2018/11/02&03 記
-----------------
風邪を引いた。懇話会を終えた翌朝、発熱がわかり、風邪薬を飲んで昼まで寝ていた。溜まっていた家事と買い物を済ませ、電熱ストーブを抱えてPCに向かっている。ハンドレストを使うと逆に打ち間違いが増えることがわかったので、依然ミットのような左手をマッサージしつつ、書き込みをし、まずはメールの返信をしている。夜になって体温が7度5分まで下がった。
昨日の懇話会は、市行政関係課が、市民ふれあい祭り前日で余力なしとのことで参加しない状態だが、自立支援協関係者や民生委員さん、特別支援校、高齢者施設関係者等、地域災害時に重要な責務を負う方々が10名弱出席し、改めて震災を中心とした大災害被災の深刻さを語り合うことができた。
ゲストの山田葉子さん(キャンナス東北・他)は、石巻市渡波(わたのは)出身。東日本大震災被災状況の語りから、被災者の災害認識情況でもないを描いた。渡波から石巻そして熊本・倉敷・胆振そして全国へと共通の根のような、支援する方々が抱える困難の情況を、避難所を中心に描き出した。
被災者の被害状況は個々違っており、それゆえの隣人との総すくみの葛藤があったりとか、関わる際の微妙さ(例えば支援不平等感)が見えない部分を作り出していく、ストレスに満ちた様相などを語り、その上で突き抜ける保健的関わりの事例を説明した。医療専門職の関わる課題と他職種が担う課題との接点がシームレスにつながり、ゆえに協業しないと大幅に効率が下がってしまうという境界の経験則に沿って、他業種連携の地域連絡会を実務組織として育てる必要があること。この連携活動の中で、「要支援者(見えなくされた人々)」が浮かび上がること。その指摘の支援者として医療支援者がいることを語った。
しかし、ゲストの語りは避難所支援を基礎に、孤立・重症化した被災弱者に向けられたもので、在宅避難者支援活動には、実際上、発災後数日は身動きがとれないこと。救出と、疎開を含む救急医療活動から、受け取り看護に至るまでの起動のタイムラグがあり、時期的に課題が移っていく。従来からの障がい者・高介護度高齢者等の支援は、生活支援職の角度とは関わりが違って、避難環境のトリアージのような捌き(さばき)の眼差しを持って関わっていること。(基準は健康。)
そのうえで、福祉避難所の役割の難しさと、福祉避難室か在宅避難かの検討課題や、災害スキームの整理を多業種連携の議論に乗せて行く必要があると語った。
医療ケアの必要な重身の方の場合は、平常時から緊急対策を打ってはいるが、充電器耐久時間が全く足らず、薬品備蓄にも限界があって、行政による政策支援が不可欠。しかし、石巻の場合、この7年、陳情を出しても事態は全く変わらないという行政の怠慢がある。
と話が広がったところで、懇談に入った。私からは10/31の「ハートネットTV」の石巻駅前の「からころ(からだと心)ステーション」の被災単身者の孤立対策、食事会などのコミュニティ育成活動という番組映像からは、きれいに「障がい者・重症高齢者」が消え失せていること。実は医療・生活支援活動も、一般被災者の保健の陰に見えなくさせられている。注意しないといけないと提言。その一日前10/30「西日本豪雨災害時被災の親子の死」の「自立生活を送る知的障がいのある母親と娘」が避難所の場所が支援者の電話でも納得出来ず、結果浸水被害で溺死する無残な例から、災害がちょっとしたことでも、死に結びつく可能性があって、独自の共助体制を仲間内に作りだしておくことが必要と提案した。
これについては、発災後数日は身動きがとれない。どうしても自助的な部分が必要になると語った。
結局、被災者の共通の根っこのような被災の深刻さと共助から、重症障がいのことを語るにとどまった。この意味で、今回の懇話会の主要テーマは、なかなか主要な議題化はしなかったが、災害の実情を内側からみる実感や、多業種連携の必要性は特に災害弱者の個別サポート時に顕著に現れる。平常時からの連携育成の試みを積み上げていく必要があるという話となった。それをどう始めるかというのが、現在の悩みで、それに対する答えは出なかった。震災の実情という点で、深い認識が得られたものの、障がい者・高齢者の課題については、再度テーマ練り直しという状態で終わった。高密度の会だったが、検討議論を更に積み上げていく必要があった。
まずは山田さん、ご苦労様でした。ありがとうございました。
今後の懇話会の打診は、
薬剤師ネット
熊本障がい者支援
熊本特養から地域支援へ
---------
外出時被災の現場からJR
被災時フードバンクや宅配配食の現場から
災害研究者のアンケート調査から
などの方と交渉を始めている。重要な知見が得られたものから、ゲスト交渉を始める。
夜間傾聴:ひとり
