日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

小さな親切運動

2014年08月09日 | 生活・ニュース


 この季節、「小さな親切運動」の実行賞贈呈のベタ記事を見かける。内容は勇気と冷静な判断で人命救助した人、乗り物や街中での困っているを見かけ声をかけたり手助けしたひと、みんな心温まる親切な行為だ。

 たまに通る道。アスファルト舗装の幅は自転車の幅ほど。片方は小川への転落防止柵、その反対側は雑草が茂る。だから歩く人が自転車とすれ違う時は歩く人が雑草側へ避ける。自転車の人は「すみません」「ありがとうございます」などとそれぞれの気持ちを言葉にされる。そんな言葉を残さない人、出合った中では女子高生と若いおかあんさ層、全部ではないが無言で通り過ぎる。どういう神経なのだろう。それは今日の本命ではない。

 その雑草が肩の幅ほどだが綺麗に刈り取られていた。これなら、雑草に気を配ることなくさっと自転車に道を譲れる。これなら子どもでも大丈夫だろう。どこのどなたが除草されたのか分からないが、草刈機で刈り、刈り取った草は持ちかえる、これは立派な親切運動の実行賞に値するだろう、そう考えながら歩いたが、この日は残念だが自転車と出合わなかった。

 高卒の採用面接者の中に、この実行賞受賞者がいた。総括質問で受賞の感想を聞いたら驚いた様子で「受賞は嬉しいですが、特別なことをしたとは思っていません」との答えを今も覚えている。これは親切を受けた子どもが親に話し、親の届け出で善行が判明した。親切ごかしのために親切そうなふるまいもあるが、これは願い下げする。親切が「親を切る」と書くのはどういう意味があるのだろう。
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