湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

6/26 新しい飼い主さんの会発足はお灸を据えられつつ

2011-07-01 05:38:16 | 引きこもり
2011/06/26 記
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被災地の犬猫の新しい飼い主さんになることで、ペットレスキューの活動支援と被災者家族との民間交流を実現する湘南の会を実現しようと試みたその初顔合わせは、見事に失敗した。私の知人に話を持ちかけていたのだが、当日、三家族四人のうち出席したのはひとり。そのひとりも遅刻して現れる状態だった。

私は初めから、おそらくは私を入れて数名と踏んでいた。会場を出て、ケンタッキーフライドチキンで彼と昼食を食べつつ、帰ろうとする彼を引き止めて話をした。そこから浮かんで来たのは、いくつかの問題点だった。ひとつはこの初顔合わせを皆がどのようにとらえていたかということ。もうひとつは、犬猫をその場で押し付けられるのではないかという警戒心が働いたように思われたことだった。

私は知人を誘うときに、「新しい飼い主の会を発足させたい」と会結成を強調して出席を要請したために、参加すれば役員が回ってくるという直感が拡がった。みな趣味の市民活動に参加している方たちなので、運営には結構敏感なのだった。遅刻参加した彼も、役員を急に押し付けられるのは嫌だからという、言いにくいことをはっきり言ってくれた。「参ったな勘違いされている」と分かったが、逆にもっと会の輪郭をはっきりさせなくてはならないことを感じた。気持ちのこもらない会は作るつもりがないからだ。

受けとるのは生き物である。犬猫にだって選ぶ権利はあるというか、相性は当然ある。被災してナーバスになっている動物を引き受けるのだから、出会いとおつきあいの期間がいる。そんなに即決できるものではない。ここで私が提案していたことは、いくつもの越さなくてならない問題を抱えているが、それは大前提となる質のことだと彼に話した。

それは従来の「無責任な飼育放棄から動物を守る」活動と異なり、被災からの復活支援の線上に活動を提案していることなのだ。私の頭にあるものは、生計を破壊され再起の道を探っている方の姿や、家族を失い孤立無援の状況に晒されている単身者、特に高齢者や障がい者、二重ローンに苦しむひとたちへの支援とはなにかということだった。

公的募金も被災地産商品販売も、失業者、給与所得者、社会的弱者の保護には支援が届かない。従来の活動では自営業者が潤うだけだ。被災地三県は自営業比率が他地域より高いのは事実だが、娯楽提供の元気づけで立ち直れるものはいい。その笑顔に沈黙するひとたちに届く支援を、私たちは描かなくてはならないと思うのだ。そのためには、動きが遅く個別対応が難しい公的支援に頼るのではなく、民間支援交流の窓を家族レベルで開く活動が必要なのだ。

しかしいわゆる後方支援の場となる周辺地域では、生命の救援活動期をすぎて生活再建期の長期戦に入って、飽きが始まっており、東北は大変だという「同情」に受け止め方が後退していく時期が忍び寄っている。見通しのない先々(近未来)がのしかかり、自殺者が出てくるのもこの時期だ。だから彼ら、なだらかにしか減少しない、少なくとも10万人を越す長期避難生活を余儀なくされている方への支援の手立てを考える必要がある。では、何をどうしたらいいのだろうか。

こういう漠然とした危機感が私にはあると彼に話した。しかし私たちは自分の仕事と生活の事情で現地に出かけることができない。資金カンパや物資支援以外は無理だと彼は言った。果たしてそうか。この後方支援なる離れた場でなしうることはそれだけなのかと彼に言った。「だからペットって、飛躍があるんじゃないの」と彼は私に問いかけた。

私は生活再建にペットが重荷な方の、大切なペットを一時預りや譲渡を支える意味は大きいと思うが、この議論は、やはりペットレスキューの活動の常識に囚われていると思う。私は犬や猫がひとの孤独を癒してくれる力を知っている。だから被災地のペットは、圏外の支援者だけでなく、必要としている被災地の方に譲り合っていくのもその活動だと思う。ただこのときも譲渡は第三の仲介者を置くべきだと思う。活動の安定を保証する活動にするためだ。行き交うものが生き物であり、委託・譲渡が親交のやりとりからはずれてはならないからだ。だからペットレスキューの活動は底なし沼のように深い。私たちはそのお手伝いをすることによって、被災者飼い主さんと親交を結べたらと思う。ペットレスキューの活動のバックアップをしたいと願う。手立ての見え難い民間支援交流の窓のひとつだと私は思う。犬猫の受け入れだけではないのだ。彼は沈黙した。

