2011/07/28 記
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岩手県の中小企業の企業団体の事務局と、大船渡市議会事務局にお礼のFAXを送る。帰宅後すぐに出すべきだったが、受け皿の厄介さが気を重くしていた。
被災地のこれからの支援は、災害救援から避難の日常生活サポートに比重が移っていく。この転換を意識した方針確定の訪問だったから、おのずと巡回先が異なってくる。自分の活動の企画化を目的にしているので、具体的な支援を先方に届ける訪問ではない。それにも係わらず、陸前高田・大船渡の皆さんは、協力をしてくださった。仮設住宅の生活の比重の増した支援活動の大きな課題は、数年は確実に続く避難生活の中の生活再建と、仮設後を意識した地域生活コミュニティの形成による孤立化の回避だ。後方支援にどにようなことが出来るだろうか。ひとの心の接するところで、抑圧的な人間関係の生まれやすい場に、どのような活動が望まれるのかを考えると、継続的な支援が不可欠となる。それが被災地にどのように芽吹いているのだろうか。後方支援はその活動支援という形に流れを変えたほうがいいというのが私の考えだが、これは現地滞在型の派遣ボランティアを否定するものではない。後方支援、つまり他地域の支援活動デザインの課題のことを言っている。
第一の企画は、地元自営業者の再開業を賭けた協働出店の動きがある。その職種が提供するサービスが、被災者の避難生活を含む日常生活に不可欠なものであり、いわゆる癒しを提供するものであったので、この方たちのサービスを買う形で、被災者にギフトすることをとりあげた。活動形成の初動論議のために、それをラフスケッチ化した。
この企画のラフスケッチは、受け皿の体制が未確定なので、先方と私たちの結びつきによる実現可能性は詰め切れない形になっている。しかし活動の初動形態は綿密な(ソリッドな)計画を作りそこに協力者を乗せることではない。論点を明らかにして、基本は大きな状況に見合った活動として的確に現状を改善打開していく道を明らかにすることだ。使い古された言い方をすれば、「この指とまれ」の語りをすることだ。違う点は、即興の思いつきではなく、実現可能性のふるいにかけた提案であることだ。
それでもなおかつ、初動の手がかりを明確にしておかなければ、活動は漠然とは立ち上がらない。被災地の当事者(活動を始めた自営業当事者)に、具体的な要望をインタビューした。その当座の要望を手がかりに、後方支援側も活動を始めやすくなるだろう。そのことはラフスケッチに盛り込んだ。またこの活動の問題点も明らかにしてある。これは議論の中で解決可能なものが大半だ。
発起人を募り、さらに活動の輪を作っていくという線に沿って私は地元を歩き始めた。当初予想された以上に、手がかりが無い現状に次の一手を打ちあぐねている。時間は生き物である。さて…どうする。
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昨日は県の同業者団体の県支部訪ねた。実質としては肩透かし。ことが荒れないように「担当者不在、資料を預かる」という形も常に他の団体と同じだ。個人が企画を持ち込むと、よほど幸運でない限り、内容吟味の前に拒絶されるのは常道。営業マンではないがそれは当たり前である。だから併行して支部まわりを始める。店長さんに話を持ちかけていく。この場合も私が個人であり続ける限り、会は、なかなか立ち上がらないだろう。矛盾なのだがここを突破しなければ、何も始まらない。茅ケ崎・藤沢・平塚の3支部からまわっていく。
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県支部からの帰り、ちょっとあるが関内に出て、ここから新杉田に出た。駅前の杉田劇場(ホール)で、夕方から神奈川の「障害者雇用部会」の86回講演会に参加するためだった。ここは障害者関連事業所や地域生活・就労援助センター、各地域の特別支援校、特例子会社が集う場で、私のように手帳を持たない方の就労支援をしているNPOはまず見かけない。私は軽度発達障がいや、うつ病・パーソナリティ障がいなどの精神障がいや神経症を抱える地域に潜在する方の支援を、精神の手帳取得や、各特例子会社の周辺サポートの職探しの関連で参加している。
今回の被災地訪問にも、相模原のある就労挫折青年の転身をかけて、有機野菜加工の製造を兼ねた商店とつなぐ話もまとめてきた。対人関係に問題があるので、バックヤードだが、彼は専門学校進学と再就職の選択に悩み、親元を離れる決意をしていた。トライアル雇用だが、被災地という特殊な条件があり、彼を必要としているひとたちとも結べると判断したからだった。縁のなかった違う社会に飛び込むことで転身を試みたのだった。8月から彼の新生活が始まる。
