岩国検定の仲間入りまでは「岩国の藩主は吉川家」、その知っている部分は厚さも広がりも無い、ただの小さな小さな点だった。仲間入りして話を聞き資料を見たり読んだり、そこへ足を運ぶなどするうち、その歴史を知る、理解は不十分ではあるが面白くなってきた。
吉川家は800年の歴史を持つとされる。その歴史を知ることの出来る史料館がある。ロープウエイから眺めると洋風の徴古館の奥側に和風の高い屋根の建物が見える。そこは「吉川史料館(昌明館)」、伝来の歴史資料や美術工芸品など7000点を収蔵し、年4回の展示替えで順次公開と説明がある。
吉川家文書・吾妻鏡・太平記などの歴史資料は、国の重要文化財に指定され、中世史研究の貴重な史料とされている。美術工芸品は、国宝の太刀「狐ヶ崎(青江為次作・鎌倉時代)」・国重要文化財「繍箔胴服(豊臣秀吉より拝領の陣羽織・桃山時代)」など、吉川家が大切に伝存してきたもので、美術的にも工芸的にも高く評価さる品々があるという。地域住民の誇りかもしれない。
昌明館は、1803(寛政5)年、7代吉川経倫(つねとも)の隠居所として建築された。経倫の死後は8代経正の夫人・喬松院の居住とされ、明治になって廃藩置県の際に岩国県の県庁が置かれた。1995(平成7)年に吉川史料館となった。建物は昌明館付属屋及び門は市の有形文化財となっている(いわくに通になろう 参照)。
史料館は錦帯橋から徒歩5分ほど、菖蒲池のそば。案内書には「淡路の白砂利を敷きつめ、黒御影石の石舞台を配した庭園は世阿弥の『風姿花伝』をイメージして作られました。総ガラス張りのロビーからは、城山の椎の原生林と岩国城を借景とした四季折々の自然をお楽しみいただけます」と載っている。
吉川広家の信念を書いた小説「うつけの采配」(中路啓太 著、中央公論新社)はこの史料館から生まれたのでは、作者のサインを見ながら、そう感じている。