のメールの応答が届かない。どうしたものだろうかと、古い映画のような視野の眼鏡をはずして拭いている。

母、睡眠導入剤を飲んで珍しく熟睡している。


夜間傾聴:なし(寂しいねえ)


(校正2回目済み)

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6/29 知的障がい団体の**さんと大局話をしつつ/被災地という聖域の力

2011-07-03 11:53:00 | 引きこもり
2011/06/29 記
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母の眼瞼下垂の手術をした形成外科兼眼科の横浜の医院まで、午前中母を連れて行った。片目の端にしこり状のものを感じると母が言い出したからだ。執刀医の診察は曜日が決まっており、それも外来で待たされた。飛び込みの手術などが割り込むのだ。午後から、障がい者支援活動の**さんと会う約束があったので、少々ひやひやしていたが、案外待たずに診察が受けられたので、ほっとしていた。

この医院のそばにはK2インターナショナル、コロンブスの運営する、引きこもり青年たちの起業の場、お好み焼きころんぶすがある。母とそばを通る度にその紹介話をするので、母が中身を覚えてしまった。そんな話を外来待合室でしながらも、母の眼の調子は順調だったので、実はあまり心配していなかった。

案の定、そのしこりは手術時、手術糸の通った部分で、しこりは危険なものではなく、徐々に小さくなっていくと診断され、母は少々不服だったようだ。ただ瞼を裏返したとき油脂の粒の小さな芽が発見され、もう少し様子を見て成長するようなら取るからと説明された方が気になったので、その不満は表立たないで済んだ。病気を作ってはいけない。ただ原因不明の「めまい症」があるだけに、容疑者(症状)が必要だったのだろう。

帰りに駅ビルで食事後、母をバスに送り出してしまえば、調子が悪い状態ではないので帰宅できるだろう。そう安易に思っていたところ、母が鍵を持ってこなかったことが発覚。再び午後は地元内科医のところをまわるというので、私の鍵を渡すわけにもいかず、母を家まで送り込んだ。ところが茅ヶ崎駅行きの戻りのバスに乗り遅れてしまったのだった。結局我が家から歩いて駅前の待ち合わせ場所まで移動したが、徳州会病院の前あたりで約束の時間が来てしまった。

先方からメールが届き、待ち合わせ場所が今日は休みだった、どうしようかというものだった。そんなこんなで合流できたのが15分遅れ。**さん、すみませんでした。

この方とは、川崎の日本理化学工業見学の印象談やら、本人活動の特徴や地域就労と交流の場の大切さの話など、普段は活動の局面の中の話から飛躍できなかった分、大枠の話をすることができた。私にはしっかりと手を結んでいかなくてならない、社会的不利にさらされている者への思いで脳裏でつながっているが、**さんの場合は、当事者家族。そういう発想の出発点の差異があるために、災害ボランティアを始めている現状については、なかなか接点を求め難いところがあった。しかし炭谷氏の講演の意味合いを、企業就労支援に並ぶもうひとつの道としての地域起業、社会的企業立ち上げと運営という道として、評価されていたことは、嬉しかった。地域生活支援としての地域起業への足がかりをどう作っていくのか、従来の茅ケ崎の状況をどう打開していくのかということについて、改めて話をすることができたので、案外こういう大風呂敷含みの意見交換は機会も少なく、貴重だったと思う。**さんとは海外の話が出かけて時間切れになった。

しかし日本理化学工業の見学でわかったことは、予想外に職場が小さかったことだという。大山会長のひとに頼られること、社会的な存在意義の話は就労支援活動の中では精神論として扱われ、就労マッチングが成された時点で、就労は一応の段落を迎えるとするとする従来の活動の危険物(生産向上運動等)として片隅に追われていたものが、ひとが働くことの根幹に係わる自己実現性(社会的存在としての意義)の話であること。その労働の価値が見えるインタラクションの構造を、就労支援の活動に中に確立していくことが大切なのだ。私は見学当日、ポカ休してしまったのだが、従業員の方と社会とのつながりのことで話し合ってみたかった。社訓の強制ではなく、本源的なものとして見えているかどうか気になっていたのだ。残念だった。

