![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/a1/6a56b873c3bb30b3daf16caf7527cca7.jpg)
〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二太郎著、未来社)〉
さて、次の一文は以前一度引いたものだが、「松田甚次郎の追悼文集を読む」の中で、
確かに甚次郎は、晩年になればなるほど、戦争にのめり込んでいく国策に沿いながら村を救うことを夢みた。とすれば、ひとたびその国策が破産すれば、彼のドラマの世界も同時に破産するということになる。これは、ひとり甚次郎だけが遭遇した問題ではない。
〈『近代山形の民衆と文学』339p〉ということも大滝氏は述べていた。そこで私は、
果たして「国策に沿いながら」と、ましてそれを「……夢みた」とまで言い切れるのかという疑問はあるものの、少なくとも「ひとり甚次郎だけが遭遇した問題ではない」という断定はまさにそのとおりだと肯んずる。つまり、ひとり甚次郎だけが「時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した」と誹られる理由はない、ということをさらに確信した。
というように、疑問と確信を述べたのだった。そしてやっと、松田甚次郎の三冊の追悼集を読み終えることができたので、このことに関して改めて考え直してみたのだが、その結論は、「国策が松田甚次郎を利用した」とは言えても、その逆の松田甚次郎は「国策に沿いながら」とまではやはり言えないのではなかろうか、というものだ。その証左の一つが、まさに松田法光が、「太平洋戦争を前にした疲弊し切った農村と農民に対して本当に自分を捨て切って燃焼し尽くした」甚次郞と言っているからだ。おのずから、甚次郞がそれを「……夢みた」とまで言い切れるのかというと、そのような甚次郞でなかったと判断するのが合理的ではなかろうか。そしてそもそも、甚次郞がそれを「……夢みた」ということを裏付ける、証言や資料を私は相変わらず見つけられずにいるから、なおさらにである。
それから、もう一つ大事なことがある。それは、「ひとり甚次郎だけが遭遇した問題ではない」ということに関してだ。ただしこのことに関しては次回へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book_mov.gif)
前へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book_mov.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuma_wel.gif)
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_thank.gif)
《出版案内》
この度、『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』(「露草協会」、ツーワンライフ出版、価格(本体価格1,000円+税))
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/1a/11ffd1c7351ca2831d009111c2539ccd.jpg)
を出版しました。
本書の購入を希望なさる方は、葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として当該金額分の切手を送って下さい(送料は無料)。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
なお、岩手県内の書店における店頭販売は10月10日頃から、アマゾンでの取り扱いは10月末頃からとなります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます