日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

どうなっているの

2018年11月20日 | 社会 政治

 日本の企業に何が起きているのだろう。世界に名の通った企業の不正が次々と明らかになる。不正データーとそれらの捏造、検査の省略などメーカーに勤務経験ある者からすると考えられない。中には安全性を損なう、人命に影響を及ぼす内容が多数ある。中央省庁の公文書改ざんなどの影響でもあるまいが、日本の信用を大きく失墜させることが続く。

 昨夕、といってもまだ明るいときヤフーニュースが飛び込んできた。日産自動車の苦しい状況を脱出させ、グループの車販売台数で世界2位を築いた日産自動車代表取締役会長のカルロス・ゴーンを東京地検特捜部が事情聴取しているという短い速報に驚いた。TVも次々と新しい情報が速報として入る。容疑は役員報酬を巡る有価証券報告書の虚偽記載、なんでも50億円近くをだまかしていたという。逮捕され一夜が明け次第に容疑内容が明かされる。

 ほかにも幾つかの不正が報じられる。50億円と言えば14万市民が暮らす当市の一般会計予算の6%強に当たる。下世話な言い方になるが、金に困って虚偽記載したとは思えない。これからの取り調べで明らかにして欲しい。逮捕された2人では虚偽報告は出来ない、気の毒だが指示され断れなかった人もいるだろう。

 新聞のベタ記事で政治家の政治資金報告も修正が頻繁に報道される。理由の大方は「秘書」「うっかりミス」「引継ぎの不手際」などで、金額が少ないためか責任を感じる議員はいないばかりか、何度も修正をくり返す大臣もいる。議員や経営者など上に立つと自認する人らは常に心を引き締めて精励して欲しい。 
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横断歩道のルール

2018年11月19日 | 地域

 一般社団法人・日本自動車連盟というより「JAF」の呼称が通用する。そのJAFが実施した「信号機のない横断歩道で歩行者が渡ろうとしているのに一時停止しない車」の全国調査をした。調査は幅員、交通量、規制速度、歩道の設置場所など条件を合わせて調査した。その結果は何と停止率は8.6%、100台のうち91台は停まらないという結果が報道された。わが県はさらに悪い結果で93台が止まらなかった。

 調査結果に感覚的に納得し、歩行者が渡ろうとしているときは必ず止まることを改めて心に刻んだ。そんな日、錦帯橋岩国側の横断歩道を渡ろうとして気づいた。その時は交通指導員が不在だった。渡ろうとする人は何人もいるが車は止まらない。運転手は錦帯橋方向を見ながら運転している。その仕方、わからないでもないが脇見には違いない。不案内の地に出向いたときの運転の参考になった。

 横断歩道についてポリスメールが届いた。運転者向けでは「横断歩道は歩行者優先、横断歩行者を守ろう」と訴え横断歩道での「減速と一時停止」はマナーでなくルールと説く。歩行者については「横断歩道を使用しなければならない」とし、車両の直前直後や斜め横断の禁止を図入りで解説してある。左右の安全をよく確認して渡ろうともある。あたりまえの事とばかりだが守られていないのだろう。

 横断歩道は白で表示されている。場所によってはその表示がほぼ消えているとこもある。薄くなったら補修し横断歩道を知らしめるだけで歩行者は安心し、運転者も気づきやすいのでは、時には運転者として、歩行者として思う。先の停車率が1%以下の自治体がある。他人事ではないという自覚を持とう。
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のって見ている

2018年11月18日 | 生活・ニュース

 黄葉を撮ろうと見上げると、真っ青な空に米粒より小さな飛行機が見える。カメラのズームを一杯に、と言っても300㍉レンズでは超高度を飛行する物体にはさほどの効果は無いが、機体ははっきり認識できる。機影の後ろに2本の白い線となって飛行機雲が直線で続いている。飛行機雲は数百度の排気ガス中の水分が急冷されて凍り、雲となって白く見える。

 上空1万㍍の気温は地上より60度あまり低い。寒い冬の日に息を吐くと白くなるのと同じ理屈だが、その白さは一瞬で消える。飛行機雲が見れるのは、飛行機の飛ぶ高さや上空の温度、湿度、空気の流れなど一定の条件が揃わないと発生しないという。旅客機なら飛行機雲の本数で機種が分ると教わった。

