2015/09/06 記
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(前回の続きから)
避難所外の障害を持った方の話をあたるうちに、原発事故避難時、津波被害から自宅は助かったものの、事態がつかめず逃げ遅れたことに気がついた人工透析が必要で、孤立したまま10日間放置された方の話や、自宅が全壊して避難所には入れない寝たきり高齢者の家族を抱えた方が、すぐ隣の御宅の上階が崩壊を免れていたため、なんとか家族を引き上げ、避難させてもらっていたために、原発事故避難に取り残され、事態がつかめず数日間食料を求めて彷徨っていたところを保護された話もあった。単身聴覚障がいの方も津波とき、隣人の声かけで助かり、避難所から家に戻っていたために、原発避難を知らず1週間孤立生活をしていた話もあった。これらは原発事故避難の例だが、避難孤立の話は決して特別な例ではない。
これは想像だが、自立生活を目指して生活していた知的障がいの方は自宅が助かったものの非常事態の生活を理解できずに苦労しただろうと思う。東北の場合、家庭の中に障がい者が隠される傾向が強いので、こうした自立志向の方が生活している例は少ないだろうが、周囲の障がい理解が得られず、支援者が来るまで放置されたり、環境変化が苦手な自閉症の方の家族が孤立したりという事態は、被災地あちこちに起きていただろう。
これらはいわば災害初期(急性期)の状態だ。これが回復期に入ると、避難所外生活を余儀なくされている方たちは、生活情報からの疎外に合うことから様々な困難を生むことになる。
この公共生活情報と水・薬品や支援物資の配給を公共避難所と自宅(避難先)を仲介するボランティアを地域で育てる必要がある。抱える困難の分野が異なるので、大人の側のボランティア育成は難しいだろう。私はここは、食事(弁当)配達を兼ねた仲介を高校生・中学生(ハイティーンズ)世代に任せたらどうかとおもうのだ。
やがて事態は仮設への転居(回復期)へと展開する。
(つづく)
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空疎だったサポセンの地域メディア交流企画の終了時、私の片足は痛みに動かせない状態になっていた。すでに数日たっていたが、すべり症(脊柱間狭窄症)になっていた。医者から痛み止めと血流を増加させる薬と貼り薬が処方されていた。
じっとしていたとき、立つときに腰に痛みが走り、身動きが取れなくなる。しかし、少しずつ動かしていると痛みが和らぎ、ぎごちないが動けるようになる。この繰り返し。
今日は橋本の対面指導が入っていたが日送り。祖母が在宅介護を受けていたときに、壁に取り付けた手すりが役に立った。情けない話だが、一日中のたうちまわっていた。どうにも格好がつかない話しだ。
夜間傾聴>ひとり(中断・痛みとれず)
(校正1回目済み)