みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

長野 竹内斌

2020-09-17 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は長野からのものである。
  長野 竹内 斌
私は㐧十四回最終の塾短期修了生となつた事を思ふと何か感慨にひたる現実の無常に悲しみ、師のより良き弟子たらんと毎日念願、精進を続けています。僅か三ヶ月の塾生活を辭し徴兵検査の為帰宅后一ヶ月、私の求めて止まなかつた、師の急逝の新聞を見余りの豫期せざりし此の事実にいつ迠も信じられなかつたのです。生きている生きていられる、と私は我が身に聞かすでした。確に先生は魂となつていつも我等を見守つて下さる「骨身惜しまず」「陰日向なく」と云はれている。
三月の末から六月の末中部の山々から私にとつては気候的には何となく暗い東北の様相でした。あの白い雪も消えさり一時にどつと忙しくなり私達は毎日真黒い土を握つて農耕に勵んだのでした。
夕さりに先生はいつも鳥海の美と嘆賞され月山の雄大を誇つて居られた実践即教育の信條の偉大さはいつも先頭に立たれて黙々と働れ、「竹内君、君の麹だ良く出来た」などと一緒に手を取つて教へて下さつた。夛くの稲の籾の発芽麹の手入先生はいつ寝られたのかいつ起きられたのかわからない位でした。家の様子も自分の事なども本当にうち割つて話して下され黙々たる先生も食事の時は必ず面白く話された。苦しみに苦しみを積まれ宮沢先生の「雨ニモ負ケヅ」精神を体して一日も惰ゆむ事の知らなかつた先生、髭もぢやになられ奐の細い目で「私よりもより以上の人になれそれを期待している」と云はれた師-蓑を着て田の畦に立ちつくす-あの姿今は涙と共に彷彿として浮かんで参ります 唯々私は「雨ニモ負ケヅ」の土の教へを守りぬきるのが私達が師に報いる唯一つの□道□と信じています。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)28p〉
 この追悼でやはりな、と思ったのは、「実践即教育の信條の偉大さはいつも先頭に立たれて黙々と働れ」という記述だ。他の入塾経験者も似たようなことを言っていたが、やはり松田甚次郎は「いつも先頭に立たれて黙々と働れ」ていたのだ。だからこそ、甚次郎は彼等に慕われ尊敬されていたのだ、きっと。そして当たり前の話しだが、いくら立派な事を言っても、それを己が為さなかったならば、そうはならないことは自明だ。
 それから、甚次郎は「雨ニモマケズ」精神を体してるのだと竹内は捉えていたという事に、私はここで留意しておきたい。このことに関しては一度論じる必要があると私は覚ったからだ。そう、「国策におもね」と誰かが甚次郎のことをこっぴどくくさしていたが、そのこととこれは関連していると私は気づいたのである。

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