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相模原に出かける前に、24日に横浜でお願いしたペットレスキュー活動紹介の講演会の会場の減免取れるか、まず市民活動推進課にお邪魔した。以前の活動は社会的弱者の就労支援活動関連だったこともあって、障害福祉課にお願いしてきたが、ペットレスキュー活動となると、市民活動推進課か地域防災課ということになる。しかしそこへの支援依頼は初めてのことだった。NPOサポートちがさきの関係で、課の職員さんはよく知っていたが、自分の活動を持ち込んだことはなかった。そんなことで、活動の概括やら、市民活動紹介としての災害ボランティアその中のペットレスキュー活動となると、障害福祉課では首を傾げることになり、市民活動推進課となると個別活動過ぎるということで、関心はあるが減免となるとと地域防災課へとたらいが回っていくのだった。17時、時間切れ。

サポセンに立ち寄り、ゴーヤの苗を受け取る段取り。私が袋しか持って行かなかったため、中止。浜見平の親子が、ベランダで小さく育てるとの話をまとめるところだった。北茅ヶ崎から橋本に出るので、箱を後日もってくることで、結局だめ。

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労働意欲に触れる話では、ダイヤモンドオンラインが、西川敦子氏のインタビュー記事で面白い話が出ていた。東京ボラセン所長の山崎美貴子氏から災害ボランティアの話を引き出していた。

●「震災後も『無縁社会』は続行中!? 草食系男子と隠れ引きこもりの新しい”絆”の作り方」

以前本ブログが紹介したレベッカ ソルニット著「災害ユートピア」に連なる話である。

なお、この書は面白い書評が出ている。

●「大惨事でパニックするエリートと機能しない政府どん底で助け合う普通の人々と機能する市民社会 100年の災害史が示す人間コミュニティの真実とは――「災害ユートピア」著者レベッカ・ソルニット」

この関連書では以下の書が出た。早速注文したが財布が次第に寂しくなっている。

●「コミュニティ・スタディーズ――災害と復興、無縁化、ポスト成長の中で、新たな共生社会を展望する」

一方、労働意欲の観点とは違うが慶応大の金子郁容氏らがコミュニティについて語る書が出ている。これは図書館に買わせよう。

●「コミュニティのちから―“遠慮がちな”ソーシャル・キャピタルの発見」

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相模原の教室の気仙沼話は次回へ。



夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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6/28 ふたつの団体の総会を済ませ…

2011-07-03 11:51:07 | 引きこもり
2011/06/28 記
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ふたつの総会を終えた。「湘南子どもフォーラム懇談会(SCF)」は、今年度が最終年度となる。私の相模大野周辺の訪問活動も定年を迎え終了し、特に小学生の訪問学習カウンセリングが実質上無くなることで、主導しているエンジンが止まる状態になったことだ。小田急線沿線と湘南ライフタウンの小学生は、ひとりが実家の葉山に戻ることになり、あとの子たちはもともと横浜や東京の他フリースクールとの掛け持ちの形だった。それ以上の年齢の方は、年齢層が極端にばらついて、お互いに連携することが、年齢と地域の関連などで難しいが、非常に長いお付き合いだった。この方たちは、本人の意思を尊重し継続とするが、誤解を避けるために相模大野校に関係した方とは昨年度話し合って、関係を終了させた。つまり訪問活動が主だったSCF は一応活動としての役割を終えることにし、付き合いが残る方々は、若年者の社会参加活動としての「わーく編集部」の運営独立とともに、親団体の残務を引き継ぐことになった。10年近い活動だった分思いが残るが、来年度までに「わーく編集部」の活動を自立させる必要も出てきた。

