2011/02/27 記
-------------
茅ヶ崎・寒川訪問介護事業所連絡会議主催の「障害者と共に未来を創造する!『光り輝く支援をめざして』」研修の第一回目に参加した。事業所の職員が参加する会なので、一般参加者は、おまけ。市障害福祉課の一杉さんから、市内の障がい者福祉の現状について講演があった後、Q&A。かなり取り扱い注意のレベルの情報が提供されたが、私の考えてきた情報理解や予測を大きくはずれる内容のものはなかった。具体的な内容については、管理レベルが秘密ではないが慎重を要することなので割愛する。Q&Aでは、精神の関係の親御さんや**さんが突っ込んだ質問をされていたが、講演内容の不足部分の指摘。目的を持った理解を具体化するために必要なことであるが、この場で必要な性格の話とは言い切れなかった。親御さん中心の会であれば必要ではあるが、職員向けの会のためとなると、当然知っていなければならない質の指摘だった。
私は不登校・引きこもりの若者の中で、障がいの背景を持つ方を重点に、訪問学習指導を行ってきた。だから当事者さんに重なっている部分とずれている部分があった。いわゆる障害者手帳所持者への支援の話と、地域潜在化している手帳未取得者の支援の双方への横断という活動の性格上、活動のセクターの城壁を乗り越えてしまうからだ。
実はこの城壁がきつい。特に社会参加の土台に立つ就労支援の場面では、当事者家族と行政・関連事業所職員に閉じた活動自身から行われるために、社会参加の部分である「健常者との協働」という発想を断ち切る厳然とした境界だ。支援は当事者家族のためにあるという、いわば、医療モデルである「障がい補佐支援」の発想に閉じているからだ。健常者と共に生きるという「共に」の部分の発想がない。あるとしても、健常者の職場にうまくあてはめていくという発想の中にある。働くには無理な状態の方の生活支援から保障していこうとする。まずは生活の安定が優先で、就労はその次の課題という常識が就労支援の議論を遮断している。横断などと、それは訪問介護の範疇ではなく、通所の範疇だという言い方にもなる。しかしそれでは、ここから社会との接点が生まれようが無く、プロ組織に良くある、職務遵守の範囲内の改善に閉じた議論をすることになってしまう。
これが今回の実務会合の障壁だった。私は対象者をまたぎ、地域の健常者の中に横たわるような未来を引き寄せたいと考えているから、職務遂行性にも志向性にしても異質であることはわかっていた。
しかしIPSリカバリーが、精神の領域から問いかけるものは、「社会と結びつくことをもって、ひとは変わる」という活動のダイナミズムであり、障碍の重度の方にも社会参加の性格を持った就労はありうることや、意欲は踏み出してみることによって湧き上がるものだという、ストレングスモデルと協働に通じる大事な提案をしている。
茅ヶ崎の障碍者支援活動の発展はどこによって進められるのだろうか。この頑強な職種と障碍別のセクタの障壁が、地域潜在化している障碍を持った方や、健常者との横断プランにつながり、新しい状況が拓かれることはあるのだろうか。
休憩を挟んで、会は三障碍と児童・医療の5グループに分かれてバズセッションが組まれていた。私は知的障碍(発達障碍)と精神障碍のふたつの領域にまたがる活動をしている。だからどちらかのグループに入っても問題はないはずだった。
知的障碍グループの希望者が多く、主催者の依頼で、私は茅ヶ崎では慣れていない精神障碍のグループに参加することになった。キャッチセールスは別だが、私は話を聞く前に話を聞く必要が無いとする遮断を何十年も味わってきた。これだけは抗議する。甘いといわれれば、逆に辛いものの有効性を示せといいたくなる。この憂鬱な対立が続いているのが、茅ヶ崎の精神の領域の支援者との関係だった。
話の冒頭、ひとの話は最後まで聞くこと、お互いに友好な関係を保ち良さをみとめあうこと等の約束事がリーダーから述べられた。レッテルを貼られた私への警告だなと思って聞いていた。私はひとの言葉にかぶせて言葉を発したことは無い。内容を聞く前の遮断には抗議するが、人の述べる話を保証しなかったことは一度も無い。
発達心理学者のマクダーモットはその著書に、学習障碍児の授業風景を観察し、教員による見えない操作をあぶりだした。授業中、学習障碍の子も応答に手を上げるが、授業進行がややこしくなるから教員が指さない、公平のはずの発言順も彼の手前から反対まわりに発言させると、彼の発言の番になると授業時間切れになるのだった。
こういう操作は指導者の意識・無意識に関わらず行われる。類似のことが今回のバズセッションで行われた。自由討論ではないので自己紹介以外は、発言の場は回ってこなかった。だれも気付かない出来事だった。