こういうことを進めるためには、特例子会社をはじめとした障がいがらみの就労情報や人のネットワークは不可欠だ。今回も老舗「(株)富士電機フロンティア」や、昔ミニFMでお世話になったことのある親会社「(株)ぱど」の特例子会社「(株)ぱどシップ」の講演を聴いてきた。「(株)ぱどシップ」については、今後、身体慣らしのアルバイトの件で、改めてお世話になりそうだ。
しかし考え事をしているとろくなことをしない。新杉田駅ビルのバーミャンで中華丼を食べようとしたとき、胡椒の蓋をはずして、まるまる一本を飯の上にかけてしまった。バイト店員さんが後を向いてしまったので、覚悟を決めて胡椒丼を食べてきた。辛いのは平気なのだが、こんなことばかりやっている。
ともあれ大船で買い物を済ませ、幸福の科学の演説の前を通って帰宅した。なぜ大船はいつも演説しているのだろう。支部でもあるのかなと考えつつ、危うく顔を拭きそうになった胡椒だらけのハンカチをポケットにしまいこんだ。
夏期講習、早く終われと学生並みのことを車内で考えていた。高卒資格認定試験、今回は東工大の大岡山キャンパスまで連れ添うことになりそうだ。カリタスは爺ぃが似合わないのだそうだ。8月3・4日である。青年に爺ぃが付き添うというのは、マンガでしかないと思うのだが。
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豆乳ソーメンに鯖の味噌煮を添えた。短冊状のきゅうりがよく合う。茄子のしょうが焼きと少量のお新香をつけて母に出す。ところが食べない。ケンタッキーフライドチキンがごろりと食卓の下から出てきた。元主婦と話をあわせることは虚しい。事前に言っておいても、自分で惣菜を決めてしまうからだ。主導権にプライドがかかるから、結局母の分はすべて無駄になった。かわりに片付ければ、糖尿病の魔が潜んでいる。
こういう調子の崩れた日は、なぜか夜間傾聴も開店休業である。
買い込んだ東海新報バックナンバーを読み始めている。4か月分、新しい方からさかのぼる形だ。
第二案、陸前高田の商店さんの応答待ち、それがあればラフスケッチできあがり。別途歩き始める。
夜間傾聴:なし
p.s.大船渡中敷地の仮設住宅。玄関先で被災者の方が作業されていたので、視角を上にパンした。覗き込みで取れないのはご容赦を。
(校正2回目済み)
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岩手県の中小企業の企業団体の事務局と、大船渡市議会事務局にお礼のFAXを送る。帰宅後すぐに出すべきだったが、受け皿の厄介さが気を重くしていた。
被災地のこれからの支援は、災害救援から避難の日常生活サポートに比重が移っていく。この転換を意識した方針確定の訪問だったから、おのずと巡回先が異なってくる。自分の活動の企画化を目的にしているので、具体的な支援を先方に届ける訪問ではない。それにも係わらず、陸前高田・大船渡の皆さんは、協力をしてくださった。仮設住宅の生活の比重の増した支援活動の大きな課題は、数年は確実に続く避難生活の中の生活再建と、仮設後を意識した地域生活コミュニティの形成による孤立化の回避だ。後方支援にどにようなことが出来るだろうか。ひとの心の接するところで、抑圧的な人間関係の生まれやすい場に、どのような活動が望まれるのかを考えると、継続的な支援が不可欠となる。それが被災地にどのように芽吹いているのだろうか。後方支援はその活動支援という形に流れを変えたほうがいいというのが私の考えだが、これは現地滞在型の派遣ボランティアを否定するものではない。後方支援、つまり他地域の支援活動デザインの課題のことを言っている。
第一の企画は、地元自営業者の再開業を賭けた協働出店の動きがある。その職種が提供するサービスが、被災者の避難生活を含む日常生活に不可欠なものであり、いわゆる癒しを提供するものであったので、この方たちのサービスを買う形で、被災者にギフトすることをとりあげた。活動形成の初動論議のために、それをラフスケッチ化した。
この企画のラフスケッチは、受け皿の体制が未確定なので、先方と私たちの結びつきによる実現可能性は詰め切れない形になっている。しかし活動の初動形態は綿密な(ソリッドな)計画を作りそこに協力者を乗せることではない。論点を明らかにして、基本は大きな状況に見合った活動として的確に現状を改善打開していく道を明らかにすることだ。使い古された言い方をすれば、「この指とまれ」の語りをすることだ。違う点は、即興の思いつきではなく、実現可能性のふるいにかけた提案であることだ。
