2018/01/28 記
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映画「ケアニン」の厚木上映会に行ってきた。上映前に香川裕光さんのギターと歌のサービス。私はどうもこういう情緒誘導的な設定が好きになれない。曲は曲。映画に結びつけるのが嫌だ。
小規模多機能型ホームの新入職員大森圭21才(介護福祉士・戸塚純貴)と星川敬子79才(認知症元幼稚園園長・水野久美)を中心に、ホームを舞台に、大森さんと星川家の敬子さんとの出会いから見送りまでを縦軸に、ホームの日常・命の一回性と介護の意味・ケア関連職の仕事の価値を表現していく。
誇張することなく、ホームの日常が活写されているのに好感が持てる。おそらく20年経って観ると、ああ、あの訓練が、はやっていたなあという認知症対策の併行処理訓練が遊びの形となって登場する。認知症の方の短期記憶機能の困難を逆手に取る語りかけスキルの中で、入所者さんの尊厳が守られていく。強制せず、しかも集団から離れた方の傍らに、職員が眼差しを注ぎながら部屋の中を行き交っている。守られた利用者さんの居場所と職員との交流。
母親の入所に躊躇する星川夫婦の様から、馴染み、病死(お分かれ)するまで、その高齢の母親役・水野久美さんの演技が光る。
実は前半部で、認知症の症状や行き違いのエピソードが語られるのだが、この場面が、認知症の高齢者介護に携わる家族の共感を引いてるが、「ああ、"うちの"爺ぃちゃんも、そうよ」というような表層的な情動から、観客を「家族は大変」と引っ張るのだとしたら、人を情緒で操作するなというだろう、しかしそれは、敬子さんの尊厳がまもられ、心が開かれていくシーンや、「ひとが最後まで静穏に生きていくこと」をサポートする仕事に支えられ、病で息を引き取っていく、静かな最後を迎える水野さんの見事な演技の冴えによって、表層的な認知症アラカルトからは、作品が救われている。納得できた。
ただ、この作品は、誰に対して発せられたメッセージなのだろうか。介護福祉士さんをはじめとしたケア関係職の方々に向けられたものなのか、それとも介護初心者の若い観客に高齢者介護施設と日常の紹介するものなのかが、いまだかってわからないままだ。
同時に、上映会を企画するとき、ファーストエード的な発想で観客に対すべきではないだろう。上映会を孤軍奮闘している家族たちに、つながりの気風を醸す場とするなら、それでもいいのかもしれない。しかし、家族やケア関連職以外の者がみたうときの入り口のない迷路と、寄る辺なさは、どうしたものだろう。家族の格闘が見えないから、職員の喜怒哀楽が流されているから、背景の「社会」の力動を捨象した工夫、ホームの出来事を浮き上がらせた分、水野さんの演技以外が風景化してしまったのが惜しい。
私は橋本にまわる時間が迫っていたので、上映後のご挨拶等は失礼して会場を早々に引き上げてきたのだった。
後援に藤沢市となっており、ロケ地が藤沢市だったのかもしれない。
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参加者を眺め渡してみた。残念、主婦+白髪頭ばかり。知り合いは居な見当たらなかった。(といっても、私の眼では無理だが。)懇話会参加者候補は全く得られなかった。
夜間傾聴:ひとり
(校正1回目済み)
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映画「ケアニン」の厚木上映会に行ってきた。上映前に香川裕光さんのギターと歌のサービス。私はどうもこういう情緒誘導的な設定が好きになれない。曲は曲。映画に結びつけるのが嫌だ。
小規模多機能型ホームの新入職員大森圭21才(介護福祉士・戸塚純貴)と星川敬子79才(認知症元幼稚園園長・水野久美)を中心に、ホームを舞台に、大森さんと星川家の敬子さんとの出会いから見送りまでを縦軸に、ホームの日常・命の一回性と介護の意味・ケア関連職の仕事の価値を表現していく。
誇張することなく、ホームの日常が活写されているのに好感が持てる。おそらく20年経って観ると、ああ、あの訓練が、はやっていたなあという認知症対策の併行処理訓練が遊びの形となって登場する。認知症の方の短期記憶機能の困難を逆手に取る語りかけスキルの中で、入所者さんの尊厳が守られていく。強制せず、しかも集団から離れた方の傍らに、職員が眼差しを注ぎながら部屋の中を行き交っている。守られた利用者さんの居場所と職員との交流。
母親の入所に躊躇する星川夫婦の様から、馴染み、病死(お分かれ)するまで、その高齢の母親役・水野久美さんの演技が光る。
実は前半部で、認知症の症状や行き違いのエピソードが語られるのだが、この場面が、認知症の高齢者介護に携わる家族の共感を引いてるが、「ああ、"うちの"爺ぃちゃんも、そうよ」というような表層的な情動から、観客を「家族は大変」と引っ張るのだとしたら、人を情緒で操作するなというだろう、しかしそれは、敬子さんの尊厳がまもられ、心が開かれていくシーンや、「ひとが最後まで静穏に生きていくこと」をサポートする仕事に支えられ、病で息を引き取っていく、静かな最後を迎える水野さんの見事な演技の冴えによって、表層的な認知症アラカルトからは、作品が救われている。納得できた。
ただ、この作品は、誰に対して発せられたメッセージなのだろうか。介護福祉士さんをはじめとしたケア関係職の方々に向けられたものなのか、それとも介護初心者の若い観客に高齢者介護施設と日常の紹介するものなのかが、いまだかってわからないままだ。
同時に、上映会を企画するとき、ファーストエード的な発想で観客に対すべきではないだろう。上映会を孤軍奮闘している家族たちに、つながりの気風を醸す場とするなら、それでもいいのかもしれない。しかし、家族やケア関連職以外の者がみたうときの入り口のない迷路と、寄る辺なさは、どうしたものだろう。家族の格闘が見えないから、職員の喜怒哀楽が流されているから、背景の「社会」の力動を捨象した工夫、ホームの出来事を浮き上がらせた分、水野さんの演技以外が風景化してしまったのが惜しい。
私は橋本にまわる時間が迫っていたので、上映後のご挨拶等は失礼して会場を早々に引き上げてきたのだった。
後援に藤沢市となっており、ロケ地が藤沢市だったのかもしれない。
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参加者を眺め渡してみた。残念、主婦+白髪頭ばかり。知り合いは居な見当たらなかった。(といっても、私の眼では無理だが。)懇話会参加者候補は全く得られなかった。
夜間傾聴:ひとり
(校正1回目済み)