湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/02 研究会を振り返り/「わーくNo.067(第1・4・5面)最終原稿より

2016-10-03 05:25:26 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/02 記
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橋本の学習指導が先方の問題で変更になった。クール・ダウンが必要。明日、母の友人の見舞いに母を連れて、埼玉某所に付き添う。帰りに横浜で途中下車し、ビッグイシュー販売員さんから新刊を買う。母がいるので、長話は出来ないが、丸一日かかってしまうだろう。駅を降りて路線バス30分、バス停から歩いて30分という辺鄙な場所。この辺でいうと獺郷に行く感じか。

先日の研究会の発達をめぐる研究の中の、引きこもり青年の就労支援活動の研究の件を再考している。ラズベリースクールの影響があるように思うが、アメリカの低所得者層に表れている若者の学習忌避からドロップアウトしている地域で、即興性に満ちたゲームを学習に取り込むことで、絆を回復し、社会復帰していくという線にのって、その練り直しを考えているように思えたが、塾屋にとっては、太郎次郎社時代の私塾の会でやりつくしたことのように思えて、結局は学校制度に発想が取り込まれているように思えて、ため息をついている。

社会参加としてのまなび、自己の居場所作りとしての就労というような開かれた視点が見えない。どうしたものかと考えている。教科学習についていけなくなったことで、脱落したのだからわからせるとか、興味が持てるように工夫すうというのは、引きこもり青年の的を射ていない。彼の引きこもりは、学習空間からの疎外ということや、受験競争から押し出された結果と考えるのは違うのではないか。学習の営みと自己の将来がマッチングしない、意味が見出せないという問いの中には、関わる他者の存在の不在が隠れている。引きこもりは社会から断ち切られた結果でもない。オンライン上でゲーマーとして名を馳せているかも知れない。実像を追うべきでは。

 


「わーくNo.067」最終原稿より

----- ここから ------

(「第1面:全3回の災害対策企画整理から重要企画の継続の価値を思う」

●秋は台風に運ばれて、急にやってきた。医療とケアの関係者が懇談する茅ヶ崎懇話会を支えて、9月の会を無事に終えた。直後の空白の時間、今号の執筆にあたり、全3回の総括の最終回、東日本大震災や熊本地震が教えてくれる重要な防災準備課題が煤けていないかを改めて思う。

●「わーく」は引きこもり青少年を初めとした困難を抱える若者たちの社会参加をデザインしている。
災害ボランティアは、その中で生まれた。企画を生み出していくうちに、現状打開のいくつかの重要なアイデアが生まれた。それは「お薬手帳QRコード版」であり、「市民トリアージ湘南版」・「幼児・学童の日中預かり」そして、「在宅避難・車中泊被災家族と公共避難所を結ぶ『御用聞き』
支援自転車チーム」だ。これらは、被災せねば始められない「絵にかいた餅」であるが、いざというときに、何をどう始めたらよいか、変容可能の自由さを含めた構造と有効性を明らかにし、例の形で明らかにする進め方をしていきたいと思っている。

●被災地を歩くと、様々な課題が見えてくる。その中でも、中高生世代の地域社会参加活動だが、彼らが大人の中で始めている諸活動が、教科学習と受験活動に再組み込みされはじめていることだ。発災時、学校は休校になり、各人の近所の地域活動とくに避難所活動に参加している子たちがいた。彼らは、何々中、何々高生ではなく、**くん。++さんであった。それが学校が再開されるにしたがって、何々中生たち、何々高生たちと姿を変えて、集団で活動するようになり、地域の住民との個々のつながりが浅くなり始めていることだ。大人社会の周辺にいる彼らが、学生の本分は(教科)学習の論理に乗って、再びモラトリアムの構造の中に組み込まれていく、常識という大人の見識の無さが見えてくる。災害の中で大人は何を見てきたのだろう。学校の門を出た子を中学生たち・高校生たちと呼び、固有名詞を失わせて行く事態は憂慮すべきことだと思う。

●「わーく」は、不登校・引きこもりの青少年とのお付き合いのなかで、学校という所属からはみだしている子たちと付き合ってきた。彼らはまず一個人であって、学生なのであって、全生活が学生なのではない。社会に被災というニーズが生まれたとき、避難所の仕事や子守役などの自主活動に動き出した。「他者に必要とされるとき、ひとは情熱的に動き、成長する」。そのことを忘れずに、ティーンズの仕事を明らかにしていきたいと考える。