もうひとつの総会は、「湘南あすなろ会」の総会だった。昨年度は代表者が事件に巻き込まれ失踪するという非常事態となっていた。茅ケ崎駅頭のビッグイシュー販売の外的要因は非常にリスキーな事件に出会い続けた。先代の販売者の実家の危機を引き金にした自立意志の挫折が起こした諸事件や、際どい営業妨害があって販売禁止となって以降、販売を引き継いだ昨年度の会代表も、事件に巻き込まれて失踪する事態になった。この警察がらみの出来事の結果、「湘南あすなろ会」は新年度活動休止となった。地域パトロールや、ビッグイシュー定期購読者へのサポートは継続していく。仲介手数料取得権利を持たないため、一括購入と配達という形となり、郵送費・交通費は会の持ち出しとして処理していく。次年度への引継ぎは、事件経過の進展の様子を見つつ、考えていく。

事前の打ち合わせから大きくはずれてはいないが、思い入れのある活動が終わっていくのを寂しく思った。前者は「わーく編集部」活動に一本化、後者は休止と個人単位の活動による基礎活動維持という形だが、転換期に入ったことは間違いない。

この日、埼玉県の北本市の故き友人の私塾から通信が送られてきた。正義の味方の冷やかしをしてきたが、亡くなったあと、しばらく経った時期の通信だけに驚きもし、私たちが運営してきた私教育活動が個別分散の時代へ完全移行したのだと実感した。送られてきた通信は、**さんの追悼号だった。私が新生代化石なら、彼は古生代化石というところ。いい加減に静かに眠れ。**さん。合掌。

今回は、ここまで。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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6/27 総会ふたつ参加して/岩手に行くのは 7/18~22 に決定(準備が正念場)

2011-07-02 14:17:39 | 引きこもり
2011/06/27 記
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明日は総会(と言っても数名だが)がふたつ重なっている。ひとつが湘南子どもフォーラム懇談会、もうひとつが湘南あすなろ会だ。前者は不登校・引きこもりの若者に社会復帰を促すために、訪問カウンセリングや講演会をやってきた。その社会参加活動として「わーく編集部」を会の中に立ち上げてから、実質不登校の子の訪問カウンセリングのみの活動になっていた。「わーく編集部」の活動も、ここの記者候補は5名通過したが、私が担当する若者達は精神や発達のハンデを抱えており、その苦しみを抱えての参加だったこともあって、周囲の方にはなかなか信じてもらえないが、そのうちの3名が病死または自殺という異常事態を経験してきた。その影響で企画活動は2年間の空白を抱えて、昨年度、地域会合とオンライン双方で交流する若者の参加を得て、ほそぼそと活動をつないできた。

総会は彼らの親御さんと、古株ひとりが参加予定。一応会の継続を提案するが、職場訪問などの取材活動は休止し、ペットレスキューの湘南と被災地飼い主さんをつなぐオンライン活動と訪問カウンセリングの2本立てで進むことを提案する。喫茶店で済むような規模であるが、10年になろうという訪問カウンセリングと個別就労支援に特徴を持つ会である。

後者は、ホームレスの自助活動をビッグイシュー販売を軸に展開してきたが、ビッグイシュー卸資格を失ない、代表が事件に巻き込まれて失踪するという異常事態が起きていた。当事者の自助組織としては、存続か解散かを問う、大切な会になりそうだった。基本的には、駅頭・ネットカフェ・公共施設・海岸線の生活支援のパトロール活動や、ビッグイシューの、販売純益のない購入転売活動などは休まず個人的にとしても継続するのだが、通信発行や見学など企画実行は休止または会解散とするのかということだった。私は基本的にパトロールとBI誌購入転売活動は継続、その他は休止とするのが忍びない。回数を落として横浜・寿町などの取材記事で通信を維持してはどうかと提案することにした。

こうした総会の下準備を行っていたのだが、活動の基本的な価値は全く揺るがないものだ。前者は訪問カウンセリングからの脱却が、後者は中高年当事者から若者当事者へのシフトが困難という地域の状態があった。またホームレスの若年化の波は地域にまで広がってきていない。加えて日常生活支援まで、手を広げる状況にならない力量の限界があった。

憂鬱な一日だった。私の家庭の介護の状況は、昨年の父の老健入所によって20年余の制約から軽くなった。母の介助や老健訪問は残るが、急に解き放たれた状態で一年を経た。しかし会の活動再興には直結しない。今の活動が基本の基本に絞られており、その余力を有効に反映できない状況になっていたからだ。

