2021/12/31 記
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昨夜思いつきで、私の老朽化社会活動団体SCFの老女たちに電話をかけた。政治派婆さんは旅行中だったが、残りは出かける予定もなく、家族に煙たがれながら引業ババア宜しく司令塔をやっていることが判明。夜は家族が心配するからだめだが、昼間なら集まれるとわかり、母も知り合いの中、私が仕切って、☆☆さんの工房を借りて食事会兼SCF会議を急遽実現する運びとなった。誤算だったのは、私が抜け出せないこと。あわよくば、母を置いて寿町にでかけたかったのだ。
8月以来だから4ヶ月ぶり。持ち寄り食材とノンアルビール。家族同居者は、うるさい婆ぁをディサービスに預けた感覚で協力的。一番若い##さんも80をこえている。元SWや元NS、元小学校教員だからじっとしていない。工房の厨房は広く、食事会に適しているが、普段はお弟子さんが連日使ってみるいるから、大晦日は当たりだったのだ。
正月なら家族から抜け出せなかったと好評。
私が抜け出せないなら、声をかけるんじゃなかったと、後悔しつつつ、それでも私の懇話会ゲスト捜索報告やら、防疫活動のボランティア領域の話を嫌がらずにきいてくれたことは、溜飲を下げた気分。ここは王様の耳はロバの耳の痰壺と挑発したら、「老婆の耳」と言ったと、とんちんかんな抗議となり、時間もきたことだしと、タクシーを呼んで同乗。散開となった。2021年の締めである。
近くのスーパーで2等2千円が当たり、券はアイスやノンアルビール、果物に化けたが、母はすっかり気分をよくして帰宅。
しかし帰宅後は、年末正月番組はつまらないので、母はラジオかけつつ小物の始末、私は斎藤幸平氏や、アルフォンス•ミュシャのスラブ叙事詩評自作メモのつまみ読みをやっていた。
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ああ、年が明けた。
ため息つきつつ、
謹賀新年
私の目が無事なままの1年で、ありますように。
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(校正2回目済み)