エッセイサロンの合評で「この語句の使い方はいいのだろうか」という意見はよく出される。書くと話すと聞くとでは同じ言葉でも受け止め方が変わることは経験している。思うことを解りやすい語句を使って書き、理解してもらえたら、そんな気持ちで書いているつもりだが、結果は伴わない。
慣用句を用いるときは意味を確認してから用いる。この失敗をしないためという事例を思い出す。それは「油を流したよう」という慣用句。本来は波の立っていない海や湖の様子だが、それを「汚れた水面」ととらえた短い文章だった。慣用句の意味どおり使えば文章も短くなろうが、自分流の言い表し方はないか、考えることもある。
先日、文化庁が行った「国語に関する世論調査」の結果が新聞紙面に載った。調査の目的は「日本人の国語に関する意識や理解の現状について調査し、国語施策の立案に資するとともに、国民の国語に関する興味・関心を喚起する調査」という。国語の調査というのに、いつもの文官の言葉の羅列に苦笑するが、記事は参考になる事例が載っており、楽しく読んだ。
記事を読みながら思った。稚拙な文章であってもそれをコミュニケーションのひとつとしている。そうするからには誤解を生じない創り方、正しく理解してもらえる工夫を忘れてはならない。これからも気をつけるぞ、と改めて思う。
しかし、今、ついていけないネットや若者たちの新語、今の解釈や使い方に変わる時代がやがて来るのかも知れない。すると辞書が替わり、古い出版物は難解な本になる、こんなことを考える自分に失笑する。