湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

6/30 17日のペットレスキュー紹介講演会と、サービス受注型支援を作る陸前高田行

2011-07-05 03:15:58 | 引きこもり
2011/06/30 記
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市民自治推進課に団体登録の更新手続に行く。しかしそのことよりも、私には茅ヶ崎が取り組んでいる石巻・南三陸町とは地域の違う、岩手の災害ボランティアに取り組んでいる団体の活動の情報が入っていないか情報収集することの方が実は気になっていた。

奇妙なものだ。市民活動サポートセンターに出入りしながら、行政にまで情報網をかぶせるほどに、災害ボランティアは、その中心の流れから外れると情報がぷっつり途絶えてしまう。18日までには防災対策課や実行委などの関係者まわりを済ませるが、私の作りたい支援におそらくは、歯車がかみ合うものはないだろう。激励に沈黙し、支援に耐えている、公的にも民間からも欲しい支援が得られないそう感じている被災者、外からは見えない被災者を追うことになるからだ。地元に有志を見つけなければ、余計なお世話と、遮断の向こうの手探りに終わることになる。

生活再建と子育て・就労と生計について、民間がなしうることはないのだろうか。独居の単身者・傷病罹患者・独居高齢者・障がい者・母子家庭・被災して家族を失い単身者となった方・両親を失った子ども等の福祉の領域などに民間支援の手立ては届かないのだろうか。

私は6月12日付の毎日新聞のアンケートの読み解きをしている。「東日本大震災:休業・失業…避難所は47% 毎日新聞調査」である。半月も前のアンケートなので、状況は変化している。しかし、無作為抽出した過去のアンケート回答者の中から、86人が3ヶ月目の現状を踏まえて応答したものをまとめたものだ。

「当座の生活資金は十分にありますか」という問いに避難所生活者の「52%」が、ある程度や十分にあると回答している。避難所以外ではその数が「67%」に及ぶ。「あまりない/全く無い」と回答した人は、避難所で36%、避難所以外では29%となり、「今後の生計のめどは立っていますか」との問いには、避難所で「45%」が、避難所以外では「19%」の方が「全くめどが立っていない」と答えている。

この調査は被害の深刻な地域と、比較的高台在住者の比率が高い地域の差異を無視して行われており、調査方法が聞き取り調査か質問紙配布形式か明記されていない。質問紙配布形式の場合、回答者に世代のバイアスがかかって来る。そうしたものを差し引いて、今の生活は貯蓄を食いつぶしている生活であり、半壊の我が家に介護のために残り、老々介護の果てに餓死した老夫婦のような極端な例には陥っていない。土俵際のジリ貧生活にあることが想像される。支援者の激励に感謝する公の顔の裏側で、はた迷惑になるまいと神経を尖らせて、家族の生計ということを「私的なこと」と思い込み沈黙する人々、精一杯の忍耐が長期戦に晒されあぶりだされていく、そんな危ない時期に突入していることを感じる。仮設住宅に入れば公的援助は打ち切りとする自治体もあって、家族分散・解体の憂き目にますます踏み込みつつあるように思える。

就労先や、医療の問題がのしかかっている。民間支援の手立てでは、この部分にどのような係わりを持ったらいいのだろう。私はその空白をつなぐ実践を模索している。公的支援が本来入らねば、なかなか解決がつかず、実際、支援にも高額の資金も必要となるが重要な福祉の眼である。

百歩下がってみた。いくつか見えることがあった。そのことを市民自治推進課と市社協で話していたが、きょとんとされることとなったが、近所のしがらみでは明かすことの出来ない家族の生計の悩みを、ともに悩んでくれる直接利害の無い、信頼できる遠方の友人ができることが意味があるのではないかと思った。ネットワーカーたちが普段、交流の経験の中で味わった遠方の親しい友人の存在である。これを媒介する実践を考えるのだ。しがらみのなかに孤立してしまうことを避けることは可能だ。

