2022/01/02 記
----------------
FBを見ているうちに、法政大の柏木宏氏が、「家庭こども庁」設立について、大事な指摘をされていたので、シェアさせてもらった。
「子育てや子供の成長は、家庭だけで達成されるものではない。また、「家庭」をもたない子どもも存在する。」
という指摘だ。
-----------
新型コロナがあぶりだした子ども状況(今は"子どもの貧困の諸相"の切り口で語られるが、施設孤児や両親庇護不可による縁者保育児も含んでいる。)は、子どもの育成は親の責任であるという家制度価値観の復活が進行したアメリカの事例もあり、要注意だという。
私は長年不登校•引きこもりの青少年に関わってきたが、事情があって「普通の」生き方とは異なる子が、同世代集団の同質性の踏み絵を踏まされる痛みを背後に感じる例を実際くぐってきた。ここが、常識なる鈍感な社会意識からは見えないだけでなく、当事者を排除してしまう。
60〜70年代には、高度経済成長の曲がり角に接し、親世代の意識による階層継承が、時代転換の中にある子との齟齬が対立し子が孤立する、漠とした未来への不安が中産階級の子女に突出して現れたが、その負の自己主張が、個人内面の歪みとして治療「是正」対象にされつつ、敗北していく。この過程は、風化しつつあったマイホーム主義を唱える中間下層の核家族化した家意識と、地方の旧来の家伝承意識の合唱の形で鎮圧された。その矛盾は学校社会の同質化と、差異に対するいじめとして噴き出し、いわゆる空気を読み、流されて生きるという風潮がはじまり、特に「空気を読む」ことが困難な発達障がい児、帰国子女、ハーフの子たちもあぶりだすことになる。これはリーマンショックのあった2000年初頭まで続くが、この間、中間層分化は進み、自営•中小企業被雇用者の下層化つまり、系列化の波に乗れた層と敗退層の分化という家庭の事情に子どもが間接的に晒されていく。疲弊する中間層。危うい開拓冒険忌避、流れの維持志向が青少年の中間下層に蔓延して、自立可能な中間上層の階層のし上がり志向と、中間層が分極していく。不登校•引きこもり当事者の、困難の質と階層の変化が起きた。祖父母資産の継承を基本にした家意識は、別居生活から衰退し、親子間単位の核家族の家意識が反映してくる。
私が発達障がいという、ターゲットにされやすい子と出会ったとき、連携を求めた手帳を持つ方の家族との家族意識の違和感は、不登校•引きこもりの方の課題は学校や職場の社会だけではなく、家族もまた対立の相手であるのだが、手帳を持つ方の場合は、子育ての拠点が夫婦の結束の家庭となっていた。ここに自立の課題の差があり、家意識は問われないのだ。
リーマンショック以降の非正規労働の肥大化は、低賃金による長期的な見通しの喪失と家族形成の忌避が重なり、子どもの貧困の課題と、不登校•引きこもりの課題は絡みあっていく。子どもの家族環境の多様化は、さまざまな課題を生み出しているが、家意識の復活強化の操作で解決するようなものではない。その事例を柏木氏は紹介してくれた。
-----------
柏木宏さんのFB投稿をシェア
●「こども庁」が「家庭こども庁」に変更されてスタートしたことについて
https://www.facebook.com/groups/2518323765050919/?ref=share
-----------
長くなったので、「子ども食堂」の話は別に紹介する。
(校正1回目済み)