**東日本大震災の中で提案した「わーく」のアイデアから**
<<被災時自己表現困難な方を意識した『お薬手帳QRコード版』企画>>(第4~5面)


★広域大災害が起きたとき、基幹救急病院を中心とした救急外来の大混乱や、看護の人員・施設のキャパシティーを超える危機的状況が予想される。

★「お薬手帳QRコード版」は、救急治療が済んだ傷病者の身元・病歴等保健・医療情報確認を効率化することを主眼に、救急治療上確認が必要な医療テータ(アレルギー等)を参考提供する機能や、避難所生活の心身留意事項提供により事故を避けることを副次的な目的にした任意参加の救急時保健医療カードだ。

★利用環境が災害急性期・亜急性期の被災地なので、外部支援が到着するまで電源・専門機材・通信に頼らず上記の困難を軽減する対策が望まれる。平常時と異なり、医療現場は病院に集中するとは限らない。道路が寸断され移動出来ない事態が起きるからだ。医師の数は限られるが、救急救命士・看護師資格を有する方中心にあちこちで応急処置が行われる。輸血等の治療は不可能であるが、身元確認と同時に、傷病者への看護・食事提供の、命に関わることがある留意点を伝えることができる。

★QRコードは最近の携帯電話のアプリで読むことできる。携帯電話普及率を考えると、携帯電話はスタンド・アローン機として利用し易い。自己表現が出来ない状態の方を代弁する役割は、乳幼児・重症者・高齢者・障がい者・日本語が使えない方等(災害時要支援者)などにメリットが出て来る。

★それならば、紙に必要事項を記入して携帯すればすむこと。しかし、そこには紛失時のプライバシー漏洩の危険があるが、QRコードの場合は、盗み見程度の漏洩抑止効果がある。ICカードやICチップでは更新のメリットはあるが、読み取り機等の専門機材が必要であったり、挿入口のある携帯(スマホ)であっても、着脱頻度が高く、粉塵や泥により携帯自身を壊し易い難があり、光学系の読み取りであるQRカードに利がある。

★QRカードはVer.01~03の3種類がある。Ver.01は、「基本」「家族」「医療」の3つのQRコードが並び、医療関係者は主に「基本」と「医療」を読み込む。Ver.02では、常備治療する薬データなどを医師が発行する「QRコードシール」にして台紙に貼っていく。Ver.03は「SDHC カード」そのものを利用することも考えた。しかしこれは専門機材の読み取り機が必要であるし、モバイルPCを読み取り機に使うという現場の操作性からすると、携帯電話より場面設定が難しくなると思われた。(詳細は連載記事参照)結果として現在はVer,02「QRコードシール」に戻っている。

★運用上は、必要最低限の「名前・住所・電話番号・生年月日・血液型・体重・身長」を必須事項とし、「病歴・現在使用中の薬品名・プロフィール」は任意選択として、作成は任意となる。

★紙の書き込みカードからQRカードへの移行のメリットは、一定程度のプライバシー保護を行いつつ、治療現場へフィットした有効利用性、携帯性にあう。今後の吟味はカードの作成環境、申込から発行・更新にいたるプロセスの個人情報扱いの信頼性の公共団体を描くことと、病院・開業医が「QRコード処方箋シール」を発行すうために、薬剤師協会などと連携する運動を高めていく方策、試行の場として市立病院の協力を取り付ける必要がある。

★「茅ヶ崎市との協働」提案の場や、市民提案にも「QRカード」を提案し、有用な提案であることを認めていただいているが、その実現までの環境が整備されなければ、現段階で実行は無為という但し書きをいただいている。誰がそれを必要と感じ、実現に向けて活動化していくかという、協力の活動作りの壁を叩き続けている。障がい者団体が発行している障がい説明と救援要請のSOSカードとQRシールとの合併や、健康保険証裏面を台紙に利用する案があり、その項目の吟味も必要という段階にある。壁に向き合っているが、この企画の重要性ゆえ、継続していく選択をした。

-----ここまで------

 

夜間傾聴>中学生の**君

(校正1回目済み)

コメント
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