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「松田甚次郎の再評価」の目次

2020-07-21 13:00:00 | 目次
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

          「松田甚次郎の再評価」の目次

 第一章 『追悼 義農松田甚次郎先生』
1・「時局情報」八月号の原稿
2・ 「手紙」
3・ 『追悼 義農松田甚次郎先生』の目次
4・花巻でも松田甚次郎の追悼式が
5・追悼文寄稿依頼
6・「追悼」への寄稿は全国から
7・「最後の手紙」
8・「最後の手紙とその返事」
9・「最上共働村塾の歌」
10・弔詞 宮澤清六(『追悼』所収)
11・弔辞 宮澤清六(『「賢治精神」の実践』所収)
12・「松田甚次郎先生追悼会」(昭和18年9月5日)
13・弔詞 照井又左衛門(『追悼』所収)
14・賢治は「科学的聖農」
15・「農聖松田甚次郎先生」(青森 高屋正樹
16・「捧 松田君の霊に」(秋田 丸山助吉)
17・秋田 沼倉 精一
18・東京 佐藤直衛
19・山形 黒田清
20・北海道 上家喜代子
21・北海道 安達利比呂
22・長野 柳澤素介
23・静岡 池谷武夫
24・青森 齊藤浩
25・京都 平山常太郎
26・新潟 小川恭夫
27・千葉 増田政美
28・埼玉 中澤省三
29・東京 倉本彦五郎
30・兵庫 阿部正彦
31・静岡 鷲巣よし
32・新潟 中川義一
33・大分 酒井藤麿
34・長野 長針 功
35・仙台 山田二郎
36・岩手 照井謹二郎
37・山形 田宮真龍
38・福島 遠藤修司
39・京城 栴 文楨
40・長野 宮下 清
41・朝鮮 伊藤重次郎
42・福岡 福田榮三郎
43・静岡 太田良元治
44・東京 熊谷辰治郎
45・盛岡 森荘已池
46・盛岡 西川大作
47・岩手 藤沢美雄
48・岩手 小坂友次郎
49・盛岡 鏑 慎二郎
50・岩手 安藤玉治
51・満州 渡部由夫
52・室蘭 島貫太吉
53・東京 川上治雄
54・盛岡 宮澤賢治子供會
55・「熱と智と行の人」 小野武夫
56・岩手 佐々木由太郎
57・茨城 佐々木喜一郎
58・山形 長島正雄
59・秋田 加藤徳右エ門
60・長野 竹内 斌
61・埼玉 牧野藏之助
62・長野 萩原逞次
63・山形 花山昭雄
64・会津 星 賢正
65・新潟 岩杉利助
66・朝鮮 石垣清雄
67・群馬 阿部いわ
68・山形 早坂 昇
69・福岡 岸原俊基
70・秋田 三宅秀雄
71・東京 名倉淳子
72・岩手 館澤邦宣
73・宇治山田 岡本利吉
74・「未完書後記」
75・「松田甚次郎略年譜」
76.『宮澤賢治追悼』との比較
77.詩誌「次郎」が『宮澤賢治追悼』に
78.『追悼 義農松田甚次郎先生』のまとめ
  ⑴ 前篇
  ⑵ 中編
  ⑶ 後編
  ⑷ 『追悼 義農松田甚次郎先生』から言えること

 第二章 追悼集『寂光』と『和光』
Ⅰ 『寂光「素直な土」』
1.須田仲次郎「追悼の辞
2.鳥海宗晴「追悼の詩」
3.伊藤アサ「思い出」
4.上野久夫「我が青春の一時期」
5.茂木旲「思い出」
6.髙橋昌良「追慕」
7.伊藤新吾「思いのままに」