私は不登校や引きこもりの方の発言を聞く。そのときにいじめや、無視のやりきれない手がかりのなさのもがきや訴えを聴いている。
クラスで物事を決めるのに、その子に用事を与えて席をはずさせたり、変更不可能な状態を作っておいて、彼に意見を聴くなどの、いつでも彼の感想は誤解と主観だという抜け道が準備されていた。ひどい事例ではそれを妄想として精神科の診断を促した事例もある。
それゆえに、闇がみえてしまう。状況から身をはずせと私は彼らに指導している。そのとおり私は今回の話に心をはずしていた。この操作が続く限り、私は何万年でも待つ。
今回の会議に炭谷氏の講演会のチラシを置いてもらった。職業集団の場合、いつもその関係以外のチラシには異様なほどに無関心なのはなぜだろう。**さんに置くことをお願いしていたが、困らせることになっているのは何とかならないかと思う。事業所紹介のパンフレットの端に置いてもらったので、同じような内容と思ったのかもしれなかった。
しかし横浜で行われた教員の60名規模の集会に、そのビル隣の飲食店が地味なサービス券を置いた。絵が入っていなかったせいか、減ったのは3枚きり。その3人も主催者が券を自分たちの分として抜いたものだった。だから、チラシが残るのは、そんなに珍しい話ではないのだ。彼らの好奇心が麻痺しているだけなのだ。
-------
炭谷氏講演会の勧誘巡回を続けている。今回も藤沢市。来客があったので出発が出遅れ、件数は少ない。
藤沢市>
藤沢市民活動センター
(福) 創 ぷろっぷ
ぽれぽれ
藤沢市民活動センターは、メンバーは、古い人以外私がわからなかった。ともあれ10部、頼んできた。忙しさにかまけて、すいぶん久しぶりだった。
ぷろっぷは、辻堂元町。ソニーの工場前の踏切を挟んで反対側あたりに事業所がある。偶然名刺を切らしてしまった。それが余計いけなかった。先方にとって怪しいおじさんに、なってしまった。ただ用件を聴いてくれたので、後半には怒りと大警戒の表情が解けて、先方、黙したまま事務室に。戻られたときに、施設長の名刺をいただいた。今回の講演会企画を会議にかけてくれることに。まさに感謝、である。
ぽれぽれは、隣の喫茶しか空いていなかったので、喫茶経由でチラシを渡してもらうことになった。
-------
母、便秘。不眠を訴える。嘔吐の前兆。薬用養命酒を買ってきた。プレゼント、気は心なり。
夜間傾聴:橋本2君(仮名)
(校正3回目済み)
-------------
茅ヶ崎・寒川訪問介護事業所連絡会議主催の「障害者と共に未来を創造する!『光り輝く支援をめざして』」研修の第一回目に参加した。事業所の職員が参加する会なので、一般参加者は、おまけ。市障害福祉課の一杉さんから、市内の障がい者福祉の現状について講演があった後、Q&A。かなり取り扱い注意のレベルの情報が提供されたが、私の考えてきた情報理解や予測を大きくはずれる内容のものはなかった。具体的な内容については、管理レベルが秘密ではないが慎重を要することなので割愛する。Q&Aでは、精神の関係の親御さんや**さんが突っ込んだ質問をされていたが、講演内容の不足部分の指摘。目的を持った理解を具体化するために必要なことであるが、この場で必要な性格の話とは言い切れなかった。親御さん中心の会であれば必要ではあるが、職員向けの会のためとなると、当然知っていなければならない質の指摘だった。
私は不登校・引きこもりの若者の中で、障がいの背景を持つ方を重点に、訪問学習指導を行ってきた。だから当事者さんに重なっている部分とずれている部分があった。いわゆる障害者手帳所持者への支援の話と、地域潜在化している手帳未取得者の支援の双方への横断という活動の性格上、活動のセクターの城壁を乗り越えてしまうからだ。
実はこの城壁がきつい。特に社会参加の土台に立つ就労支援の場面では、当事者家族と行政・関連事業所職員に閉じた活動自身から行われるために、社会参加の部分である「健常者との協働」という発想を断ち切る厳然とした境界だ。支援は当事者家族のためにあるという、いわば、医療モデルである「障がい補佐支援」の発想に閉じているからだ。健常者と共に生きるという「共に」の部分の発想がない。あるとしても、健常者の職場にうまくあてはめていくという発想の中にある。働くには無理な状態の方の生活支援から保障していこうとする。まずは生活の安定が優先で、就労はその次の課題という常識が就労支援の議論を遮断している。横断などと、それは訪問介護の範疇ではなく、通所の範疇だという言い方にもなる。しかしそれでは、ここから社会との接点が生まれようが無く、プロ組織に良くある、職務遵守の範囲内の改善に閉じた議論をすることになってしまう。
これが今回の実務会合の障壁だった。私は対象者をまたぎ、地域の健常者の中に横たわるような未来を引き寄せたいと考えているから、職務遂行性にも志向性にしても異質であることはわかっていた。