私にはもうひとつ、サポチガの若年者地域就労支援PJの活動があった。これは若松町「ゆめたい」構想と小箱ショップ運営にシフトしてから、講演会活動以外表立った活動はしてこなかった。しかしここは、時代に重要な意味のある講師を厳選して紹介する就労支援講演会は成功させてきたし、今後もそれは続く。おそらくは東日本大震災関連から時代を方向付ける方を次回は考えることになると思うが、地域の起業を含んだ生活と連続している就労の形を実情の中から見通していく。PJは別枠というところだ。

こういうことを書くと信じがたいと思う方がいらしゃるが、目標設定>会結成>実行>効果判定>… と続く展開や、企画立案>年度企画と予算決定>方針実行>… という展開は企業団体・会社経営の経験の中で培われてきたやり方だ。社会活動は常に変動する情勢と他の活動との出会いを経て、千変万化していくものだ。そういう自然発生性を抱え込んだ活動を、助成金・支援金の獲得のための自己評価が媒介にあったとしても、半年以上前に企画し、それを順を追って解決実行していくという融通の効かなさは、その社会活動自身を生殺しにしかねない。解決力を持つためには、支援者を含む集団の了解の中で動くべきだからという反論もあろう。しかし、それは金銭管理を曖昧にしないという事と、即応力を膨らませることと矛盾してはならないし、運営規模を考えた自己管理の方法があってしかるべきだと思う。出会いの中で新たに提案された共同企画が年度方針化を経由しなくては実行できないというのは変な話だ。

私は社会活動が社会的企業を取り入れるとき、企業的手法を取りいれることが、実際は行政外注の下請けとの差異をあいまいにし、NPOという企業に化けて、自然発生的な社会活動の芽の育ちようがない専門化していくことに抵抗を持っている。偶然と自然発生の裾野を持つ活動をどうつくるかということ、社会的公共の課題をどう解決するかという必要性、発見された公共の利益となる活動の柔軟な吸収を兼ね備えた活動を社会的企業として受け止めたい。そういう情勢の坩堝(るつぼ)の中に社会活動は生命力を持つのだと思う。

それだけに、必要としての総会を開くが、気持ちを奮い立たせる気になれないのだ。けじめ、そういうことなのだと思っている。

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母が突然、築地の穴子寿司を持ってきた。アサリの剥き身は突然、洋風から和風に化けることとなった。浅葱が共通の鍵なのでいいのだが、穴子寿司を持ち込むとは出かけたこと。携帯電話は充電しっぱなしだし、発作が出たらどうするのだろうと冷や汗をかく。

毎年お中元の時期に、明太子ひと樽とか、お化けかぼちゃ、バナナひと枝という具合にとんでもないものを送ってくる母の友人***さんが体調を崩したとかで、目黒まで行ってきたのだと言う。目黒で穴子もあるまい、さんまの間違いではと思うのだが、ともかく自分で買ってきた。

夏本番、これからなのに、岩手に出かける期間だけでもトラブルを起こさないで欲しいと願うのだ。

夏期講習の隙間判明。お盆も過ぎた 7/18~22 に予定を立てた。これから現地との調整と、受け皿湘南の状態を口説いて動かしていかなくてはならない。


夜間傾聴:南橋本君(仮名)



(校正1回目済み)


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6/26 新しい飼い主さんの会発足はお灸を据えられつつ

2011-07-01 05:38:16 | 引きこもり
2011/06/26 記
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被災地の犬猫の新しい飼い主さんになることで、ペットレスキューの活動支援と被災者家族との民間交流を実現する湘南の会を実現しようと試みたその初顔合わせは、見事に失敗した。私の知人に話を持ちかけていたのだが、当日、三家族四人のうち出席したのはひとり。そのひとりも遅刻して現れる状態だった。

私は初めから、おそらくは私を入れて数名と踏んでいた。会場を出て、ケンタッキーフライドチキンで彼と昼食を食べつつ、帰ろうとする彼を引き止めて話をした。そこから浮かんで来たのは、いくつかの問題点だった。ひとつはこの初顔合わせを皆がどのようにとらえていたかということ。もうひとつは、犬猫をその場で押し付けられるのではないかという警戒心が働いたように思われたことだった。