Ⅱ 追悼集『和光』
1.『和光 追悼の詩』
2.「遺稿 村塾再建まで」
3.吉田六太郎の追悼
4.沼澤治男の追悼
5.松田甚次郎の分骨式(昭和18年10月)
6.ー故松田甚次郎氏の碑と再刊ー
7.「心の支えとして」渡部正一
8.安藤玉治 「農耕と著作」
9.「師の道、弟の道」
10.伊藤新吾 「思い出」
11.若い人にはなじみのない名前松田甚次郎
12.有馬頼寧の言
13.ふたたび人びとの記憶に甦る
14.「国策に沿いながら」再考
15.昭和8年8月30日付伊藤与蔵宛書簡

 第三章 当時の農本主義者
Ⅰ 農本主義者?甚次郎

Ⅱ 農本主義者 加藤完治
 1.農本主義者 加藤完治
 2.加藤完治とは如何なる人物だったのか
 3.加藤完治の責任は?

Ⅲ 農本主義者 橘孝三郎
 1.農本主義者 橘孝三郎
 2.綱澤満昭氏による橘孝三郎
 3.賢治の思想は農本主義と通底していた

Ⅳ 昭和恐慌期の農本主義
 1.純粋で愚直な利他的活動
 2.農村の窮迫と五・一五事件 
 3.五・一五事件の裁判
 4.五・一五事件における橘の振る舞い
 5.「農村救済策」のために「経済更生計画」を展開
 6.経済更生計画
 7.産業組合(『日本の農本主義』より)
 8.「産業組合とは何か」より
 9.『家の光』と産業組合

Ⅴ 『土に叫ぶ』
 1. 昭和7年頃はどうだったか
 2. 昭和8年頃はどうだったか
 3. 昭和9年頃はどうだったか
 4.百数十回もの農村更生への啓蒙行脚
 5.厳しい、あるいは冷ややかな評価
 6.ということは「昭和13年~18年」においてか
 7.日本協働奉仕団の結成
 8.「一四 農村最近の動向と時局」
 9.「二 戦時農村生活の實際」
 10.「增産に対して」
 11.「内での私達の仕事」(前篇)
 12.「内での私達の仕事」(中篇)
 13.「内での私達の仕事」(後篇)
 14.哀草果は甚次郞と同じ立場にあったからか
 15.『續 土に叫ぶ』より
 16.

Ⅵ 『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』より
 1.実家の小作人になった総領息子
 2.自給肥料を増産し金肥を全廃
 3.村をあげての麹・醤油・味噌・澱粉つくり
 4.羊を飼ってホームスパン
 【参考】羅須地人協会での自給自足
 5.「鳥越倶楽部」の発足
 6.農村劇「水涸れ」の初公演
 7.農村劇による農村文化運動
 8.「鳥越隣保館」の落成
 9.農村婦人愛護運動
 10.加藤完治に学ぶ
 11.加藤完治に学ぶ(承前)
 12.小野武夫の影響
 13.甚次郞と「愛郷塾」そして橘孝三郎
 14.「アカ」の風評
 15.塾の片腕となった間宮一
 16.甚次郞の実家の経営
 17.甚次郞の挫折
 18.『土に叫ぶ』の出版
 19.新国劇の舞台も大当たり
 20.「たくらまない教育」より
 21.「小作料の適正化を求めて」
 22.「小作料の適正化を求めて」(承前)

Ⅶ 『農本主義と天皇制』
 1.「日本国民高等学校設立趣意書」
 2.『日本国民高等学校』の帰結
 3.「満蒙開拓青少年義勇軍編成に関する建白書」
 4.上 笙一郎によれば
 5.内原訓練所では
 6.夢みて渡満した少年たちの現実
 7.加藤完治の責任
 8.「農本主義」私の理解
 9.『近代日本の土着思想 農本主義研究』より
 10.「拓殖訓練をも授け」
 11.松田甚次郎の「滿州移民」論
 12.『土と戦ふ』
 13.「稲の肥料(こやし)」
 14.「藥も、すぎれば毒になる」 

Ⅷ その他
 1.
 2.
 3.
 4.

Ⅸ おわりに
 1.
 2.
 3.
 4.

 続きへ。
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