2011/07/07 記
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被災地の夏場の悩みにハエ対策がある。腐敗臭に加えて不快害虫の大量発生が問題になっている。ペットボトルを使ってトラップを作る方法が拡がっている。この件は、災害ボランティアが知っておくと使える情報と思い、プリント化した。これから手渡そうとする方の分を残して、残部を持って、サポチガ主催の岩手ボランティア報告会に参加した。
母との昼食が引っかかって、会には時間ぎりぎりに飛び込んだ。茅ケ崎では、南三陸町、石巻、山田町に出かけるボランティア活動が中心になる。山田町かなと思っていたら、大槌町に6月末にボランティアバスに乗って行って来たという。15時から16時の一時間きりの報告会、忙しいのかなと思いつつ、話を聞いてきた。私は岩手県の話と聞いて、従来のメンバーではなく、面識の無い新しい方が活動報告してくれたら、私が陸前高田と大船渡に出かけるので、互いに岩手県どおしの交流が作れるかもしれないと淡い期待を持っていた。ところが、会を開けてみると、従来のメンバーが出かけたときの報告だった。岩手県大槌町に行っていたのは初耳だった。私がサポセンに立ち寄ることが少なかったからだろうと思っていたが、情報落差に虚しさが頭をもたげていた。
案の定、現地に行って、団体交流とがれき撤去・ヘドロ掘りを手伝ってきた話だった。被災状況確認体験と労力補助の話。
会の終わりに、発言があって、被災者の活動は命がけだが、ボランティアはそれだけの覚悟があるのかという質問が飛んだ。報告会出席者間の討論が始まり、現地で行われている活動の連携の質のことにふれつつ、その差異が決意の違いであるという話に及んで、割り込みたくなった。
災害ボランティアには長い連携の歴史がある。画像で紹介された団体の代表者たちも、雲仙のとき、神戸のとき、有珠山のとき、三宅島のとき等と、実は長年の御馴染みさんである。この人たちが参加することによって、災害ボランティアの経験とスタイルが伝えられ、動きが洗練されてきたという活動の蓄積がある。単純に決意の差に質の判断を還元できないといおうとして、私の発言のたびに、発言がかぶされて結局発言できず、たちまち時間切れになってしまった。
ハエ取り器を拡げる夏場という時期的な大切さや、私が18~22日、陸前高田と大船渡に出かける話を語ろうとしていたが、次の会合があったということで、蜘蛛の子を散らすように散会。何人かに手渡したプリントも、相手に意味が伝わらずに、コメントも出来ず。報告会は終了してしまった。
虚しさを感じつつも、現地に行って何かを取り決めてきても、湘南には受け皿はできないと思ったほうがいいと、腹をくくった。被災地では百名を越える自殺者がでている。生計支援は難しくとも、被災者の孤立の魔を遠ざけ、被災者の訴えに友として耳を傾けることは出来る。焼け石に水のような支援でも、見捨てないというポジションに立つことはできる。そういう直接の民間交流が、緊急避難期を過ぎた今、それゆえに、改めて自分の未来の絶望と向かい合う時期に入っているがゆえに望まれている。長期戦への切換期の支援を、「奇特な者の善行」に支援活動が封じられる前に、支援者の周辺にもリアリティが保てる活動が必要なのだ。この時期認識の無い活動を論じても、被災地外の人々の関心は一気に冷えていくだろう。逆に原発がその関心を維持している皮肉な側面すらある。
TVニュースで、海水浴が報道されていた。波打ち際にうつ伏せになって、気持ちよさそうに波を受けている男性の映像だった。
津波発生直後に、この映像を流せただろうか。溺死者を連想させることへの配慮とは無縁に、災害のかけらも脳裏におかず、波打ち際に横たえることが出来るその感性こそが、被災地外の実態なのだと思う。
日本はひとつという無責任なCMに全く運命共同体でもない者が湧き、さっさと冷えていく。「東北は大変だ」という相手を彼岸に押しやる切断が進行する時期に、なすべき活動の質を問うべきと考える。その上でのことだが、私は生身の命が露呈した坩堝(るつぼ)のような被災の現実から離れようとは思わない。それだけのことだ。
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前回直接渡せなかった獣医さんとペットショップに講演会チラシを配った。鉄砲道沿いを終えて、特に白浜町界隈をまわった。前回と比べて、「ご苦労様」の声を聞いたのは初耳だった。茅ケ崎保健所の地域災害対策本部**さんにチラシを渡したとき、「もし湘南に災害が起こった時の対策」にまで、考えていけるような活動を作る時期ですねとアドバイスをいただいてきた。今回の講演会が成り立つように、巡回を強めている。
「まずは人が第一、獣はそのあと」という発想が一般的だ。その発想のおかしさは、遺留品回収ボランティアたちの家族写真やアルバムなどの回収活動と比較して見るとわかる。他人にはゴミにしか思えないが、被災者が生きてきた証しである。大事な「もの(慰留品)」回収に、「人が先」と、この活動を否定するだろうか。私はすべての支援活動をペットレスキュー活動に絞ることを主張しているのではない。ひとを癒し、ひとをつなぐ架け橋となる大切な活動、今の時期だからこそ必要になる活動だと思う。民間交流の手がかりを孕んだ活動だ。他の領域の活動も立ち上げの手がかりを探しに岩手に行く。同時に現地の方が立ちあげたペットレスキュー団体と接触してくる。
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事情があって、橋本で会う方に海老名まで足を運んでもらった。南橋本君の訪問だった。面談を済ませた。すとんと眠くなり、相模線はいつの間にか茅ケ崎に着いていた。焼き鳥塩、ひとり3本ずつ買って帰ることに。ダイエットというつもりではない。
夜間傾聴:なし
