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日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

3回目の岩国検定

2014年08月21日 | しっちょる岩国


 ご当地検定試験は、しかるべき公的な組織で行われると思いこんでいた。しかし、当市にはその気配はなかった。「有志で岩国検定試験をやってみないか」そう誘われてから5年目に入った。これまで隔年で2回試験を実施、来る11月に3回目の検定試験を行う。

 有志といっても全員が素人で、ゼロから出発した。「ああでもない、こうでもない」とリーダー中心に調べたり現地に足を運んだりし、1回目の試験を行った。

 受験者からはいい評価を沢山いただいた。一方、参考テキストが必要、という強い要望が寄せられた。2回目の試験に間に合わせるようテキストの製作を始める。会発足3年目にテキスト「いわくに通になろう」が、市の助成を受けカラー印刷で完成、2回目の検定を行った。予想を超える評価をいただき全員で喜んだ。

 残念だが有志の会ではテキストを再版する資金がない。そこでテキストの原本をCD化しよう、これなら素人でもなんとかなる、9月の出版に向けて準備している。検定試験とはいえ、単なる検定でなく何かが残る工夫をしている。その一つが設問方法。検定のための問題でなく、問題の中に答えにまつわる周辺の事項をおり込み、問題を読むことで知識が増えるような問題文章に仕上げてきた。第3回目もこの策は崩さないで準備中、ぜひ受験ください。

 記者発表を行いビラの配布と受験依頼の行脚が始まった。
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オオサンショウウオ 3

2014年08月20日 | しっちょる岩国


 オオサンショウウオは西日本、岐阜県から大分県までの山間部の清流に住む。また田畑が広がる盆地にも住み、人と共に生きてきた里山の生き物という。錦川は本州最西端の棲息地として2007年に発見され、2012より棲息地として知られ始めたというから、まだ新参のいきだろう。その棲息域が渓流中心というのは珍しいという。

 オオサンショウウオの減少が進行している、と関係者は話される。原因は河川のコンクリート化、工事や伐採などによる土砂の流入、農薬や大気汚染や水質の汚染、異常気候による異常出水、外来種との交雑、ダム取水による水量・水位の低下など多様で複合的という。指摘される原因のいくつかは人為的な項目もあり、これらに知恵を出すことで減少ストップの方向が見いだせないものかと思う。

 宇佐川のオオサンショウウオが極度の飢餓状態、死の直前で保護されたことは書いたが、原因は上流に設けられた堰堤が産卵期移動を阻害し、堰堤を登ろうとして足に穴が開き血が滲んでいると、学習会で説明された。砂防堰堤は下流の洪水被害予防のためには必要だろうが、そこに魚道のような遡行を助ける工作はできないのだろか。

 オオサンショウウオを守ったら、川が豊かになり、地域が豊かになったといってもらえるような保護活動を進めると、関係者の話。それが、未来の子どもたちに豊かな自然を引き継ぐことにもなるという。大きな頭部に似合わない小さな目、大きな口に似合わない小食、「特別」という冠をいただいたオオサンショウウオ守る上流域の人らの苦労に感謝しながら、下流に向かって車を走らせた。
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オオサンショウウオ 2

2014年08月19日 | しっちょる岩国


 山椒魚といえば教科書にもあった井伏鱒二の作品を思い出す。成長しすぎて自分の棲家である出入り口に頭がコップの栓のようにつかえ岩屋から出られなくなってしまった山椒魚の悲嘆をユーモラスに描いた短編作品。井伏の代表的作品の一つといわれる。頭部には小さな目と鼻、そして大きな口があり真正面から眺めると大頭で、棲家かの出入り口に頭が栓のようになりそうだが、横から眺めると意外にスマートだ。

 世界最大級の両生類で、生きた化石でその一生を水中でくらす両生類として保護されるが、準絶滅危惧種に指定されている。学習会で驚いた一つに、オオサンショウウオのあの体つきから大変な量の餌が必要だろうと想像していたが、小食で体重の0.03%の餌で成長、その量は1週間に1~2匹の魚でいいという。カエルやサワガニも好物、時には水面を渡るモグラやネズミも口にするとそうだ。

