湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/21 震災余波の中の墓参り

2011-03-24 05:34:34 | 引きこもり
2011/03/21 記
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今年の彼岸の墓参は異例のものになった。最寄駅が運行停止中の相模線にあったからだった。相模線の駅から路線バスに乗るのだが、横浜経由でも一番近い駅には到達することが出来なかった。後からわかったのは、横浜線の普段使わない全く別の駅から路線バスに乗れば、いつも利用する駅にたどりつけることだった。よくも周辺住民からJRに苦情が出ないものと、島のような駅の状況に驚いた。結局、乗り継ぎの多い横浜経由より、茅ヶ崎から小田原に出て海老名から回り込むのが一番確実なのだと知った。何のことは無い、先日冗談で時間がかかることを確認した路線をたどりなおすことになってしまったのだった。もともと不便なので、2000年末、交通事故を起こす前までは、出かけるのがひとりのときは、渋滞箇所もあるので、混雑回避も考えて遠いが原付バイクを使っていた。

墓苑の方もさすがに対策を打っていて、一日二便マイクロバスを臨時運行させていた。しかし私の到着時間帯には、海老名からはタクシーを使わざるを得なかった。予算不足を感じたが、持っていたカードがひとつは故障中の「みずほ」銀行のものであるし、もうひとつのカードは海老名にATMがなかった。タクシーの運転手に事情を話すことにした。片道に当てられる現金の額を言って、行けるとことまで行き、あとは徒歩で埋めて往復するというものだった。準備不足、少々情けなかった。

肝心のタクシーが来なかった。30分強待って到着したタクシーに相談したら笑われた。私の銀行カードに、クレジットカードが付いているでしょうと指摘されたのだった。タクシーでクレジットを使うのは実は初めてだった。今日は他に親戚関係が誰も行かないし、こんな日に車の路上待機する自信がないと母がいうので、ひとりタクシーで珍談義をしてきたようなものだった。

以前寒川駅から、翔の会がある小出一本松までタクシーに乗ったが、暴利と思える料金を取られた。深夜料金でもないのに、メーターがどんどん上っていくのだった。同様の体験をして墓苑に着いた。田舎料金は高いのだろうか。これが帰りにはもっと厄介な話となった。クレジット清算してくれるタクシーが来なかったのだった。現金で相模線の畑の中の別の駅に出て、そこから歩いて便のいい私鉄に出た。そこには私が持っているカードが使えるATMがあるのを仕事の巡回で知っていた。ATMで資金を引き出して窮乏から救われた。しかし帰りは近い駅ではなかったので、更に回り込みの料金がかかってしまった。今回の誤算「みずほ」ATM停止の話は、窓口支払いしていたのを知ったのが、家に戻ってからだった。海老名にはコンビニがある。「みずほ」以外のカードの扱いがあるはずだった。普段使わないと、こんなものだ。帰りのタクシー選びは1時間近くかかった。皆地元の同じタクシーで、カードが使えなかった上、地元タクシーも、たまにしか来ないのだ。最後は諦めて現地タクシーに現金で乗ったという馬鹿な話だった。

墓苑はそれでも自宅の車で来た家族連れが何組も来ていたが、墓苑はいつもと比べものにならないほど閑散としていた。帰りに立ち寄る飲食店がどこも閉まっているということにどの家族も困っているようだった。計画停電中かどうか、行ってみないとわからないなんてひどいという苦情や、ガソリン補給が大丈夫かという話があちこちから聞こえてきた。タクシーの少なさは、ガソリン入手が難しいので、流し運転していないのだと知った。

墓苑の入口で線香と花を売っているのだが、花が見当たらないし、販売員が見当たらなかった。墓苑の管理事務所に立ち寄って聞くと、販売員の女性を探し出してくれた。しかし花が切れてしまい、店まで取りに行っているが、まだ戻ってこないというのだった。やむを得ず、天候の悪い外で待つのをやめて軽食コーナーに移動したが、座る場所はあったが同じ女性が注文に応じて、缶コーヒーなどを配っているのだった。調理人が来れないので、食事は出来ないという。なにもかも異例の状態だった。

奥の食堂側は停電ではないが、休業中なので照明が消えており、相席を先客に挨拶して、入口側の待合室の席に座った。同席の方から、いろいろな話を聞いた。墓苑は平地のところと、山の急な斜面を削ったところがあって、急な斜面のところは地盤が弱くて、いくつかの墓石が倒れたり、位置がずったりしたという。その方のところも急斜面で、墓石がずったという。地面の中の棺の周囲を埋めなおすように管理事務所に抗議したのだという。私の家の墓は平地にあったが、線香置き場と花入れの石が浮き上がって移動していた。墓苑は地震のあと、当然チェックするはずだった。それがしていないのはなぜかといぶかった。

