みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

茂木旲「思い出」

2020-10-18 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『寂光「素直な土」』(間宮 一編、松田睦子発行、昭和51年8月4日)吉田矩彦氏所蔵〉

 さて、今回は茂木旲の「思い出」からである。この追悼は、 
 昭和十七年三月の末の頃、毎日悶々とし、何か割り切れない日日を過ごしていた私は、盛岡の書店に入った、書棚にはぎっしりと各種の本が並べてあった。その中に私の心を強く引き付けた一冊の本『土に叫ぶ』である。
 一頁、二頁そして三頁と読んでゆく中、無性に著者、松田甚次郎先生に教えをいただいたい切ない気持ちにかられ家族と相談し、早速叔母と共に新庄の鳥越に向かった。
 ご用の多い松田先生がわざわざ新庄駅までお迎え下さったのには唯唯感激のほかありませんでした。
            〈『寂光「素直な土」』(間宮 一編、松田睦子発行、昭和51年8月4日)21p〉
と始まっていた。
 そこで思い出すのは前回の上野久夫の追悼の中の、
 ハワイ攻撃に成功した日本軍は、ABCD包囲陣を突破して、北に南に破竹の勢いで進撃し、同級生や友人のほとんどは、軍隊に入隊した。此のような時に独り取り残された私は、統制経済のきびしい中で、農業をやって居たが、うつうつとして何にかに体ごとぶつけたお衝動にかられていた。…投稿者略…ある日、農学校の大熊先生に一冊の本を渡された。
 それは松田先生の土に叫ぶであった、いっきに読み終わって、五体に電流が走るような共感と感銘を覚えた。正に土の雄叫であり多感な青年期は行動で表現しなければ居られなかった。
という記述だ。
 というのは、「ハワイ攻撃に成功した」のは昭和16年の12月のことであり、茂木の「毎日悶々」としていたその時期と、上野の「うつうつ」としていた昭和17年3月末はほぼ同時期であり、この頃の若者の多くは精神的に苦悶していた時代であった、ということが示唆される。
 そして精神的に満たされないで思い悩んでいた時に、たまたま二人とも『土に叫ぶ』に出会ってそこに光明あるいは心の救いを見出し、早速行動を起こしたと言える。どうやら、同書は当時の若者たちにはとても魅力的であり、心に響くものであったのだ、となろう。
 そこで逆に、このことが『土に叫ぶ』そして、松田甚次郎の実践が戦争協力に直結したという証左の一つだともし主張する人があったとすれば、それはあまりにも短絡的な見方になろう。そのような論理がもし成り立つとするならば、殆どのことが皆戦意昂揚であり、殆どの方々が戦争協力者だということになるからだ。
 おそらく、上野や茂木が感銘を覚え、心を強く引き付けられたのは同書を読んで、甚次郎は貧しい農民たちのために農産物を増産させようとして、はたまた、農村文化の向上のために骨身を惜しまず実際に実践したということが直ぐに判ったからであろう。そしてそのような、純粋でひたむき、ストイックな松田甚次郎の人間性と生き様に強く惹かれたからであろう。

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