 オオサンショウウオは未知の生き物、年齢不詳、寿命不詳、性別不明、目は見えるのか、幼生の暮らしなど、何を研究しても新発見、だから面白いという。その生態が解明されていない生き物がいる宇佐川に興味が湧く。そんな不明だらけのオオサンショウだが17歳で大人、100歳くらいまで生きれる、と人間に近い姿が観察から浮かんできたという。神秘的ないくつかは未解明で残してほしい。

 オオサンショウウオは「清流」だけに生息する、と全国会の会長の話。この流域住民の結束は強く、長年にわたり清流を保つための奉仕活動が小学生も含めて続いているという。井伏鱒二の「山椒魚」で、岩屋に入ってきた小さな川エビが、山椒魚の肌を岩と間違え産卵する、という話しがある。そんな長寿のオオサンショウウオが住みかとなる清流よ、いつまでも、と学習会終了の挨拶を聞いた。
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オオサンショウウオ 1

2014年08月18日 | しっちょる岩国


 錦帯橋の架かる錦川の上流に宇佐川という支流がある。この宇佐川の鮎は「清流めぐり利き鮎会」で過去に2度グランプリに選ばれている。それについて漁協関係者は「宇佐川にはダムがなく、コケの状態がいい」と高評価について話されていた。この宇佐川、今は錦川に合流し瀬戸内海に流れている。しかし、昔は高津川水系で日本海へ流れていた。宇佐川支川の深谷川の下刻作用で錦川流域に変わったという。自然力はすごい。

 この宇佐川に特別天然記念物の「オオサンショウウオ」が生息していることは報道で知っていた。天然記念物に「特別」の2字が載せられている。これは「天然記念物のうち、世界的にまた国家的に価値が特に高いとして、文化財保護法により指定されたもの。保護・保存がより徹底される」とある。オオサンショウウオの専門家の人は文化財でいえば「国宝」に値するものという。

 最近まで山口県には明確な生息地はないと思われていた。2007年に私立高川学園の先生と生徒たちが6頭のオオサンショウウオの群れを宇佐川の堰堤下流域で発見した。その後も調査は続き、2012年に生息地として知られるようになった。発見されている生息数は川を分断する砂防用堰堤上部や下流域の調査で約400頭が棲息していると推定され、マイクロチップを取り付けるなどして観察が続いている。

 この宇佐川に住むオオサンショウウオの個体群が極度の飢餓状態で、死の直前にあることが2012年9月に分かった。22頭を緊急保護し新たに設置した飼育施設で個体の体力回復を図り、そのうちの5頭が先日、元の住みかに放された。そうした話が聞けるというので学習会場へ出向いた。会場には飼育施設にいる1頭が水槽に入れ展示されていた。体調83センチ、体重約4キロ、間近で見ると迫力がある。かって町の人気者で複数回見たことのあるオオサンショウウオ「ふじちゃん」、5年前に死んだそうだが、その骨格標本も見ることができた。
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捜索ヘリの音

2014年08月17日 | 地域


 各地の山、川、海などで遭難や事故が相次ぎ起きている。今夏は雨、それも尋常でない雨量や豪雨で大きな被害と共に人的な被害も多発している。

 低空をゆっくり飛行するヘリコプターの音が繰り返し消える。二階から見ると民家の屋根ほどの高さを超スローで飛行している。場所は錦川上空のようだ。夏になると川での行方不明者の捜索の光景で、これまでも何度か見ているので、様子が分からないまま、今日もそうだろうと思いながら見ていた。ヘリコプターのドアが開きオレンジ色の出動服を着用した救助隊員の覗き込む姿が分かる。

 1度、ヘリの姿が見なくなるほど低空になった。発見できた、と思ったがしばらくして高度を上げ上流へ向かった。ローカルニュースで、昨日、鮎釣りに出かけた人が不明で捜索が行われていることを知った。昨日の上流の降雨で増水しており発見に至っていないという。行方不明者の車は河原で発見されている。地元の人のようだが、早い発見を願っている。

 捜索のヘリの音は、行楽の様子を上空から取材す報道ヘリの軽やかな音にくだべえ、何か重苦しく聞こえるのは気のせいだろうか。川面での操作も並行しているだろう。今日は予報が外れ青空がでた、明日も好天が続いて欲しい。
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「しろうと」も

2014年08月16日 | 陶芸


 所属する陶芸の会、年金生活者の集いと呼ばれても反論はできないが、その意気、気力は草食系と呼ばれる若者には勝るとも劣ることはないと、月2回の粘土との出合いを楽しんでいる。場所は海抜500メートルにある県の施設、指導員は孫のような若い人だが、高齢者のわがままをのみ込みながら、楽しい指導をしてくれる。会が長き続きしている秘訣のひとつかもしれない。