(校正3回目済み)
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被災地の夏場の悩みにハエ対策がある。腐敗臭に加えて不快害虫の大量発生が問題になっている。ペットボトルを使ってトラップを作る方法が拡がっている。この件は、災害ボランティアが知っておくと使える情報と思い、プリント化した。これから手渡そうとする方の分を残して、残部を持って、サポチガ主催の岩手ボランティア報告会に参加した。
母との昼食が引っかかって、会には時間ぎりぎりに飛び込んだ。茅ケ崎では、南三陸町、石巻、山田町に出かけるボランティア活動が中心になる。山田町かなと思っていたら、大槌町に6月末にボランティアバスに乗って行って来たという。15時から16時の一時間きりの報告会、忙しいのかなと思いつつ、話を聞いてきた。私は岩手県の話と聞いて、従来のメンバーではなく、面識の無い新しい方が活動報告してくれたら、私が陸前高田と大船渡に出かけるので、互いに岩手県どおしの交流が作れるかもしれないと淡い期待を持っていた。ところが、会を開けてみると、従来のメンバーが出かけたときの報告だった。岩手県大槌町に行っていたのは初耳だった。私がサポセンに立ち寄ることが少なかったからだろうと思っていたが、情報落差に虚しさが頭をもたげていた。
案の定、現地に行って、団体交流とがれき撤去・ヘドロ掘りを手伝ってきた話だった。被災状況確認体験と労力補助の話。
会の終わりに、発言があって、被災者の活動は命がけだが、ボランティアはそれだけの覚悟があるのかという質問が飛んだ。報告会出席者間の討論が始まり、現地で行われている活動の連携の質のことにふれつつ、その差異が決意の違いであるという話に及んで、割り込みたくなった。
災害ボランティアには長い連携の歴史がある。画像で紹介された団体の代表者たちも、雲仙のとき、神戸のとき、有珠山のとき、三宅島のとき等と、実は長年の御馴染みさんである。この人たちが参加することによって、災害ボランティアの経験とスタイルが伝えられ、動きが洗練されてきたという活動の蓄積がある。単純に決意の差に質の判断を還元できないといおうとして、私の発言のたびに、発言がかぶされて結局発言できず、たちまち時間切れになってしまった。
ハエ取り器を拡げる夏場という時期的な大切さや、私が18~22日、陸前高田と大船渡に出かける話を語ろうとしていたが、次の会合があったということで、蜘蛛の子を散らすように散会。何人かに手渡したプリントも、相手に意味が伝わらずに、コメントも出来ず。報告会は終了してしまった。
虚しさを感じつつも、現地に行って何かを取り決めてきても、湘南には受け皿はできないと思ったほうがいいと、腹をくくった。被災地では百名を越える自殺者がでている。生計支援は難しくとも、被災者の孤立の魔を遠ざけ、被災者の訴えに友として耳を傾けることは出来る。焼け石に水のような支援でも、見捨てないというポジションに立つことはできる。そういう直接の民間交流が、緊急避難期を過ぎた今、それゆえに、改めて自分の未来の絶望と向かい合う時期に入っているがゆえに望まれている。長期戦への切換期の支援を、「奇特な者の善行」に支援活動が封じられる前に、支援者の周辺にもリアリティが保てる活動が必要なのだ。この時期認識の無い活動を論じても、被災地外の人々の関心は一気に冷えていくだろう。逆に原発がその関心を維持している皮肉な側面すらある。
TVニュースで、海水浴が報道されていた。波打ち際にうつ伏せになって、気持ちよさそうに波を受けている男性の映像だった。
津波発生直後に、この映像を流せただろうか。溺死者を連想させることへの配慮とは無縁に、災害のかけらも脳裏におかず、波打ち際に横たえることが出来るその感性こそが、被災地外の実態なのだと思う。
日本はひとつという無責任なCMに全く運命共同体でもない者が湧き、さっさと冷えていく。「東北は大変だ」という相手を彼岸に押しやる切断が進行する時期に、なすべき活動の質を問うべきと考える。その上でのことだが、私は生身の命が露呈した坩堝(るつぼ)のような被災の現実から離れようとは思わない。それだけのことだ。
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前回直接渡せなかった獣医さんとペットショップに講演会チラシを配った。鉄砲道沿いを終えて、特に白浜町界隈をまわった。前回と比べて、「ご苦労様」の声を聞いたのは初耳だった。茅ケ崎保健所の地域災害対策本部**さんにチラシを渡したとき、「もし湘南に災害が起こった時の対策」にまで、考えていけるような活動を作る時期ですねとアドバイスをいただいてきた。今回の講演会が成り立つように、巡回を強めている。
「まずは人が第一、獣はそのあと」という発想が一般的だ。その発想のおかしさは、遺留品回収ボランティアたちの家族写真やアルバムなどの回収活動と比較して見るとわかる。他人にはゴミにしか思えないが、被災者が生きてきた証しである。大事な「もの(慰留品)」回収に、「人が先」と、この活動を否定するだろうか。私はすべての支援活動をペットレスキュー活動に絞ることを主張しているのではない。ひとを癒し、ひとをつなぐ架け橋となる大切な活動、今の時期だからこそ必要になる活動だと思う。民間交流の手がかりを孕んだ活動だ。他の領域の活動も立ち上げの手がかりを探しに岩手に行く。同時に現地の方が立ちあげたペットレスキュー団体と接触してくる。
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事情があって、橋本で会う方に海老名まで足を運んでもらった。南橋本君の訪問だった。面談を済ませた。すとんと眠くなり、相模線はいつの間にか茅ケ崎に着いていた。焼き鳥塩、ひとり3本ずつ買って帰ることに。ダイエットというつもりではない。
夜間傾聴:なし
(校正3回目済み)