 それは銭壺山頂でスマホアプリを操作しながら、上空を飛行中の旅客機の行先などを示し、ボーイング747型機は4本、同767なら2本でそれはエンジンの数による違いという。飛行機雲を眺めあれこれ思えるのは平和なればこそだろう。軍用機が飛行機雲を引いて飛べばすぐに敵に発見されるのだろうが、どうしているのだろう。

 最後に飛行機に乗ったのは、何度目かの金沢出張の折りで、広島西空港から小松空港までプロペラ機だったと思うが、時期は失念しているが20数年も前の話になる。飛行機雲が出来るほどの高度ははないが、着陸まで雲の上を飛行し地上は見えなかった。しかし、雲上にのぞいていた大山の姿は印象に残っている。最近は艦載機の機影をのってみている。 
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掛けやの音

2018年11月17日 | 地域

 かけやは「掛矢」と書く。時代劇で木製の大きな槌で屋敷や城門の扉を破る場面がある。その時使われてれるのが掛矢。樫などの硬い木で作られている。扉など破るだけなく身近では杭を打ち込むときもよく使った。祖父の代からのそれが物置にあるが、最近は使うことがなくなった。使うにはケガをしないよう注意が必要だった。

 新築の棟上げ現場から掛矢のカーンという音が二つ聞こえて来る。レッカーで釣り上げられた梁や棟木が掛矢で打ち込まれていく。現場はネットで覆われ道路からは奥の方で音がし掛矢を使うところは見えない。規則正しく、また交互に打つ音が秋の空に響く。見上げているのは施主夫婦、まだ若そうに見える。自分の棟上げの時を思い出す。

 知り合いの棟梁も2日続けて棟上げの写真をブログに載せていた。棟梁は「最期は土にかえる家」を作ることを目標にしており、いつも木造で通している。何れも掛矢を使う写真になっている。鉄骨造りの家では観られない棟上げ風景で、昔ながらの日本を感じる。

 わが家から数分のところにある小学校校区は人気があり、校区内という文字が宅地や新築販売のチラシでは大文字で刷り込んである。掛矢の音がする新築現場はその学校の前、校門までは子どもの足でも1分だろう。周囲は子どものいる家が新築ラッシュ、人気校区の裏付けだろうか。毎日、通学の子らからの元気な声や姿に接しながら、平和が将来も続くことを願っている。 
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孫新聞200号記念

2018年11月16日 | 生活・ニュース

 10日ほど前、毎月作成している孫新聞について「取材したい」という電話を新聞社からかかった。その際、発行済の新聞を全て準備して欲しいという要望だった。それはファイルを持ち出せば済むことで準備は無し。約束の時間ジャストに記者は大きなバックをもって訪ねて見えた。

 孫新聞で単独取材を受けるのはこれで3度目、何を聞かれても答えらだろうと心の準備はしておいた。今回も聞き書きするその速さにプロの仕事を感じた。そんな書き取りが記事となって紙面に載る、どんな記事になるのか気になるが、気にしても仕方ないこと、ただ掲載を待つだけ。

 そんな取材記事が今日のローカル面に載った。記事は数分あれば読めるが、掲載は孫新聞にとっていい記念になる。販売店から10部も別に届き、どこへ配ろうかと思案している。

 小さな新聞、サブ紙名は「岩国から京都」、離れて暮らす息子一家へ孫の名を借り私ら夫婦二人の様子を報せる役目をいつからか負うようになった。どうして続けられるのか、記事を読んだ人から聞かれた、楽しんでいるからだと思うと答えた。来月号は記事と掲載紙面を届けよう。
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食レポ

2018年11月15日 | 生活・ニュース

 ランチをのぞけば人生が見えてくる働く大人の飯、それが「サラメシ」、という昼食をテーマにしたNHKのバラエティ番組がある。サラリーマンから有名人まで、多彩な職業の人々の様々なランチを徹底的にウオッチングし、現代の働く人の笑いと涙、喜怒哀楽をみつめる(番組HP参照)、家に居れば20年前までの我が身と比べ観ている。

