《『農本主義のすすめ』(宇根 豊著、筑摩書房)》
さらに、この事件に関しての裁判について宇根氏は、
民間の裁判所で裁かれた橘孝三郎は無期懲役、塾生の百姓たちも重い人は懲役一五年、変電所を襲った青年たちも懲役七年という重い刑罰を受けました(軍人たちは海軍の軍法会議法廷での裁判でしたので重い人も禁固一五年でした)。橘たちは控訴せず、下獄しました。彼らが減刑されて出獄したのは、昭和一五年です。
〈『農本主義のすすめ』(宇根 豊著、筑摩書房)53p〉と解説していた。そこでこの解説に従えば、塾生たちは懲役で軍人たちが禁固ということだから、塾生たちが「重い刑罰を受けました」という判断はそのとおりだろう。
するとこの時に私が思い出すのは、前回の投稿〝五・一五事件の橘の振る舞い〟における、
橘の「百姓に人殺しはできないから、せめて東京を二、三時間まっくら闇にしてみたい。それが都会中心主義に対する百姓たちの襲撃だと分かったら、都会の人たちは少しは反省するかも知れない」という夢は実現できませんでした。
という記述中の「橘の夢」だ。それは、こんな暢気な「橘の夢」に付き合わせられてしまった塾生たちはたまったもんではないし、しかも塾生たちは「重い刑罰を受け」 たからだ。言い換えれば、橘の「いい加減さ」がここでもまた垣間見えてしまった。だから私は、前回の最後に述べた、「どうも、橘には「いい加減さ」があることが私には垣間見えてしまった」とが共振し、
どうやら、橘は「いい加減」な人物であった。
と思えてきた。
言い換えれば、橘に付き合わせられて五・一五事件に参加した塾生たちには同情を禁じ得ないし、この事件が勃発した際に当の本人橘は渡満して日本にいなかったということはあまりにも無責任であり、塾生たちにとって、橘は実は信用のならぬ人物であったようだと私は断定しつつある。ああせい、こうせいと他人には強く「訓へ」ながら、当の本人は同じ状況にありながら、殆ど何もしなかったのだから。
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