 そんな教室も、8月は夏休みの児童らで施設繁忙で高齢者は夏休み。夏ばて予防びはいいタイミングかもしれない。と言って、会の幹事さんはゆっくりさせてはくれない。今年も恒例になりつつある「しろうと展」をデジカメ同好会とのコラボで開き、先日終えた。

 その会場当番、といっても「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と来場者に挨拶する役目。3時間の当番だが、思いのほか多くの方が会場へ、見てもらえることは嬉しいことだ。中には陶芸の会への入会希望者も、その中の1人は2学期の予定をメモされた。主人が陶芸を楽しんでいましたのでという女性、作品を手に取ったりしゃがんだりして眺めておられた。連れ合いの作品と比べ思い出しておたれたのかもしれない。

 そんな来場者の中の同年配くらいの一人の男性、「しろうと、も回を重ねればのう」と独り言。「のう」に続く言葉は何だろうかと考えてみた。「上手くなった」か「進歩していない」のどちらかだろう。前者であってほしいが厳しいまなざしを見れば後者にも思える。「ありがとうございました」に対し「次回も楽しみにします」と会場に後にされた。期待してもらえる個所がありそうだ、そう思うと展示品が少し大きく見える。
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語り継ぐこと

2014年08月15日 | しっちょる岩国


 「激動の岩国を生きる」という1冊を持っている。編集は岩国市立岩国図書館、発行は館長:河野孝雄、発行日は昭和62年11月1日。

 「昭和5年、満州事変勃発以来昭和20年までの15年間は、好むと好まざるとにかかわらず誰もが戦争に係らなければなりませんでした」「日中戦争の拡大、そして太平洋戦争への突入。岩国地方においては、海軍航空隊の創設、戦艦陸奥の爆沈、陸軍燃料廠(陸燃)や岩国駅前の空爆があった」「撃ちてし止まむ、欲しがりません勝つまでは、の行動をしておりました」「歳月の経過と共に当時を知り語る人も少なくなった、今のうちに記録として残そう」と体験記を集められ編集されたのがこの1冊になったと読み取れる。

 綴られた文章、生きしのいだ苦しみを母の目から、戦地で銃を手にした経験から、目にした親の苦労などその場面は多彩だが、そこには戦意を高揚させる内容はない。戦争の苦しみみじめさを語り継がねばという思いがこもっている。陸燃や岩国駅周辺の空爆については詳細な記述で、そのすさまじさが伝わる。父は岩国駅周辺が空爆を受けた時、救援隊の一員として参加、そのとき目にしたことの話を少し記憶している。

 昭和20年の岩国空爆は3月19日岩国沖船舶・藤生・通津・由宇、4月2日栄町国道沿い農場、4月16日陸燃発電所、5月4日由宇沖 田島丸沈没、5月10日陸燃・興亜石油、7月24日柱島・黒島・端嶋、7月27日尾津第11空廠、8月9日海軍航空隊、8月14日岩国駅周辺中心街、記録から読み取れる。8月15日終戦、そして9月5日に進駐軍が岩国到着。

 蜂の巣と称された終戦前日の岩国駅周辺空爆跡は今も記憶に残っている。
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もぎたて

2014年08月14日 | 生活・ニュース


 自家用菜園を楽しむ人の中には早くから日照不足を気遣う人がいたが、ようやくそれが報道各社の記事になり始めた。このところの日照は平年の3割あまりとか。梅雨が明けたと思われる、という気象庁の発表からここまで、夏らしい天気はほんの数日しかない。じめじめ、どんよりした曇り、高い不快指数、それに加えて大雨と洪水、瀬戸内らしい爽やかな夏などどこにいったのだろう。

 一方で、最高気温の歴史を更新する猛暑の地域もある。こうした不順な気候や日照不足などで盆前から野菜の高騰が始まった。スーパーで野菜の値札を見て驚きの声を出した婦人、みんなそう思っているが、帰省する孫たちのために品定めをして陳列棚からかごに入れる。自家用菜園者のすぐれた観測眼に敬服する。気象庁も観測装置にこうした人らの力をプラスしたらどうだろう。