しかしIPSリカバリーが、精神の領域から問いかけるものは、「社会と結びつくことをもって、ひとは変わる」という活動のダイナミズムであり、障碍の重度の方にも社会参加の性格を持った就労はありうることや、意欲は踏み出してみることによって湧き上がるものだという、ストレングスモデルと協働に通じる大事な提案をしている。
茅ヶ崎の障碍者支援活動の発展はどこによって進められるのだろうか。この頑強な職種と障碍別のセクタの障壁が、地域潜在化している障碍を持った方や、健常者との横断プランにつながり、新しい状況が拓かれることはあるのだろうか。
休憩を挟んで、会は三障碍と児童・医療の5グループに分かれてバズセッションが組まれていた。私は知的障碍(発達障碍)と精神障碍のふたつの領域にまたがる活動をしている。だからどちらかのグループに入っても問題はないはずだった。
知的障碍グループの希望者が多く、主催者の依頼で、私は茅ヶ崎では慣れていない精神障碍のグループに参加することになった。キャッチセールスは別だが、私は話を聞く前に話を聞く必要が無いとする遮断を何十年も味わってきた。これだけは抗議する。甘いといわれれば、逆に辛いものの有効性を示せといいたくなる。この憂鬱な対立が続いているのが、茅ヶ崎の精神の領域の支援者との関係だった。
話の冒頭、ひとの話は最後まで聞くこと、お互いに友好な関係を保ち良さをみとめあうこと等の約束事がリーダーから述べられた。レッテルを貼られた私への警告だなと思って聞いていた。私はひとの言葉にかぶせて言葉を発したことは無い。内容を聞く前の遮断には抗議するが、人の述べる話を保証しなかったことは一度も無い。
発達心理学者のマクダーモットはその著書に、学習障碍児の授業風景を観察し、教員による見えない操作をあぶりだした。授業中、学習障碍の子も応答に手を上げるが、授業進行がややこしくなるから教員が指さない、公平のはずの発言順も彼の手前から反対まわりに発言させると、彼の発言の番になると授業時間切れになるのだった。
こういう操作は指導者の意識・無意識に関わらず行われる。類似のことが今回のバズセッションで行われた。自由討論ではないので自己紹介以外は、発言の場は回ってこなかった。だれも気付かない出来事だった。
私は不登校や引きこもりの方の発言を聞く。そのときにいじめや、無視のやりきれない手がかりのなさのもがきや訴えを聴いている。
クラスで物事を決めるのに、その子に用事を与えて席をはずさせたり、変更不可能な状態を作っておいて、彼に意見を聴くなどの、いつでも彼の感想は誤解と主観だという抜け道が準備されていた。ひどい事例ではそれを妄想として精神科の診断を促した事例もある。
それゆえに、闇がみえてしまう。状況から身をはずせと私は彼らに指導している。そのとおり私は今回の話に心をはずしていた。この操作が続く限り、私は何万年でも待つ。
今回の会議に炭谷氏の講演会のチラシを置いてもらった。職業集団の場合、いつもその関係以外のチラシには異様なほどに無関心なのはなぜだろう。**さんに置くことをお願いしていたが、困らせることになっているのは何とかならないかと思う。事業所紹介のパンフレットの端に置いてもらったので、同じような内容と思ったのかもしれなかった。
しかし横浜で行われた教員の60名規模の集会に、そのビル隣の飲食店が地味なサービス券を置いた。絵が入っていなかったせいか、減ったのは3枚きり。その3人も主催者が券を自分たちの分として抜いたものだった。だから、チラシが残るのは、そんなに珍しい話ではないのだ。彼らの好奇心が麻痺しているだけなのだ。
-------
炭谷氏講演会の勧誘巡回を続けている。今回も藤沢市。来客があったので出発が出遅れ、件数は少ない。
藤沢市>
藤沢市民活動センター
(福) 創 ぷろっぷ
ぽれぽれ
藤沢市民活動センターは、メンバーは、古い人以外私がわからなかった。ともあれ10部、頼んできた。忙しさにかまけて、すいぶん久しぶりだった。
ぷろっぷは、辻堂元町。ソニーの工場前の踏切を挟んで反対側あたりに事業所がある。偶然名刺を切らしてしまった。それが余計いけなかった。先方にとって怪しいおじさんに、なってしまった。ただ用件を聴いてくれたので、後半には怒りと大警戒の表情が解けて、先方、黙したまま事務室に。戻られたときに、施設長の名刺をいただいた。今回の講演会企画を会議にかけてくれることに。まさに感謝、である。
ぽれぽれは、隣の喫茶しか空いていなかったので、喫茶経由でチラシを渡してもらうことになった。
-------
母、便秘。不眠を訴える。嘔吐の前兆。薬用養命酒を買ってきた。プレゼント、気は心なり。
夜間傾聴:橋本2君(仮名)
(校正3回目済み)