私は知人を誘うときに、「新しい飼い主の会を発足させたい」と会結成を強調して出席を要請したために、参加すれば役員が回ってくるという直感が拡がった。みな趣味の市民活動に参加している方たちなので、運営には結構敏感なのだった。遅刻参加した彼も、役員を急に押し付けられるのは嫌だからという、言いにくいことをはっきり言ってくれた。「参ったな勘違いされている」と分かったが、逆にもっと会の輪郭をはっきりさせなくてはならないことを感じた。気持ちのこもらない会は作るつもりがないからだ。

受けとるのは生き物である。犬猫にだって選ぶ権利はあるというか、相性は当然ある。被災してナーバスになっている動物を引き受けるのだから、出会いとおつきあいの期間がいる。そんなに即決できるものではない。ここで私が提案していたことは、いくつもの越さなくてならない問題を抱えているが、それは大前提となる質のことだと彼に話した。

それは従来の「無責任な飼育放棄から動物を守る」活動と異なり、被災からの復活支援の線上に活動を提案していることなのだ。私の頭にあるものは、生計を破壊され再起の道を探っている方の姿や、家族を失い孤立無援の状況に晒されている単身者、特に高齢者や障がい者、二重ローンに苦しむひとたちへの支援とはなにかということだった。

公的募金も被災地産商品販売も、失業者、給与所得者、社会的弱者の保護には支援が届かない。従来の活動では自営業者が潤うだけだ。被災地三県は自営業比率が他地域より高いのは事実だが、娯楽提供の元気づけで立ち直れるものはいい。その笑顔に沈黙するひとたちに届く支援を、私たちは描かなくてはならないと思うのだ。そのためには、動きが遅く個別対応が難しい公的支援に頼るのではなく、民間支援交流の窓を家族レベルで開く活動が必要なのだ。

しかしいわゆる後方支援の場となる周辺地域では、生命の救援活動期をすぎて生活再建期の長期戦に入って、飽きが始まっており、東北は大変だという「同情」に受け止め方が後退していく時期が忍び寄っている。見通しのない先々(近未来)がのしかかり、自殺者が出てくるのもこの時期だ。だから彼ら、なだらかにしか減少しない、少なくとも10万人を越す長期避難生活を余儀なくされている方への支援の手立てを考える必要がある。では、何をどうしたらいいのだろうか。

こういう漠然とした危機感が私にはあると彼に話した。しかし私たちは自分の仕事と生活の事情で現地に出かけることができない。資金カンパや物資支援以外は無理だと彼は言った。果たしてそうか。この後方支援なる離れた場でなしうることはそれだけなのかと彼に言った。「だからペットって、飛躍があるんじゃないの」と彼は私に問いかけた。

私は生活再建にペットが重荷な方の、大切なペットを一時預りや譲渡を支える意味は大きいと思うが、この議論は、やはりペットレスキューの活動の常識に囚われていると思う。私は犬や猫がひとの孤独を癒してくれる力を知っている。だから被災地のペットは、圏外の支援者だけでなく、必要としている被災地の方に譲り合っていくのもその活動だと思う。ただこのときも譲渡は第三の仲介者を置くべきだと思う。活動の安定を保証する活動にするためだ。行き交うものが生き物であり、委託・譲渡が親交のやりとりからはずれてはならないからだ。だからペットレスキューの活動は底なし沼のように深い。私たちはそのお手伝いをすることによって、被災者飼い主さんと親交を結べたらと思う。ペットレスキューの活動のバックアップをしたいと願う。手立ての見え難い民間支援交流の窓のひとつだと私は思う。犬猫の受け入れだけではないのだ。彼は沈黙した。

彼と軽食を済ませ、出勤時間までまだ時間があるので、今後のことを含んで話せる方のところを、タイミングはよくないがまわろうと考えた。講演会や写真展などは、条件が違うからだ。