 新鮮野菜は高値、そんな中「もぎたてです」とブルーベリーを届けていただいた。朝露のしっとりさの残ったブルーの深い色、日照不足を感じさせない大粒が容器に一杯。放任主義で育てたと話されるが大事にされたからこそ立派に実ったのだろう。帰省中のお孫さんももぎ取りに参加されただろう。昨年、山盛りいただいたものはジャムに加工し頂いた。今回も家内はその準備を始めた。これでパソコンによる目の疲れがいくらか薄れる。ブルーの粒は庭の木々のひとつから、安心安全な品。ちょっと拝借「う~ん、甘い。ベリー グッド」。

 我が家のプランター野菜、キュウリは終わりピーマンの成長は鈍くなった。ミニトマトが何に驚いたのかこの時期になって順調ななり具合で、もぎたてを食べている。化学肥料を少し与えたが農薬はなし、これも安心して口にできる。日照不足の最大の懸念は米の成育、雨多く日照少なし、気がかりだ。
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脱け殻

2014年08月13日 | 生活・ニュース


 黄色くなった朝顔の葉を取り除いたらその下に蝉の脱け殻があった。その少し色あせた茶色は脱皮から相当な時間が過ぎているようだ。空のプランターに苗を植えたので、地面からプランターを乗り越えて登ってきたことになる。天敵の目の届かない葉陰の安全な場所で脱皮したのは偶然だろうか。

 「ぬけがら」の発音も漢字に替えると「脱け殻」と「抜け殻」になり、受けとり方で意味が違ってくる。脱け殻、これはセミや蛇など昆虫や甲冑類などが脱皮した古い体皮、中が空っぽでも何かをやり終えた感を持たせる。白蛇の脱け殻は弁財天の使いで金運を呼び込むとしてそっと財布に忍ばせるという。

 抜けの方、詰まっている物が抜ける、乳歯が抜けて永久歯に、こんなのはいいが、気のせいかあまり受けのいい例えが見つからない。その最たるものは抜け髪、そう抜け落ちた髪のことだ。髪を下ろす人ならいざ知らず、それなりに気を使いながらふさふさの頭を願う者には堪らない表現になる。せめて気の抜けたうつろな状態の人にだけはならないよう努力しよう。

 セミは土中7年、生息1週間の寿命という。庭に脱け殻を残したあのセミは一生を終えているだろう。雌は樹皮に産卵、孵化した幼虫は地中に入って植物の根から養分を吸収するという。地中へ達するまでに虫たちの餌食という災難があるだろう。そう思えばセミの難儀な一生がうかがえる。セミの卵も幼虫もまだ目にしたことがない、遅いかもしれないが、探してみよう。
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たつのこ

2014年08月12日 | 回想
 


 その小さなビルは繁華街の外周線上にあり、何軒かの飲食店が入っていた。「たつのこ」はそのビルの2階にある小料理屋。地元の魚を食べさせる店で、現役時代、出張でくる関東の同僚も喜んでくれた店、勿論、親しい仲間ともよく世話になった。大将が亡くなりママが後を引き継いだが、料理の作りや味は引き継がれ、客足は変わらなかったと思う。私のハンドルネーム「tatu_no_ko」はこの店に関係あるのかと聞かれたこともあるが、それはなし。

 退職してからも何度か親しい仲間と訪れたが、このところ夜の街には足が遠のきご無沙汰している。久しぶりにスーパーでママに声をかけられた。店は続けている、何人かの後輩たちや知人も続けてお世話になっているようだ。年は重ねているが快活な動作と笑顔は変わっていない、元気そうだ。

 あの頃は仕入れから仕込み、調理まですべて大将の手で処理された。カウンター席で注文した小魚のを処理を見ながら話しかけると、「これが取り柄です」と口数の少ない大将がポツリとひと言。そういえば冷凍や調理済みの物は出なかった。注文された品だけを手がけるが豊富なレパートリーとは言えなかったが結構繁盛していた。美味いものを食べさせる店には客が集まる。

 今の若い人は酒を飲まないという。ゼロではないのだろうが酒席や宴会を遠慮するという。思い出すと、酒は40歳くらいまで飲むというほどではなかったが宴会は好きだった。理由は単純、宴会は家庭では食べれない料理が出る。酒を飲まなくても食べることが楽しみだったように思う。折り込み広告に載っている超綺麗な料理の写真、まだ味わっていない。
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