それでもなおかつ、初動の手がかりを明確にしておかなければ、活動は漠然とは立ち上がらない。被災地の当事者(活動を始めた自営業当事者)に、具体的な要望をインタビューした。その当座の要望を手がかりに、後方支援側も活動を始めやすくなるだろう。そのことはラフスケッチに盛り込んだ。またこの活動の問題点も明らかにしてある。これは議論の中で解決可能なものが大半だ。
発起人を募り、さらに活動の輪を作っていくという線に沿って私は地元を歩き始めた。当初予想された以上に、手がかりが無い現状に次の一手を打ちあぐねている。時間は生き物である。さて…どうする。
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昨日は県の同業者団体の県支部訪ねた。実質としては肩透かし。ことが荒れないように「担当者不在、資料を預かる」という形も常に他の団体と同じだ。個人が企画を持ち込むと、よほど幸運でない限り、内容吟味の前に拒絶されるのは常道。営業マンではないがそれは当たり前である。だから併行して支部まわりを始める。店長さんに話を持ちかけていく。この場合も私が個人であり続ける限り、会は、なかなか立ち上がらないだろう。矛盾なのだがここを突破しなければ、何も始まらない。茅ケ崎・藤沢・平塚の3支部からまわっていく。
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県支部からの帰り、ちょっとあるが関内に出て、ここから新杉田に出た。駅前の杉田劇場(ホール)で、夕方から神奈川の「障害者雇用部会」の86回講演会に参加するためだった。ここは障害者関連事業所や地域生活・就労援助センター、各地域の特別支援校、特例子会社が集う場で、私のように手帳を持たない方の就労支援をしているNPOはまず見かけない。私は軽度発達障がいや、うつ病・パーソナリティ障がいなどの精神障がいや神経症を抱える地域に潜在する方の支援を、精神の手帳取得や、各特例子会社の周辺サポートの職探しの関連で参加している。
今回の被災地訪問にも、相模原のある就労挫折青年の転身をかけて、有機野菜加工の製造を兼ねた商店とつなぐ話もまとめてきた。対人関係に問題があるので、バックヤードだが、彼は専門学校進学と再就職の選択に悩み、親元を離れる決意をしていた。トライアル雇用だが、被災地という特殊な条件があり、彼を必要としているひとたちとも結べると判断したからだった。縁のなかった違う社会に飛び込むことで転身を試みたのだった。8月から彼の新生活が始まる。
こういうことを進めるためには、特例子会社をはじめとした障がいがらみの就労情報や人のネットワークは不可欠だ。今回も老舗「(株)富士電機フロンティア」や、昔ミニFMでお世話になったことのある親会社「(株)ぱど」の特例子会社「(株)ぱどシップ」の講演を聴いてきた。「(株)ぱどシップ」については、今後、身体慣らしのアルバイトの件で、改めてお世話になりそうだ。
しかし考え事をしているとろくなことをしない。新杉田駅ビルのバーミャンで中華丼を食べようとしたとき、胡椒の蓋をはずして、まるまる一本を飯の上にかけてしまった。バイト店員さんが後を向いてしまったので、覚悟を決めて胡椒丼を食べてきた。辛いのは平気なのだが、こんなことばかりやっている。
ともあれ大船で買い物を済ませ、幸福の科学の演説の前を通って帰宅した。なぜ大船はいつも演説しているのだろう。支部でもあるのかなと考えつつ、危うく顔を拭きそうになった胡椒だらけのハンカチをポケットにしまいこんだ。
夏期講習、早く終われと学生並みのことを車内で考えていた。高卒資格認定試験、今回は東工大の大岡山キャンパスまで連れ添うことになりそうだ。カリタスは爺ぃが似合わないのだそうだ。8月3・4日である。青年に爺ぃが付き添うというのは、マンガでしかないと思うのだが。
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豆乳ソーメンに鯖の味噌煮を添えた。短冊状のきゅうりがよく合う。茄子のしょうが焼きと少量のお新香をつけて母に出す。ところが食べない。ケンタッキーフライドチキンがごろりと食卓の下から出てきた。元主婦と話をあわせることは虚しい。事前に言っておいても、自分で惣菜を決めてしまうからだ。主導権にプライドがかかるから、結局母の分はすべて無駄になった。かわりに片付ければ、糖尿病の魔が潜んでいる。
こういう調子の崩れた日は、なぜか夜間傾聴も開店休業である。
買い込んだ東海新報バックナンバーを読み始めている。4か月分、新しい方からさかのぼる形だ。
第二案、陸前高田の商店さんの応答待ち、それがあればラフスケッチできあがり。別途歩き始める。
夜間傾聴:なし
p.s.大船渡中敷地の仮設住宅。玄関先で被災者の方が作業されていたので、視角を上にパンした。覗き込みで取れないのはご容赦を。
(校正2回目済み)