2016/10/22 記
--------------
現在「わーくOnlinePicUp」誌は、引きこもり青少年の社会参加活動として災害ボランティアを取り上げている。
妙な話に聞こえるかもしれないが、私が発達障がいや鬱病を伴った引きこもりの青少年と出会ってきた経過を振り返ると、心の治療の枠組みから、社会的孤立の原因をもっぱら当人の不適合行動によるものとしていじられ、二次障害を起こしておられる方と同時に、特異な傾向を発見した。それが「転居族」である。どんな支援の絆も、自治体を踏み越えて転居すると、今まで築いてきた支援の絆が清算され、家族もろとも振り出しからリセットされてしまう。こういう孤立と支援の彷徨が影を落としていた。幼児の頃からの家族の保護の取り組みが、単線的に蓄積していないのだ。
こうした断層は、高校時代に及ぶ。高校卒業した比較的軽度の方の就労や進学の絵は暗中摸索を孕んで、当事者の成人像へと至っていく。このとき、しっくりと手を結べる地域障がい者団体と出会う率が高いのが、知的障がい・身体障がいの方々で、裾野の広い発達障がいや、精神障がいの方は未組織の方も多く、職場理解も遅れている。加えて熊本地震の際、ようやく浮かび上がってきた、医療と福祉の谷間にいる医療ケアの必要な内臓障がい等の身体障がいの方々だ。いずれも人生の転換期や、支援の谷間にいる方々で、支援の網から取りのこされたり、はぐれたりしている方々の苦難が、裾野の方々にも拡がっていることが、ましてや災害のときなどは、あぶりだされるように浮かび上がってきているのだ。
今、成人障がい者の生活の土台作りのために、成人後見制度が根付いてきているが、この障がい者の成人像を固めていく試みは、就労活動や社会参加(地域連携)活動というような人的ネットワーク作りを背後にした日常形成を進める時代に入っている。
このとき、特に社会参加活動は、いかに障害者を庇護していくかという発想ではなく、なしうることと、社会が求めているいることへの参加の可能性を拡げていく活動が望まれる。
「わーく」は、この部分を探っているがゆえに、引きこもり青少年や、手帳を持っている障がい者の方とも、乖離してしまっているようにみえる。社会参加の形の摸索は、障がい者の生きる隙間探しではなく、地域と手を結びうる道を拓いていくことにある。しかしこの道は、手を結ぶ相手方の参加も必要なわけで、この意味でニーズを見据えることが、接点探しになる。
災害ボランティア活動は、見方を変えると健常者の側にあらゆる生活のニーズが生まれるときであり、これを「災害ユートピア」という「求められる存在へ」と接点を広げていく場面に満ちている。勿論一時的なものだが、契機が広がることは貴重だ。健常者とともに、困難克服のためのリセット・ラインにたてるからだ。
そのための基礎作業に「わーく」は入っている。周囲からの接点の在り方を含めて、記事を書いている。
また災害という激烈な困難に曝されたときの要援護者の制度的支援策を提案している。QRカードや、高校生たちによる「御用聞き&配達配食巡回活動」である。中高生にとっては、地域の大人と知り合う地域連携(周辺参加)活動でもある。
病者の社会復帰の論理によって、社会参加活動も社会訓練と読み替える愚は繰り返すまい。心身の歪み是正に事態を読み替える眼差しから世界を拡げネットワーキングしよう。その転換期の願いをこめて、「わーく」を描いていく。
----------
母の消化器系の不調は、友人の喪失と死の足音を強いストレスとして、ここ数日ダンピング傾向となってあらわれている。日中は正常を保っているようだが、夜間、腹部の膨満感とは違う腸の暴走や夜間の排便数の増加による睡眠不足となってじわりと母をダンピングへと追いやっている。
食事のコントロールをしているが、煽りは私の糖尿病対策食に混乱が出ている。
母は頓服薬を処方されているが、眠れないと訴える。橋本往復時も急いで帰宅する状態で、幸い今日は休みの日で、家事と事務職を済ませて一日が終わった。
高校生の災害ボラ参加の勧めのパンフ作りと併行して「わーくNo.068」を書き始めている。
夜間傾聴:ひとり(困った君)
(校正1回目済み)