私にはもうひとつ整理しておくべき状況が浮かんでいた。それは「ペットレスキュー活動の伝統」ということだった。

ペットレスキュー活動は本来「動物愛護」の活動だということだ。飼育放棄に対し動物を保護し、信頼できる新しい飼い主さんに引き渡していく活動だ。または被災地においては、飼い主を失い放浪する動物たちを保護し、新しい飼い主さんに一時預けの形で仲介したり、そのアフタケアまで面倒をみたり、獣医さんなどに仲介する活動だ。

成獣を引き渡すために特別の苦労もある。ストレスを解いたり、人間不信に陥っている犬猫の信頼を回復させたり、身についた習慣を新しい飼い主さんとの間ですり合わせを行ったりしていく。

こうした中間活動があるために、レスキュー活動には独自のネットワークや流儀がある。この培ってきた支援体制をひとつの文化と例えれば、被災からの復活支援という、いわば人の都合から独立した文化を営む活動なのだ。

だから被災した飼い主家族との交流という話は、従来の活動をされている方には異文化と映るし、飼育放棄に立ち向かってきた歴史からして、もとの飼い主さんとの交流はタブー、トラブルの元なのである。ところが災害復興支援の場合、飼い主さんがはっきりしている場合は、その方が泣く泣く手放した動物なのである。保護の条件が違っているのだ。

またペットレスキューの本流の活動は、放浪動物の保護である。その犬猫の預かりや譲渡は、被災者との交流とは無縁なところにあるから、私たちの要望は的外れに見える。

被災地のペット預かりや譲渡引き受けには、防疫上の問題、所有権の問題、アフタケアの問題などが山積している。だから地元獣医さんや、自前のボランティアネットワークに乗せていく。出来合いの商品を手渡すようなものではないのだ。この辺がペットレスキューさんたちに違和感を感じさせるのだろう。

私はペットとの信頼を築くために、一時預り所に保護されている犬猫の散歩や部屋の清掃などのお世話を手伝うことで、犬猫の知り合いになっていく経路が必要だと思う。北浦さんのドッグランや、横浜の○○さんの獣医さんのお宅の一角のセンターを拝見し、横浜の場合、お手伝いのボランティアさんが活躍されていることを知り、地元のペット店や獣医さんとのネットワーキングのように、近場の保護施設のボランティア兼お付き合いが前提に必要だと思う一方、この経過や、引き受けた段階の愛犬や愛猫の近況をきちんと伝えることが、被災地の元飼い主さんとの民間支援交流の端緒になりうると思う。この情報仲介に私たち「わーく」編集部が、活動してもいいと思うのだ。

陸前高田と大船渡、遠野と私は巡回してくるが、被災中小企業の生活支援有志と接点を持つことと同時に、支援から孤立する方々の様子を少しでも見てきたい。そのときに、ペットのことも相談して見ようと思うのだ。地元ペットレスキュー団体と会えたら会いたいと考えている。

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私は横浜の○○さんの、ペットレスキュー活動の紹介講演会を実現したいと考えている。市役所分庁舎5FのA会議室を7月17日(日)10時~12時の時間帯に確保した。活動は犬猫の引き受けだけではない。ペットのセラピー的な価値を知る、被災地を地元とするペットレスキュー等ボランティアの支援や、ペットセラピー活動の資金援助活動がある。この活動は学校現場にも入りやすい。だから獣医さんやレスキューさんと活動の啓蒙活動にとっても風通しのいい協力活動をつくることは意味があるのだ。それこそ中間支援者の本領が活かせるだろう。

復興支援活動のすべてがペットレスキュー活動支援による民間支援交流と活動だと単純化するつもりはないし、従来の公的支援や被災地産商品販売も否定するつもりもない。ただ、だまりこくって窮状に耐えている方への復活支援の道に接する活動として、手がかりのあるところから、橋渡しをしておきたいのだ。

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教員は時間的に無理なので、とりあえず県議**さんの事務所に行って、紹介講演会をおこないたいと伝えて、資料を置いてきた。

会の実質流会は出勤する前の出来事だったが、さすがにしんどかった。紹介講演会はなんとか実現したい。次の準備が始まった。


夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)
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