彼と軽食を済ませ、出勤時間までまだ時間があるので、今後のことを含んで話せる方のところを、タイミングはよくないがまわろうと考えた。講演会や写真展などは、条件が違うからだ。

私にはもうひとつ整理しておくべき状況が浮かんでいた。それは「ペットレスキュー活動の伝統」ということだった。

ペットレスキュー活動は本来「動物愛護」の活動だということだ。飼育放棄に対し動物を保護し、信頼できる新しい飼い主さんに引き渡していく活動だ。または被災地においては、飼い主を失い放浪する動物たちを保護し、新しい飼い主さんに一時預けの形で仲介したり、そのアフタケアまで面倒をみたり、獣医さんなどに仲介する活動だ。

成獣を引き渡すために特別の苦労もある。ストレスを解いたり、人間不信に陥っている犬猫の信頼を回復させたり、身についた習慣を新しい飼い主さんとの間ですり合わせを行ったりしていく。

こうした中間活動があるために、レスキュー活動には独自のネットワークや流儀がある。この培ってきた支援体制をひとつの文化と例えれば、被災からの復活支援という、いわば人の都合から独立した文化を営む活動なのだ。

だから被災した飼い主家族との交流という話は、従来の活動をされている方には異文化と映るし、飼育放棄に立ち向かってきた歴史からして、もとの飼い主さんとの交流はタブー、トラブルの元なのである。ところが災害復興支援の場合、飼い主さんがはっきりしている場合は、その方が泣く泣く手放した動物なのである。保護の条件が違っているのだ。

またペットレスキューの本流の活動は、放浪動物の保護である。その犬猫の預かりや譲渡は、被災者との交流とは無縁なところにあるから、私たちの要望は的外れに見える。

被災地のペット預かりや譲渡引き受けには、防疫上の問題、所有権の問題、アフタケアの問題などが山積している。だから地元獣医さんや、自前のボランティアネットワークに乗せていく。出来合いの商品を手渡すようなものではないのだ。この辺がペットレスキューさんたちに違和感を感じさせるのだろう。

私はペットとの信頼を築くために、一時預り所に保護されている犬猫の散歩や部屋の清掃などのお世話を手伝うことで、犬猫の知り合いになっていく経路が必要だと思う。北浦さんのドッグランや、横浜の○○さんの獣医さんのお宅の一角のセンターを拝見し、横浜の場合、お手伝いのボランティアさんが活躍されていることを知り、地元のペット店や獣医さんとのネットワーキングのように、近場の保護施設のボランティア兼お付き合いが前提に必要だと思う一方、この経過や、引き受けた段階の愛犬や愛猫の近況をきちんと伝えることが、被災地の元飼い主さんとの民間支援交流の端緒になりうると思う。この情報仲介に私たち「わーく」編集部が、活動してもいいと思うのだ。

陸前高田と大船渡、遠野と私は巡回してくるが、被災中小企業の生活支援有志と接点を持つことと同時に、支援から孤立する方々の様子を少しでも見てきたい。そのときに、ペットのことも相談して見ようと思うのだ。地元ペットレスキュー団体と会えたら会いたいと考えている。

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私は横浜の○○さんの、ペットレスキュー活動の紹介講演会を実現したいと考えている。市役所分庁舎5FのA会議室を7月17日(日)10時~12時の時間帯に確保した。活動は犬猫の引き受けだけではない。ペットのセラピー的な価値を知る、被災地を地元とするペットレスキュー等ボランティアの支援や、ペットセラピー活動の資金援助活動がある。この活動は学校現場にも入りやすい。だから獣医さんやレスキューさんと活動の啓蒙活動にとっても風通しのいい協力活動をつくることは意味があるのだ。それこそ中間支援者の本領が活かせるだろう。

復興支援活動のすべてがペットレスキュー活動支援による民間支援交流と活動だと単純化するつもりはないし、従来の公的支援や被災地産商品販売も否定するつもりもない。ただ、だまりこくって窮状に耐えている方への復活支援の道に接する活動として、手がかりのあるところから、橋渡しをしておきたいのだ。

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教員は時間的に無理なので、とりあえず県議**さんの事務所に行って、紹介講演会をおこないたいと伝えて、資料を置いてきた。

会の実質流会は出勤する前の出来事だったが、さすがにしんどかった。紹介講演会はなんとか実現したい。次の準備が始まった。


夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)
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