同時に行政などによる亀のように遅い公的支援の隙間を埋めていく民間交流をどう進めていくかだ。今までの例によれば、具体的な必要の裏づけのない文通式の支援は続かない。本来書字文化がないところに労力をかけて続けるには、一見なんでもない日常生活を相対化できる精神の訓練がいる。関係が見えなくては書けない。そのことも踏まえるならば、お互いの日常生活を情報で支えあうような、一見関係ない実践がある。

例えば大船渡に美容師さんたちが絆という団体を作って、避難所の美容整髪を行っている。全国の美容師さんの同業者組合が応援している。現地に出向いている足湯サービスがある。これを運営の要領のわかっている高齢者介護関連の介護サービス業者や生協を世代を拡げた要にして、日常生活のサービス配達の自助活動を地元でたちあげてもらい、これの要請にしたがってサービスを届ける資金を、湘南からもそのサービスをギフトする活動を作る。見返りが無いのが味気なければ、地域通貨Cリングのような支援者側の地域のおまけを支援者に返す。

企画の裏は、湘南を資金元と束ねて、距離を押しやる発想を脱却して、生産者のわかる野菜ではないがメッセージ付き支援、おしゃべり割り込み付き支援をどう育てていくかなのである。

私の被災地行はドンキホーテに終わる可能性が高いが、その割り込み対話の膨らみやすいペットレスキューから話を立ち上げていこうと思っている。特に単身者・独居高齢者などには大きな意味を持つ活動だ。一時預かり、新しい飼い主というところから出発するが、単身者の飼育する犬の散歩を含む現地のケアネットを通して、単身者の孤立を防いでいく。地元ネットワークからの脱落を防いでいく。そういう地元活動を遠方から育成支援していくのだ。動物愛護は大前提、しかし動物の救護から、パートナーとして視点を変えてペットを地域ケアしていく現地活動支援活動のやり方もひと思案する。「佐藤さんところのポチ、鈴木さんところのミケ、飛田さんところのキナコ」のバックアップオーナーになるという具合に、地元ペットの団体に資金援助しつつ、その範囲の方とのグループ交流を行っていくのだ。「ポチ・ミケ・キナコ」が話題を仲介してくれる。散歩の資金・お風呂と美容の資金・医療の資金(これは共済方式がいい)の一部援助・子どもが生まれれば湘南でも受け取る方向で話し合う等、これらの活動を通じて、副次的には社会的孤立防止ということもあるが、被災者との日常会話生成の民間交流の橋渡しをかけるのだ。はみ出したペットを引き受けるだけの活動ではない。名前付き、口出し付き援助を作っていくのだ。

ペットレスキュー(ペット飼育ケアというべきか)だけがこの構造の支援ではないが、長期化する日常避難生活の様々な支援の課題も、浮き上がってくるはずだ。地元介護サービスとの連携、地元ペットケアの活動との連携というふたつの案が、私の脳裏を走り回っている。地元活動育成支援・民間交流推進が鍵になるとおもうのだ。

私は陸前高田と大船渡の熱心な中小企業主さんの対話の接点を得た。細々とした支援だが、7/18~22の現地訪問から手をつなぐべき活動を探しに行く。同時にこちらの、粗っぽいが構想の実現可能性を見てくる。空振りに終わる可能性の方が大きい。しかし、先方が望む、どのようなことが出来るのかという問いに応じられる湘南の結束はない。それを待っていたら、百年待っても活動は生まれない。そういう狭間にあるからこそ、手がかりを求め、本当に支援の必要な方たちに会いにいく。足が無いゆえの巡回の制約が大きいが、ポイントを回ってくる。虚しさは承知している。

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17日のペットレスキュー活動紹介講演会のチラシを作っている。ただ講師とのまだ最終確認のメールの応答が届かない。どうしたものだろうかと、古い映画のような視野の眼鏡をはずして拭いている。

母、睡眠導入剤を飲んで珍しく熟睡している。


夜間傾聴:なし(寂しいねえ)


(校正2回目済み)

コメント
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