 登場するのは昼食を作る人と食べる人、取材と編集の上手さだろうかテンポのよい会話は素人の良さがあふれている。そには作る人への感謝と作る人の人柄が表現される。それがしっかり噛み味わったあとの味レポに繋がる。ある時のサラメシ、昼食に行く勤め人を街頭で呼び止め「あなたのランチをご自身で食レポ」と交渉、成立、素人さんのぶっつけとは思えない上手いレポだった。

 そのサラリーマンの最後の感想、それは「口に入れたらすぐにレポする人がいる。少し2度3度と噛んでからレポではないか」と話す。自分ランチレポはそうだった。類似の番組を見たときいつも家内に言っていると同じ内容だった。具体的にはこんな調子。一口目を口に入れる、噛もしないで「食材の食感や味、調味料や出汁などの効き具合、それらを総合した食味」を上手くまとめて話す。

 ある民放の新人アナ、食レポ担当の場面では「よく噛んで」からレポに移る。これは試食していないなと観ている。試食も取材の内だろうが、レポなら初めて口にした臨場感が欲しい。こんな注文をしながら自分が食レポしたら「美味いかそうでない、甘い辛い、酸っぱい苦い、硬い柔らかい」くらいでレポにはならない。そんなことを分かっていながら、まだ味わったことのないランチの味表現を期待している。
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ふけゆく

2018年11月14日 | 生活・ニュース
 
 公園を散策しているとき、数人の年配女性が紅葉の下をハミングしながら歩いている。聞こえて来たのは私でも知っている「ふけゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む 恋しやふるさと なつかし父母 夢路にたどるは さとの家路 ふけゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む」旅愁だった。偶然だろうが、人影もまばらで散り始めた紅葉の光景にハミングが同化している。

 そんなハミング、写真を撮りながら聞いた。公園でハミングしながら秋を楽し人を見たのは初めて、同年配に思えるが何処から来られたのだろうといらぬ詮索をしていた。会話から市内某校の名前がでた。詮索はこうまとめた。市内出身で今は遠くに住む、同窓会で帰省し誘いあって思い出の公園を歩くうち旅愁をハミングしていた。

  私は生まれたこの地で高校卒業まで学んだ。社会に出る頃は産官学一体となり戦後復興の仕上時期で、石油が石炭にとって代わる端境期だった。多くの同期は各地へその担い手として故郷を後にした。幸か不幸か私は、生まれた地を離れずに今日まで過ぎた。だから旅愁という言葉の真の意味を知らない。

 旅愁の出だし「ふけゆく」を聞き、先日ばったり会った同期が「ふけても気持ちだけはふけまいで」と話したことを思い出した。ふけゆくは「老けゆく」とも書き意味は年をとっていくこと。歌詞のそれは「秋の夜が深くなっていく」情景だが、人生も似たところがある。たまには「ふける」について考えておくのもいいか、足下のモミジの葉を見ながら思った。
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タヌキ?

2018年11月13日 | 生活・ニュース

 狭い庭だが生き物がやって来る。今住んでいるところへ引っ越した当時は、連日連夜ノラ猫がやって来た。ところ構わず厳しい臭気を発するお土産を残している。朝一番、出勤前にこれの処理していた。ノラ猫のために置き餌をする人を見かけなくなってお土産処理は終わった。今はたまに飼い猫が散歩しているが、ゆっくりと通り過ぎる。

 やって来て歓迎する生き物は野鳥。鳴き声でなく、柑橘類を輪切りにして置くと色々な仕草をしながら食べる。2羽でくると1羽が警戒監視しもう1羽はついばむ。それを交替で繰り返す。大型の野鳥が来ると素早く飛び去るが、その連携プレーは何度見ても乱れることがない。柑橘類へのお礼か、土産に残した種子から新しい芽がのぞく。

 花を植えようと掘り返しややわらくした花壇に最近新しい足跡が残っている。先日は久しぶりに置き土産の糞あった。それはネコのそれとは形状も臭いも違う、道で見かける犬のそれとも違う、黒く棒状で固めだった。解らぬままに処理した。その日、隣の人から「庭にタヌキが来ていた。音をさせたら逃げた」と聞いた。ならばわが家にきても不思議はない。