(校正2回目済み)
-----------------
風邪を引いた。懇話会を終えた翌朝、発熱がわかり、風邪薬を飲んで昼まで寝ていた。溜まっていた家事と買い物を済ませ、電熱ストーブを抱えてPCに向かっている。ハンドレストを使うと逆に打ち間違いが増えることがわかったので、依然ミットのような左手をマッサージしつつ、書き込みをし、まずはメールの返信をしている。夜になって体温が7度5分まで下がった。
昨日の懇話会は、市行政関係課が、市民ふれあい祭り前日で余力なしとのことで参加しない状態だが、自立支援協関係者や民生委員さん、特別支援校、高齢者施設関係者等、地域災害時に重要な責務を負う方々が10名弱出席し、改めて震災を中心とした大災害被災の深刻さを語り合うことができた。
ゲストの山田葉子さん(キャンナス東北・他)は、石巻市渡波(わたのは)出身。東日本大震災被災状況の語りから、被災者の災害認識情況でもないを描いた。渡波から石巻そして熊本・倉敷・胆振そして全国へと共通の根のような、支援する方々が抱える困難の情況を、避難所を中心に描き出した。
被災者の被害状況は個々違っており、それゆえの隣人との総すくみの葛藤があったりとか、関わる際の微妙さ(例えば支援不平等感)が見えない部分を作り出していく、ストレスに満ちた様相などを語り、その上で突き抜ける保健的関わりの事例を説明した。医療専門職の関わる課題と他職種が担う課題との接点がシームレスにつながり、ゆえに協業しないと大幅に効率が下がってしまうという境界の経験則に沿って、他業種連携の地域連絡会を実務組織として育てる必要があること。この連携活動の中で、「要支援者(見えなくされた人々)」が浮かび上がること。その指摘の支援者として医療支援者がいることを語った。
しかし、ゲストの語りは避難所支援を基礎に、孤立・重症化した被災弱者に向けられたもので、在宅避難者支援活動には、実際上、発災後数日は身動きがとれないこと。救出と、疎開を含む救急医療活動から、受け取り看護に至るまでの起動のタイムラグがあり、時期的に課題が移っていく。従来からの障がい者・高介護度高齢者等の支援は、生活支援職の角度とは関わりが違って、避難環境のトリアージのような捌き(さばき)の眼差しを持って関わっていること。(基準は健康。)
そのうえで、福祉避難所の役割の難しさと、福祉避難室か在宅避難かの検討課題や、災害スキームの整理を多業種連携の議論に乗せて行く必要があると語った。
医療ケアの必要な重身の方の場合は、平常時から緊急対策を打ってはいるが、充電器耐久時間が全く足らず、薬品備蓄にも限界があって、行政による政策支援が不可欠。しかし、石巻の場合、この7年、陳情を出しても事態は全く変わらないという行政の怠慢がある。
と話が広がったところで、懇談に入った。私からは10/31の「ハートネットTV」の石巻駅前の「からころ(からだと心)ステーション」の被災単身者の孤立対策、食事会などのコミュニティ育成活動という番組映像からは、きれいに「障がい者・重症高齢者」が消え失せていること。実は医療・生活支援活動も、一般被災者の保健の陰に見えなくさせられている。注意しないといけないと提言。その一日前10/30「西日本豪雨災害時被災の親子の死」の「自立生活を送る知的障がいのある母親と娘」が避難所の場所が支援者の電話でも納得出来ず、結果浸水被害で溺死する無残な例から、災害がちょっとしたことでも、死に結びつく可能性があって、独自の共助体制を仲間内に作りだしておくことが必要と提案した。
これについては、発災後数日は身動きがとれない。どうしても自助的な部分が必要になると語った。
結局、被災者の共通の根っこのような被災の深刻さと共助から、重症障がいのことを語るにとどまった。この意味で、今回の懇話会の主要テーマは、なかなか主要な議題化はしなかったが、災害の実情を内側からみる実感や、多業種連携の必要性は特に災害弱者の個別サポート時に顕著に現れる。平常時からの連携育成の試みを積み上げていく必要があるという話となった。それをどう始めるかというのが、現在の悩みで、それに対する答えは出なかった。震災の実情という点で、深い認識が得られたものの、障がい者・高齢者の課題については、再度テーマ練り直しという状態で終わった。高密度の会だったが、検討議論を更に積み上げていく必要があった。
まずは山田さん、ご苦労様でした。ありがとうございました。
今後の懇話会の打診は、
薬剤師ネット
熊本障がい者支援
熊本特養から地域支援へ
---------
外出時被災の現場からJR
被災時フードバンクや宅配配食の現場から
災害研究者のアンケート調査から
などの方と交渉を始めている。重要な知見が得られたものから、ゲスト交渉を始める。
夜間傾聴:ひとり
(校正2回目済み)