花が到着して、やっと墓前にたどり着いて、その理由らしき光景を見ることができた。造成中の斜面にブルーシートが張られ、入り込めないようにロープが張られていた。崩れたのが容易に想像がついた。造成地側ではない販売済みの区画は、墓石に遠方から見た限りは異常はなかった。待合室で話したご家族は、その急斜面の一区画の墓だった。

これでは我が家の少ない親戚も遠方から来るのでは、皆80代以上なので、先方が敬遠したのは正解だった。こうなると馬鹿なことをしたくなる。「はい、チーズ」と墓石に笑みを促して、携帯のカメラに収めた。一日かけて、何をやっているのかと思いつつ、母に墓参終了の連絡電話を入れて画像をメールし、タクシーを待ったのだった。

母に送った画像は、母が親戚の孫の携帯を経由させてメールで配った。画像を転送する方法は、昨夜母に仕込んだもの。こうして怪しい墓石画像は空を飛んで行ったのだった。心霊写真を期待したのだが、故祖父母たちは冷たかった。

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子どもネットワークが珍しく就労支援の講演会をやっている日だった。私は墓石の写真を撮りに来たのだと思いつつ、正直言って虚しかった。翌日はJR相模原の方で、私らが提案した企画だが、気仙沼から祖父母を迎える**君を囲んで苦労をねぎらう会を開くことになっていて、言いだしっぺのひとりとして、欠席するわけに行かなかった。被災地の様子も**君から話を聞けることになっていた。他にも調整が難しい人のいる親戚との日程あわせも面倒なので、20日になっていたのだ。

横浜駅を経由したので、県立図書館の書籍受け取りも済ませてきた。シャッターだらけの地下街の一角、開いていたスーパーで食材を追加。到着時間のあてにならない混雑している夕方の東海道線に乗って帰って来たのだった。県立図書館から都市の独居高齢者の生活の実態調査の書「大都市における高齢者の生活」を仕込んで来た。2000年刊のものなので、データが古いが視点のフォーカシングが出来るだろうと予測して借りているが、もうひとりこの書の利用者がいて、いつも延長できずに図書館経由で書籍が行き来している。類似テーマの図書としては「大都市のひとり暮らし高齢者と社会的孤立」がある。これは入手済み。引きこもり青年の御用聞きシステム稼動はありうるのか見定める基礎仕事である。

しかし計画停電はせわしない。公共施設がいつもと違い17時終了だったり、停電による休館だったり、いっそ平塚のようにばっさり休館にしてくれた方がすっきりする。

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墓参だというのに、相模大野校から何回か電話があったらしい。ところが連絡を入れてみると担当者が帰ってしまったという話で、どうということのない話の場合が多いが、嫌な予感がしたので事務の**さんに質問してみると、その「担当者」(上司)は、明日連絡してきてもらうからいいと言っていたという。冗談ではない。明日はJR相模原の懇談の日だ。明日は予定があって無理と伝えておいて欲しいと頼み込んだ。

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今日の子どもネットワークの講演会は残念だった。ましてや墓参帰りに本を担いで帰って来るなど、慣習からすれば、罰当たりめというか、母にとっては稼ぎにならないことにいい年までうつつを抜かしている息子が嘆かわしいというか、母とは何十年もの並行線をたどっていた。

母は何を思ったか、30日、北里東病院の予約の足で、彼岸の時期をはずしてしまうが、墓苑に行くと言い出した。棺桶に片足突っ込みたいかという私の露骨な挑発に乗って、母は親戚から余計なことを言われたのがばれた。何をしてくれるわけではなし、義理で法事にくるだけの連中である。遠くにいれば、所詮傍系の血縁などこんなものなのだと母にいうが、また道端で突然しゃがみかねない母を、不便な墓苑に連れて行くはめになった。

コーヒーで雑念払いして、作業に入った。今回は最後に炭谷氏の講演会の総括文書案を書かねばと思いつつ、隣の茶の間の余震と緊急速報にかき回されながら、3時までの記憶を最後に、PCの席で眠っていた。沈没無念。

《気になったHP》
●「東北地方太平洋沖地震 被災者(障がい者・高齢者)のためのトイレマップ」


夜間傾聴:なし


(校正2回目済み)

コメント
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