 ネコはブロック塀や門扉の隙間から入れるがタヌキはどうだろう。一応、周囲を囲っており、これをタヌキが飛び越せば別だが、タヌキのジャンプ力は知らない。タヌキも雑食らしいから、餌になるような物は放置しないよう気をつけよう。スマートな体形で尾の長いイタチかテンに似た小型もたまに見かける。そういえば少し離れたところに小さな廃屋と薮になった屋敷跡あり気になる。
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神か仏か

2018年11月12日 | しっちょる岩国
 「神か仏か岩国様は、扇子(せんす)ひとつで槍(やり)の中」。これは錦帯橋近くの城下町の名残を残す通りで伝わる「小糠踊り」という盆踊り甚句のひとつ。太鼓に三味線そして笛の囃子に合わせて甚句が始めると「神か仏か」が最初にうたわれる。甚句の岩国様とは「吉川経幹(きっかわつねまさ)十二代岩国領主」で長州藩の危機を救った領主として誇れる人をさす。 

 禁門の変により朝敵となった長州藩へ西郷隆盛を大参謀とする15万の征長軍が結成された。長州藩に勝ち目は無いとした藩主の毛利敬親(たかちか)は経幹に幕府との交渉役を依頼した。経幹は西郷とも接触する中で「幕府へ禁門の変を謝罪する」で戦争回避を目指した。西郷も同意だった。このことが、後の薩長同盟の足掛かりとなった。謝罪は首謀とされる三家老の切腹で幕府への恭順を示した。

 経幹は征長軍総督府が置かれた広島の国泰寺にて禁門の変について厳しい詰問を受けた。経幹自身も毛利元徳の供として百艘の大船団で大阪に向かっていたこともあり長時間に及んだが、長州藩攻撃の延期が決まった。この時、経幹は征長軍が槍を構え警護する国泰寺に入場し芸州の人たちを驚かせ、それが甚句として伝わっている。それは元治元年(1864)で今から154年前の今月16日のことだった。経幹はその後の四境戦争でも長州を守った。

 横山の岩国徴古館では明治維維新における岩国領の動きを紹介する「明治150年記念 岩国の明治維新」展が開催中。古文書が読めないのは残念だが、柱島出身の奇兵隊第3代総督についた赤禰武人の晩年の行動や、長州藩が高杉晋作処刑を検討した資料もあるという。パネル説明は素人にもわかりやすい。激動期の岩国を知る企画展だと思う。
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蕪の4兄弟

2018年11月11日 | 生活・ニュース

 仲間との農園作業はまもなく10年近くなるかも、といっても作業は月に1回で午前中。毎月のことだが、畑の防獣ネットの周囲はイノシシの採餌行動で掘り返され荒れた状態を見て、丹精込めた産物がイノシシに襲われ収穫できない農家の落胆される様子を想像する。根こそぎという言葉があるが、ネット周囲の荒れた跡を見ると被害の深刻さが分る。

 ひと月ぶりに見る畑の様子は季節ごとに変わる。この時期、まだ霜は降りていないが葉物は夜露でぐっしょりで瑞々しいしい。畑の土もしっとりしていて、何でも育てますと呼びかけているようだ。靴の裏にはぐっしょりした土が遠慮なく厚くくっつき、歩きにくくする。大方が素人のにわかにわか農夫、前年のことは忘却しリーダーの声がなければ作業は進まない。

 鍋には欠かせない白菜やアブラナなどと同種のかぶ(蕪)の葉に勢いがある。そんな根元に仲の良い兄弟のように向き合って顔を見せあっている蕪がある。よく見ると長男から四男までのようでちょっと微笑ましいが、本来は土に隠れているはず。悪戯が過ぎて土を跳ねのけたのかもしれない。優しい秋の陽ざしを受けていて別れさせるのは忍びないが、間引いて本収穫に備える。

 作業は2時間あまり続く。その後はお茶と休憩とを兼ねた早めの昼食をとりながら歓談になる。差し入れの手作り弁当は毎回内容が異なり、初物のもよくいただく。弁当を乗せる木製の食卓と取り囲む椅子はともにメンバーの手作り、これが歓談を支える。この日も蕪の4兄弟のように若くはないが、世にたけた素人農夫の輪も話が盛り上がった。
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