湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

1/10 高齢者支援ということ 他

2018-01-11 06:29:20 | 地震津波災害ボランティア
2018/01/10 記
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先日、中米カリブ海で発生したM7台の地震について、毎日・朝日・読売3紙のHPで検索をかけるが、表示されない。誤報ではあるまいに。

低血圧の母の血圧が急に上がって、筋肉痛を訴え始めた。土日や水木の面倒な日ばかりと考えてみたら4/7と、確率は高いのだと改めて知った。橋本の個別指導のレポートを現地で受け取り、すぐ帰宅してから母に付き添って地元医に行った。「疲れではないか、様子を見よう」ということになり、母は帰宅後、ダンピングを起こした。処方されている安定剤を飲ませ寝かせたが、おそらくは、新年会の疲れ。

そこに地域包括支援センターの##さんが、夕方やってきた。訪問は約束済みとのことで、知らぬは私だけ。事情を説明して、母を起こさなかった。眠っている母を確認し、介護度を使って通っているリハの利用状況と母の近況チェック、そして近所の食事会の情報提供をした。定期巡回である。##さんが玄関をでるところで、母が起きてきて挨拶。幸い時間切れで##さんは帰って行った。

私も前期高齢者だから大きなことは言えないが、高齢者はガラス細工の様で面倒くさい。今日橋本に出かけるときも、路線バスの車中で、80代の爺ぃさんが、下車しようと大仕事をしていた。手には、処方された薬の子袋と、コンビニの買い物袋に、路線上のスーパーで買ったリンゴの入った袋を持ち、路線バス割引パスと財布をばらばらにポケットから持ち出し、なおかつ杖を下げていた。運賃を払おうとすると杖が倒れ、荷物の置き場所がなく床に散乱させた。手伝うと猛烈に怒り出すので、見ている以外なかった。ポケットからくしゃくしゃのレシートとコインを引っ張り出し、再び床に散乱させ、およそ5分強、バスは発車できず、停車を余儀なくされた。

世話好き50代のおばさんが大声で、認知症の入った++さんの噂話を始めて、別に苛立つ風ではなく、見ているが、手伝わない。数名の男性が苛立ちをあらわにし、「運賃払ってやるから爺ぃを早く下ろせ」と言い出した。私と同年齢のその親父が運転手に制止された。私と男子高校生(?)のふたりが、焦る当人の脇で転倒を防いで、下りるのを手伝った。杖を忘れたと、車内に戻ろうとするのを止めて、杖をリレーで渡し、やっと発車できた。介護は短気ではできない、本当にそうおもう。

実はその爺さん、昨年は支払いの最中、急にズボンが下がって、乗客が凍り付いたことがあり、このときは私と母とで世話して下車させたのだが、その方は、家族の世話を感じられなかった。おそらくは独居。つんと尿が匂った。

私は短気だ。しかし、家族の長い介護の送り出しをしてきたことが、一種のあきらめのように、怒りがへこむようになった。ケア関係の職員さんの応対は感心するが、私の自閉症系の方の訪問支援のときのクールダウンの場面も忍耐はいる。しかし高齢者の場合は、なかなか愛おしいとは思えないのは父の介護のトラウマか、修業が足らないのだろうか。

母を休ませつつ、21時台の夕食になってしまったが、まだ教材屋の始末があるというのに、食器を洗い終えたとき、一日が終わったと、ほっと思えてしまったのだった。

珍しく母が寝入ったあと、熊本地震のときの被災高齢者のケアの録画番組を見ていて思った。災害弱者支援のケア活動は、当事者家族では緊急の課題だが、どこまで行っても自分たち家族の課題で、共助の力は自然には直結しないように思う。一度、災害弱者支援の価値から共感が引き出されるとしたら、ガバナンスの鳥瞰の視座を通さないと活動にならないのではないかと思い始めている。私の彷徨は、まだおさまりそうにない。

夜間傾聴:なし
(校正2回目済み)

コメント
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